第15話 交代枠を一つ残したまま

 カットラス、ククリ、out。

 クリス、レイピア、in。

 残り十五分。

 リードしたことだしいずれ向こうも攻勢に出るだろう。そうすれば逆にチャンス。もう一点取っておきたい。エロスは水を口に含んだ。浜松も一人、交代枠を使った。


 ヴァッフェはパスを回して浜松の様子を見る。が、奴ら、前に出てくる様子がない。はて、どうするつもりだろう。

「来ますよ」

 フランベルジュの声で浜松ベンチを見ると、すげえデカい選手が出てきて、体をほぐしていた。

「ちょっと待て。あの人どう見ても十八歳以下には見えないんだが!」

「プリンセスリーグには年齢の規定はありません。一応育成年代のための大会ですが、一軍選手が出ても差し支えありません」

「だって若手の貴重な試合経験の場だぞ? そこを邪魔して入ってきてどうするってんだ」

「パイプオルガンは春になでしこリーグで怪我をして、つい最近までリハビリをしていました。試合勘を取り戻すためにこの試合を利用するのは悪くないやり方だと思います。若手の育成よりなでしこの選手のコンディションの方が優先されるべきです」


 手裏剣は巧みなボールタッチ、れて下りてきた刀とのパス交換ワンツーからゴール前に潜り込んだ。シュートはキーパーに弾かれてコーナーキック。パイプオルガンが交代で入った。

「何センチあるんだよ」

「192センチだそうです」

「なでしこでは大層活躍してるんだろうな」

「そうでもないです。動きが鈍いんで」

 ショーテルのインフロントキックは鋭く曲がる。しかしパイプオルガンが早速仕事をして、撥ね返した。


 パイプオルガンはたちまちこのゲームの主役になった。ゴール前に構え長い足を広げ仁王立ちする様はヤンおばさんを思わせた。わかりやすいターゲットができたことで容易に浜松の意思統一が成された。

 ボールを奪ったら、パイプオルガンに、高いボールを送る。

「ランス! お前がマークにつけ!」

「承知」

 いくらパスコースをふさいだところで、空を飛んでいくボールは防げない。ちびっこは指をくわえて見ていることしかできない。生きる世界が違う。


 こと、パイプオルガンは空中戦だけは絶対の自信があった。これぞ自分のアイデンティティ。我こそは空の王者。

 この試合で絶対に得点を決め、一軍でスタメンを勝ち取る。

 ボールに願いを掛けて、跳躍。


 しかし自分にマークについたランスとかいう子は、なかなかの強敵だった。

 しつこい。うざい。

 自分の走り込もうとするスペースを察知、先にそこを埋めてしまう。

 ようやくヘディングできてもランスに体を寄せられクリーンヒットしない。


 GKゴールキーパーティンベーがボールをフィードするが勢いは完全に浜松。時間稼ぎもできずに奪われる。

 クロスの雨がヴァッフェのペナルティーエリア内に降り注ぐ。

 パイプオルガンの高さにおびえ、ヴァッフェはゴール前にはりつけになった。

 ボールはほぼ、浜松に渡る。全員が下がりすぎてこぼれ球を拾えなくなっている。CFセンターフォワード刀まで空中戦に借り出されていた。

「レイピア! ククリ! 手裏剣! 弓! そこまで引かなくていい! もっと前に出ろ!」


 ボールはバイタルエリアペナルティーエリア前を転がっていく。そこにCHセンターハーフトライアングルがフリーでいた。さっきまでここを守っていた連中は今し方、前に出た。慌てて弓が詰める。トライアングルがミドルシュートを放つ。ティンベーがダイブし、かろうじて指先で弾いた。CKコーナー

 んああ! どうすりゃいいんだ。俺は荒く息をつく。


 後、5分。

 守り切ってくれ。

 カスタネットのキック。

 パイプオルガンがニアーサイドでぶ。しかし届かない。ファーサイドで跳んでいたブブゼラがヘディング! ティンベーは動けず。ボールはネットに突き刺さる。

「おい! ブブゼラ8番のマークしてたの誰だよ!?」

 モーニングスターが声を荒げた。誰からも反応はない。

「時間がござらん。点を取りに行こう」

 ランスはボールを放り投げた。


 左WGレイピアがボールを触ると、その度に観客席の一角から歓声が沸いた。しかしすぐにタックルを受けてボールを奪われる。浜松には勢いがついている。試合再開してもボールはなぜか浜松が保持。そしてやっぱりクロス。

 ランスは体をねじ込んでボールを弾き出そうとする。パイプオルガンはランスに手を伸ばした。変な手応えがあった。

 あっと思ったときには、自分の手がランスの顔に食い込んでいた。ランスは顔を手で覆う。


 ゴール前の密集で、エロスからは何が起こっているのかよく見えなかった。

 モーニングスターはまたも声を荒げた。

「今、この人、ランスの顔を手で張りましたよ」

「大丈夫ぁ……?」

 弓がうつむくランスの顔をのぞき込む。

「血が出てるぁ……」

 主審がランスの様子を確認する。目尻に血が溜まっていた。そしてパイプオルガンに向き直るとイエローカードを掲げた。

「わざとでしょ。レッドでしょ?」

 ショーテルが詰め寄る。

「故意には見えませんでした。ランス、一旦ピッチを出て治療してください」

 落ち着けと主審がジェスチャーをする。

「承知した」

 医療キットを担いだ雲母きららが駆けていく。ランスはトボトボとピッチを去る。


「おいおい……」

 いや、ネガティブになっちゃダメだ。エロスは呼吸を整える。ここから、流れを変えるには……。

「パイプオルガンのマークはスタッフがついてね」

 と、ショーテルが告げる。

「……わかりましたわ」

 時間がない。せめて引き分けで。

 ティンベーのキックで試合再開。刀が競り合うも多勢に無勢、ボールを奪われる。もうみんな、守り切ろうとしてプレスに行かない。ただでさえ守りの要がいないのだ。

 カスタネットの右足が正確なクロスを上げた。ファーサイドからプルアウェイゴールから外に離れる動きしていくパイプオルガン目がけて。


 ああ、楽しいなぁ。弓は無上の幸せを感じた。

 こうやってみんなでさぁ、一個のボール追っかけてさぁ、ガンガン攻めてたのに今は大ピンチでさぁ。すっごく、面白いよねぇぁ。


 スタッフのジャンプは届かなかった。パイプオルガンのジャンプは届いた。

 パイプオルガンの、飴細工に触れるような優しいヘディング。ふんわりしたボールがティンベーの前に落ちた。パイプオルガンに手を引かれ、スタッフが空けたスペースだ。ティンベーは駆け出そうとする。しかし、そこにはもう、相手FWが走り込んでいた。簡単なシュート。ネットを揺らす。

 急いでキックオフするも、反攻に出る時間もなく、ホイッスル。


 エロスは四肢をくねらせて踊り始めた。

 俺の頭の中で、バッハの小フーガ  ト短調が流れ出す。中学校の音楽の授業の記憶がよみがえる。

 宗教音楽。

 神の裁きが自分に下された。

 四匹の蛇が絡み合い、雲間から光が漏れる空に向かって昇っていく。

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