アンデッドタウン

 世界は滅んだ。

 それはある日、突然、蔓延した謎のウィルスによって。

 それはいつ感染したのかさえ、解らぬままに発症し、世界中から「人」を消滅させた。あまりに多くの人が一瞬にして居なくなった為に、国家も軍もマスコミだって動かなくなった。世界にどれだけの人が生き残ったのか。それさえ解らなぬ有様になってしまった。

 

 石上隆二

 幸いか、不幸か。生き残った側の「人」だ。

 そして、目の前には俺がかつて愛した人・・・妻が居た。

 目を見開き、口をだらしなく開き、ただ、食欲を満たすために我が子を食らった「獣」と化した妻。

 それが始まりの日だった。

 朝、いつも通りに過ごしていたあの日、異変が突如として起きた。

 妻と娘が朝食中に突如、倒れた。何事かと思って、慌てて二人に呼び掛けるも応答をしない。救急車を呼ぼうと電話に飛びつくも、その電話が繋がらなかった。

 そして、諦めて、二人を車で病院に連れて行こうと戻った時、妻は子どもを喰らっていた。喰らわれていた子どもも妻を喰らおうと噛みついていたが、大人と5歳の子どもでは体格差がある。妻は易々と子どもの喉元を食いちぎった。

 噴き出す血飛沫。

 一瞬、その凄惨な光景に彼は我を忘れて、見入ってしまった。

 母が子を食い殺す。現実だとは思えなかった。

 「や、やめろ」

 声を絞り出す。それで彼は我に返った。目の前で起きている光景はきっと、病気のせいだ。妻は錯乱しているに違いない。彼はそう考えた。

 止めさせないと

 彼は咄嗟に妻を子どもから引き離そうとした。その肩を掴んだ時、妻が振り返った。その顔はとても妻とは思えない獣の顔だった。

 「止めろ!お前は千夏を千夏を・・・」

 だが、振り返った妻は獰猛な野生動物のように今度は彼に襲い掛かる。まるで、どこに噛みつけば一瞬で人が殺せるかを知っているかのように首筋を狙ってくる。彼は知っている。これはライオンや虎のハンティング方法だと。

 「くそっ!」

 妻の顔面を拳骨の側面で真横に殴り飛ばす。50キロに満たない女の身体を殴り飛ばすのはわけが無かった。殴り飛ばされた妻は壁に激突する。

 「千夏!」

 妻の心配よりも首を食い千切られた娘の方が心配だった。彼は娘を見た。首から多量の出血をしている娘。だが、娘は苦しむどころか、彼女もまた、獣のような顔つきで彼を見ていた。

 おかしい

 何かがおかしかった。このまま、ここに居たら殺される。

 彼は妻が起き上がるのを見て、部屋から飛び出した。彼を追い掛けて駆け出した妻を背後で感じ、扉を強く閉ざす。激しい衝撃が扉越しに伝わる。きっと、飛び掛った妻が衝突したのだろう。それを気にする事なく、彼は二階の書斎へと駆け上がる。そして、扉を閉めた。鍵を掛け、混乱する頭のまま、書斎に置かれたロッカーのカギ穴に鍵を挿した。

 

 ミロク社 SP-120 Trap 上下二連式散弾銃


 国内で数少ない民間販売用の銃器を製造メーカーであるミロク社。主に狩猟、競技用の散弾銃やライフル銃を製造している。それ以外にもブローニングやウィンチェスターなどの海外メーカーの代理店にもなっている。

 SP-120Trapは上下二連式散弾銃としては平凡な造りだ。悪くも良くも無い。台木もクルミ材を用いて、それほど、高級感を感じさせることは無い。ただ、全体的な仕上げは丁寧で尚且つ実直さを感じる。そこを気に入って、買い求めた。

 使う弾丸は12番ゲージ。主に学生時代からやっているトラップ競技用に7.5号の粒が入った散弾を使う。銃本体の後端上部についているトップレバーを押し下げ、銃を中折れさせる。すると銃身後端の薬室が露出する。当然ながら、保管の時にここに弾丸など入っていない。

 箱から取り出した散弾を二発。縦に並んだ薬室に放り込む。そして、銃を元の形に戻す。ガチャリと金属の擦れる音とロックの掛かる音が聞こえる。

 扉が激しく叩かれる。今にも壊れそうだ。すでに獣と化した妻が暴れているのだろう。不幸にして、私は銃の免許は持っているが、狩猟はした事が無い。別に可哀想とかそんな事では無くて、単に億劫だから、手を出さなかっただけだ。

 激しく叩かる音は人間の力とは思えない。まるで熊のようだ。これだけ激しい力を素手で殴っていたら、手の骨は砕けてるだろう。妻の細い指を思い出す。

 何がどうなったか解らない。だが、一つ、解ってる事は・・・扉の向こうに居るのは・・・かつて愛した妻じゃない。・・・ただの獣だ。

 銃を構えた。慌てる事は無い。トラップ競技と同じだ。いつ、飛び出してくるか解らない的を撃つ。それだけだ。扉のヒンジが外れる。そして、扉が倒れた。そこには妻だっただろう獣が一匹、居た。

 不思議と心は落ち着く。銃身の先を狙う。散弾銃にはまともな照準器は装着されていない。短い射程と拡散する散弾を考えれば、点で狙うより、面で狙うべきだからだ。

 銃身の先には獣の顔があった。赤い血で汚れた口。大きく開いた目。それを妻と呼ぶのなら、私の美しい思い出たちを侮辱する事になるだろう。躊躇いなど無く。引金を引いた。

 ドンと低い銃声とグッとくる反動。

 トラップに使う弾は鳥撃ちなどに使うような細かい粒を使う。人間大程のトロフィーなら、もっと、粒の大きい散弾。それこそ一発弾を使うべきだろう。そうでないと、十分な破壊力を得られない。

 顔面に散弾を受けた妻は吹き飛んだ。願わくば、この一発で終わりにして欲しい。そう心に思いながら、追い矢を狙う。壁まで吹き飛んだ妻は顔面を穴だらけにしてもなお、立ち上がる。多分、頭蓋骨で粒が止まったのだろう。右目などが潰れているが、それでも開かれた左目でこちらを見ている。痛いのだろうか?動きは思ったよりも緩慢な感じだ。だが、彼女が襲い掛かって来る気があるのは伝わる。

 再び、ドンと銃声が鳴り響く。5メートルの距離で二発目が彼女の顔面を叩いた。彼女は後頭部を壁に打ち付ける。さすがに、粒が小さいとは言え、これで死なないわけが無かった。

 だが、身体は正直だった。トップレバーを押し下げ、銃を折る。薬室から空薬莢を取り除く。そして、ポケットに入れて置いた散弾を取り出し、薬室に突っ込む。そして銃を戻した。その時、妻が怒り狂ったように暴れ出す。目は見えていないのろう。手をあらん力で振り回す。壁や床を叩く。人間離れした力だ。骨が砕ける音も聞こえる。

 「もう、止めてくれ!」

 私は私が愛した者が壊れる様をこれ以上、見たくは無かった。再び、銃声が響き渡る。

 二発の銃声が響き終わった。

 目の前には完全に動きを止めた妻の遺体があった。顔は潰れてしまった。それが妻なのかどうかも疑わしい。直視するのを止めて、私は残りの散弾を全て、ポケットに詰め込み、散弾とクリーニングキットなどの入った鞄を取り出した。銃を構えたまま、階段を降りる。ダイニングには、娘の遺体が転がっている。喉を食い千切られ、血を噴き出したまま、彼女は死んでいた。

 ここで吐き気を催す。

 

 一度に家族を失った。何が起きているか解らない。まずは警察だろう。事情を正直に言って、調べて貰うしかない。これは明らかに正当防衛だと言える。受話器を取る。110番をダイヤルするが、繋がらない。スマホからも掛けるがやはり繋がらない。119番も試すが同じだった。

 「何が起きているのか?」

 テレビのスイッチを入れた。何か情報が欲しかったからだ。だが、テレビも放送をしていない感じだった。幾つかチャンネルを回していると唯一、公共放送だけがニュースを流していた。

 「現座、全世界で謎の病気が一斉に発症しています。近くに居る人が突然、襲って来る可能性があります。皆さん、どうぞ、お気をつけください」

 真剣な表情で訴えかけるアナウンサー。だが、その言葉は妻と娘に当てはまった。

 「嘘だろ・・・」

 それしか言葉は無い。テレビを消す事もせずに玄関へと歩いて行く。そして、扉を開いた。街は静寂だった。いつもの朝。そう思った。

 ぐぅ・・・ぐぁあああああ

 玄関先に立っていたサラリーマン風の男が突如として、牙を剥き、襲い掛かってくるその瞬間まで。

 手にした散弾銃を咄嗟に構えた。トラップ競技で鍛えた腕前だ。コンマ何秒で射撃姿勢を取る。狙いはすでに襲い掛かって来たサラリーマンの胸板。顔面では無い。小さい的を狙うな。大きな的を狙うべきだ。

 銃声と共に弾き出された粒が彼の胸板を叩く。至近距離での一撃は相手を吹き飛ばすには充分で、彼は背中から玄関先に倒れた。胸板を叩いた粒は皮膚と肉を貫き、心臓に到達した。威力の弱い弾でも至近距離なら充分だった。血が噴き出す。多量の地で地面が濡れた。

 「ここは・・・もう、死ねない獣の街なのか・・・」

 銃を構えたまま、俺はそう呟いた。

 

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