第8話 攻めるが負け

 とは言ってはみたものの俺に指導するノウハウなんて何もなかった。とりあえず俺の中にあるサッカー論を叩き込むしかない。それが正しいのか間違っているのか。

「観客が面白いと思う試合は攻撃的で、点が入りまくる試合だろう。どこのチームだって、そんな試合がしたい。点を取りに行くときはどうするか。当然、相手ゴールに殺到する。でもそうすると守備につく人数が減る。自陣ゴール前に広大なスペースができる。さて、ここで考えるべきは何だ。カットラス」

「え、オレ、バカだからわかんない」

 カットラスの体からはいつもいその香りがする。

「モーニングスター」

「以前の講義であった話じゃねーか? スペースがあれば点取るの簡単って。相手FWフォワードに足が速いのがいたらロングパス一本で美味しく頂かれそう」

「攻撃的なサッカーをすれば観客が喜ぶ。しかしその分、指数関数的に失点のリスクも高まる。サッカーはチキンレースの側面もある。点が取りたい。引き分けじゃ嫌だ。攻めたい。でも攻めたら逆に点を取られる可能性の方がぐっと高まってしまう。さあて、監督はどうすればいいんだろう」

 俺はみんなを見回した。誰か答えをひそかに握り込んではいないか。


「過去の男子日本代表監督。イビチャ・オシムは言った。『美しさのために死を選ぶという生き方も、選択肢としてはある。まあ、死んでしまっては、サッカーは続けられないけどね。負ければ監督もクビになるからそうもいかないのだ』。サッカーにおける美とは観客が喜ぶサッカーだ。アグレッシブに攻めるサッカーだ。そして死とはもちろん敗北を意味する。二〇〇六年、カルチョ・スキャンダルが起こるまでのイタリアリーグ、セリエAなんて本当に退屈な試合をやっていたよ。点は欲しい。でも攻撃に人数を掛けない。ジャブ小さなパンチばかりで全力で殴り合わないんだから。その名残なごりもあってセリエは今でも観客が入らない。エンターテイメント性に欠けていたんだ」

「鼻毛カッター」

 俺の心臓はミスリル製。惑わされない。 

「自分のチームと比較して伍し得る相手であればどの監督でも相手チームにガンガン攻めて欲しいと願うはずだ。サッカーにおいて最強の戦術はカウンターだからな。


 最強の守備戦術は引きこもりリトリート。強いチームと弱いチームが戦った場合、弱いチームは普通、引きこもリトリートする。スコアレスドローで引き分ければ勝ち点1が手に入るからだ。強いチームは勝ち点1で満足してはいけない。勝って勝ち点3が欲しい。しかし引きこもリトリートする相手に点を取るのは大変だ。だから猛攻をしかける。そうすれば後ろが手薄になる。弱いチームにとってはカウンターのチャンスだ。ガンガン攻めるチームとリトリートするチーム。どっちが魅力的かは明白だ。


 でも、弱いチームが自分の出身地だったらどうだろう? 人間には故郷ふるさとに忠誠心を持つ習性がある。サッカーはカネと地域愛の戦いでもある」


 一陣の風が吹き抜けた。秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる の歌が胸を抜ける。大昔の人と、俺の思うことが、一致している。


「サッカーってスポーツは大番狂わせジャイアントキリングが起こりやすいようにできている。強いチームであっても一点取るまでが大変だ。サッカーは点が入りにくいスポーツ。でも。だからこそ、点が入ったときに選手も客も喜びが爆発する。そこではじまる喜びのパフォーマンスは祝祭セレブレーション。サッカーにおける得点ゴールとは小さな奇跡だ」

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