第3話 おしとやかにニーキック

 えーん、えーん。

 

 ここはどこだろう。

 夢の中だ。なんだか、世界が大きい。私の手が小さい。子どものころの夢だ。


 えーん、えーん。


 たしか、誰かにいじめられたような気がする。誰にいじめられたんだろう。


 えーん、えーん。


 涙をぬぐう私の手に、誰かの手が重なった。

「おいおいおい、どうしたんだよ」

 顔をあげた。あたしをひっぱたいたいじめっ子はもういなかった。別の子が、あたしを見下ろしていた。

 ネコだ。

 私が手を下ろして、ネコを見上げた。緑の目。ウェーブがかった三毛の三つ編み。ネコが私の手をとって、体を起こした。

「今日から川の向こうに越してきたんだ。ニノミヤミヤコってんだよ。仲良くやろうぜ、な」

「ミャコちゃん?」

「ああ。友達になってやっからそんな顔すんじゃねーよ、な?」

「友達?」

「仲良くしてくれよな」

「仲良くしてくれるの? 本当に?」

「あったりまえじゃん!」

 手をとって、二人で走り回る。

 もう悲しくなかった。

 小さいネコの手が、すごくあったかかった。


 小学校五年生の春休み。

「母さん、私、ヨハネに行きたいんだ」

「へえ? 珍しくはっきりしたこと言うのね」

「ネコが進学するんだ。私も行きたい」

「私立かぁ……二宮さんちはお金あるからなぁ……うーん、あなた、どう?」

「いいじゃないか! 優葉が自己主張するなんて初めてだ! ヨハネだろうがプリキュアだろうが、どこにだって連れてってやるぞ!」

「映画じゃないのよ、もう……うーん、私立ねえ……」

「いいに決まってるさ! なあユーハ!」

「ろっくに稼ぎもないのに声ばかり大きい……まあでも共稼ぎだし、一人娘だしねえ……なんとかなるかぁ……」

「本当に?」

「試験受けてごらん。あそこ国語と算数しかないから、がんばれば行けると思うわ」

「ありがとう母さん……私、絶対に合格するね……」


 小学校六年生の二月。

「えーと、受験番号222番っと……うげっ、無い?」

「はあ? ちょっと冗談でしょ? せっかく私受かったのに!」

「あ、そっちにあった。補欠トップかあ。辞退は毎年いるからセーフだな」

「ふざけるんじゃないわよ! あんた余裕だって言ってたじゃない!」

「いやースリル満点だったぜ! よかったな相棒! これで6年間は一緒だぞ!」

「何が相棒よ! 心臓が止まるかと思ったわよ!」


 *


 どてっ

 ベッドから転がり落ちた。変な夢で目が覚めた。ネコの夢か。なんか恥ずかしいぞ。

 外に出て途中の豪邸に寄ると、ネコは手に包帯を巻いて家から出てきた。

「どしたのあんた」

「昨日先輩をひっぱたいた時に、なんか痛めたみたいでさ」

「折れたとか?」

「いや、グーグレ先生によると、折れてたら指って動かせないらしい。でも痛い」

「我流でやるからよ。あんなこと……ちゃんと習わないと危ないんじゃないの?」

「結構いけるつもりだったんだけどなー。でもスゲかったなあ、なんとか先輩のなんとか術のなんとか締めとなんとかロック」

 どれ一つ覚えてないし。

「キッカ先輩の柔術の三角締めでしょ。最後に食らったのはアームロック」

「やる気あるじゃん」

「冗談。成り行きもいいとこじゃない」

「またまたそう遠慮しなさんなって。先輩も、理解が早そうだって言ってたぜ」

 遠慮はしてないんだけどなー。でも聞いてくれそうにないからいいや。それよりこいつの事を聞こう。

「あんた、なんでこれ始めようって思ったの? 球技もそれ以外もやらなかったのに」

「……格好いいからさ。戦うってのをやってみたくなってな」

 ネコはなぜかためらいがちに答えた。嘘のようではなかったけれど、なにか、全部は話していないように見えた。

「私を誘った理由は?」

「そりゃ、友達がいたほうが楽しいからさ。それにユーハだって合うと思うぜ。お前だって運動は下手じゃないんだしよ」

「そぉかなあ……私はあんたがやんなきゃそんな気になんないわよ」

 放課後、ネコに引きずられて茶室へ直行。着替えて道場へ入ると、キッカ先輩が柔軟体操をやっていた。

「ハイ♪」

 さわやかな挨拶。真っ赤な細いメガネ。幾何学模様をあしらった赤い派手なTシャツ。胸から腰にかけての、はっきり目立つプロポーション。2分丈のウェアからすらりと伸びた長い足。なんだろう、なんかこの人がいろんな意味で許せない。

「早いね。全体練習は4時半からだよ」

「早い安い強いがあたしのモットーでしましてね」

 それで敬語のつもりか。

「わかったわかった。それじゃ即席だけどメニュー考えるよ。どうしようかな。まず一番使うジャブを覚えて、次にストレート、ローキック。組技はタックル、チョークスリーパー、そういうのに入っていく」

「おう」

「みたいなのはやめよう」

「あれ?」

 二人で、体を横に傾けた。

「地味だもん。それよりそんじょそこらの相手を一撃で沈める必殺技にしよう」

「すげぇ。そっから始めるんだ?」

 ネコが興奮して目を輝かせた。

「早く活躍したいでしょ?」

「当然!」

「よーし、じゃ、構えて!」

 取り残されてる感がひでえ。私は早く活躍したいと言った覚えはない。

「じゃね、ネコ、なんでもいいからボクに軽く打ち込んでよ」

 先輩が構えた。

「アイサー」

 ネコがためらわずに突っ込んだ。右足を前に突き出す。キックだ。当たれば壁まで飛んでいきそうな勢い。軽くと言われたのが理解できんのか。

 ところが、次の一瞬。

「ほいっ!」

「うええっ?」

 ネコとキッカ先輩が交差し、そしてお互いに振り向く。

「ちょ、ちょっと……」

 ネコがうずくまって、手を前に出した。

「あ、しくった。休んで休んで。内臓の音とかはしてないから、すぐに起き上がれるよ。だから軽くって言ったのに」

「みぎゃー、なんだこりゃー」

 ネコがじたばたとたたみの上をのた打ち回り、それからよろよろと起き上がった。

「膝蹴り?」

 私が、ぼそっとつぶやいた。

「ユーハちゃん目がいいなあ。普通は初見じゃわかんないんだけどね。ゲームの恩恵かな?」

 キッカ先輩がネコを壁にもたせかけて休ませた。ゲームの恩恵? かなあ。

「相手の技を手で払って? 首の後ろに手をかけて? それから膝を腹に突き立てる?」

 私が聞いた。

「すごいな。よくそこまでわかったね。これって空手にもキックボクシングにもあるメジャーな技だけど、簡単ですごく威力があるんだ。特に、相手が思いっきり来れば来るほど強力になるんだよ」

「あたしもやる!」

 ネコが跳ね上がった。

「大丈夫なの?」

「平気!」

「そうこなくっちゃ。じゃ、向かい合って!」

 先輩が私たちを左右に立たせた。あたしに構えを取らせる。

「相手の足を見てね。前に出ている足の外側に踏み出して」

 ネコは左足を前に出している。私は右に踏みこんだ。

「こういう場合は、左手は相手の首に引っ掛ける。右手は相手の左手を使えないように抑えちゃってね。で、左の膝を突き上げる。手の引く力、膝の持ち上げる力。両方を合計してはさむんだ」

 私が左手をひきつけ、ネコの腹へゆっくりと膝を持ち上げた。

「それでいいよ。試合ではお腹を狙う。実戦ではベルトの下、股間の上を狙うと入りやすいよ」

「こうか。こええな……」

 さすがのネコも、下腹を狙う動作に顔を青くした。そこは男も女も、できれば打たれたくない場所だ。子孫繁栄に深刻な影響がある。

「キッカ先輩って、子供の時からこんなことやってたんですか?」

 なんか習うことがいちいち物騒すぎて怖い。どういう子供時代を過ごしてたのかが気になった。

「ん? いや、ボクは柔術と空手からだね。最初から総合やる子どもは多くないよ」

 キッカ先輩が、ちょっと驚いた顔で答えた。どうもそこらへんがよくわからない。

「そうなんですか? 危ないから?」

「そうだね。MMAは格闘競技の中でも、一番いろんな技が使えるスポーツなんだ。子どもに自由すぎる競技をさせると、ケガも多い。だからほとんどの総合の選手も、子供時代は何かしら別のベースを持つことが多いよ。柔術はその中でもレスリングと並んで一番総合に行きやすいけど、ほかにも柔道とか空手とかから来る人は多いね。子供の頃からMMAっていうのは、かなり荒っぽい家じゃないかな。このクラブも本当は部活で登録したかったんだけど、他の学校のMMAの顧問を見て、うちの先生が怖がっちゃってさ」

「それで茶道部なんですか」

「うん、最強の文化部ってキャッチコピーで、同好会からスタートさ。この部屋、茶室扱いなんだもん。畳は柔道用なのに」

「今、私たちがやってるのは、他の学校や町のジムとは違う練習なんですか」

「基礎は一緒だよ。茶道部の総合は、ボクがやってきた柔術と空手をベースにしてる。ただ、運動部の少ないこの学校で、お嬢さんたちを幅広いオールラウンダーに育てるのは無理だ。だから10個くらいの技術に絞ってるのさ。このカウンターの膝蹴りは、その一つなんだよ」

 ふーむ。こういう理屈がいちいちあるんだな。あたしは殴り合うよりも、こういう話を聞いてたほうが面白いや。


 *


 合同稽古を終えて、時計を見ると5時半になっていた。最初の膝蹴りに加えて、ほかにもパンチやキック、タックルと寝技も教えてもらった。

「さて、終わりー。あがろう。あ、一年の二人は今日コーチ来るから会ってね」

 キッカ先輩がいった。と、そこでアミ先輩が微妙な顔でキッカ先輩を見た。いや、微妙というより、明らかに嫌そうな顔だ。

「もう?」

「いやまぁいつでもいいけど。でも会わせないわけにいかないしなー」

「コーチ?」

 私たちが声をそろえた。

「うん。えーと……沖縄の……いや、見たほうが早いか」

 アミ先輩が、もごもごと言いかけてやめて、そして更衣室に逃げた。なんだこれ。

「沖縄? 男の人?」

「男……うーん、まあ……」

 キッカ先輩が赤縁のメガネに人差し指を当て、不自然に視線をそらした。嫌な予感がした。

「な、なんか緊張するな。あんまり先生以外の男と話さないからな」

 ネコがそわそわしだす。私も微妙に気分が重い。女子校の悲しさ、知らない男と話すのはやっぱり苦手だ。

「どんな人なんですか」

「いや、えーと、なんというかねー」

 キッカ先輩が目をそらしてほっぺたをかき続ける。

「へ?」

 と、聞き返そうとした時に、奥からしわがれた声が響いた。

「参ったぞ!」

「あ、これはこれは。ただいま」

 キッカ先輩がふすまの前に立った。

「来ちゃった……二人とも、そこに正座して」

 なんだかよくわからないまま、私たちが並んで座る。

 なんだこれ。宮様でも出てくるのか。ネコと二人、声を殺してふすまを凝視した。

「国頭より報告申し上げます。本年度は二名が新たに入門を希望しております」

「そりゃめでたい」

「本日参上しておりますので、一目」

 なんだこれ。私の頭に紋服袴に足袋はだし、跳ね上がった髭に朱塗りの杖でも持ってるような大男が浮かんだ。声からすると結構年配みたいだ。となりのネコも、ごくりと喉を鳴らした。

「お出ましになられる。先生に礼」

 私たちが手をついて、ぺこりと頭を下げた。

「イミソーレ」

 キッカ先輩が言いながら、ふすまを開けた。

「なんじゃキッカ、この時代がかった挨拶は。顔を上げさせい」

「直れ」

 先輩が言った。

 2人で頭を上げる。目の前には……

 ……えーと。なんだろう、これは。

 私たちの目の前には、なんかぬいぐるみみたいな怪獣が鎮座していた。

 見覚えがある。そういえば、昨日あたりそこらへんをうろついてた、唐草模様の風呂敷を背負った奴だ。犬だと思ってた。犬じゃないぞ。なんだこれ。

 顔は犬と言うかネコと言うか、それを混ぜたみたいな感じだけど、なぜか人間のようなヒゲ。足は犬より太くて、全身はライオンみたいな毛に包まれてる。なんかこんなの見たことがある。

 

 あれか。あの沖縄の屋根に乗ってる奴か。

 

 キッカ先輩が深々と頭を下げて右手を出す。

「先生、お言葉を」

 その犬みたいななんだかよくわからん何かが、突然口を開いた。

「ハジミティヤァーサイ。入会を歓迎するぞ」

「ぎゃあああああああああ!」

 私とネコが、正座したまま天井まで飛び上がった。


 *


「しゃ、しゃしゃしゃ、しゃべった! ぬいぐるみがしゃべった!」

「ないないない! おかしいおかしいおかしい! アウトだろこれ!」

 2人で片手を天井に挙げ、片手でぬいぐるみを指差してのけぞった。

「おー、正しい反応だ。逆に珍しい」

 キッカ先輩が言った。

「ねねねね、ネコ、これ何? 何?」

「いやまておちつけだまされるなユーハ! これはレコーダーだ!」

「なんじゃこいつらは」

 ぬいぐるみが再び口を開く。

「返事したじゃない! 今のも?」

「いや、つまり、きっとパターンがたくさんあるんだ。これはあれだ! AIとかいうやつだ! ネットの動画で見たぞ!」

「うそうそ、後ろに誰かいるのよきっと」

「いや、誰も?」

 キッカ先輩がふすまを広げた。その怪獣以外、誰も和室にいない。先輩たちはみんな帰っていた。

「わかった! 今度こそわかったわよ! これ、キッカ先輩の腹話術よ!」

「そ、そ、そうか。このあたし様としたことが動揺しちまったぜ。おうおう先輩、タチが悪いですぜ!」

「キッカ、なんで説明を先にせんかったのだ」

「やだなあ。したって信じてくれないよー」

 怪獣とキッカ先輩が普通に話している。

「ど、同時にしゃべったように聞こえるぜ?」

「こ、高度な腹話術なんでしょ?」

「まあ、まずは自己紹介を」

「うむ」

 怪獣がトコトコと歩いて奥に進み、神前に礼をして、おなじみの『前に進めば痛くない』というへたくそな字の掛け軸の前に座った。あたしたちに向く。ピアノ線とかがついているようには見えない。動きは滑らかだ。どうしてくれよう、これ。

「あーさて改めてだが、吾輩は東方古伝琉球空手道獅鷹流、流祖にして……」

「これがうちのマスコットのシーサー君だよ! かわいがってあげてね!」

 しゃべってる最中に、キッカ先輩が割り込んだ。

「キッカ貴様、吾輩に自己紹介しろといってなんたる態度か! 服を脱いで謝れ!」

 服を脱げはどこから出てきた。

「いいじゃないですか、シーサー君で。ボクは見た目通りでいいと思うんだけどなー」

「ムキャーッ! この高貴で優雅かつ天才なる我輩になんたる言い様じゃ! モノを教わった礼も忘れおって! さっさと恍惚とした表情で親指の爪でもかみながら横にならんか!」

「はいはい、エッチなレッスンはまた今度ね」

 ぽんぽんと先輩が怪獣の頭をなでる。なんだこの異次元空間は。

 ネコがおずおずと近寄った。突然ほっぺたをなでる。

「うわ、あったかい。生きてる」

「生きとるわ!」

 返事もせず、ネコがヒゲを引っ張った。

「あだだっ! 何をするか!」

「すげえ、痛いんだ?」

「貴様ら、この吾輩を何だとおもっとる! シーサーを知らんのか!」

「ユーハ、なんだシーサーって」

「琉球の門やら屋根やら高台やらに付いてる悪霊退散の神様よ。中学校の修学旅行で見たじゃない。いや、にしてもこれはわかんないけど……」

「一応最初だし話しとくか。ボクがやってた空手は獅鷹流っていうんだけど、それを作った与那原剛順っていう先生が50年位前に亡くなってるんだよね。で、その人が転生してシーサーになって、それでボクたちの指導をしてるんだよ」

 さらりと説明されたが、全く理解できん。

「な、なるほど。そーゆーことか。ようやくわかったぜ」

 うわ、裏切られた。なんでこのアホは納得できるんだ。アホだからか。

「じゃあこれからよろしくな、ワン公」

 ネコがシーサー君の頭をなでながら言った。やばい。アウェー感が半端ない。

「お前、キッカの言ったことをなんも聞いておらんかったろう。名前はなんと言うんじゃ」

「ネコ」

「からかっとるんか!」

「本当にそう呼ばれてんだって!」

 なんだかわからんクラブになんだかわからんコーチ。私の女子高生活は夢や希望とかけ離れていくばかりか、どんどんわけわからんもんになっていった。

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