女神のウォール

坂道アリス

第1話

 カツカツカツと踵を鳴らして、少年が道路を歩いていた。

 否。最早そこは、道路としての機能を失われていた。


 堅いコンクリートは地割れを起こし、そのせいで所々段差が出来、隕石が落ちてきたかのように陥没してさえいる。けれど空は相変わらず何事もなく、雲一つ無い透き通るような青さが広がっていた。太陽が照っており、その暑い日差しがいつも通りに地上へと降り注ぐ。


「確かに、県境は相当治安が悪いらしい。これは用心するに超したことがないな……」


 そう言って少年は、懐に手を入れる。もう直ぐで夏に差し掛かる時期だというのに、鴉もかくやという程黒い外套コートを着ていた。汗一つかかないのは暑くないからだろうか。それとも、暑さを感じていないからだろうか。


 そんな暑さよりも、少年は周囲に気を配っていた。


 彼の瞳に映る景色すべては、凄惨の一言。元は商店街だったのだろうが、今は原型を留めていない。建物群は無残にも倒壊し、看板が地面に突き刺さり、窓ガラスの破片が周囲に飛び散っている。何年という間ほったらかしのままなのか、手入れがされておらず、土埃が被っていた。


 世紀末のような風景を目の前にしても、少年はひたすら歩みを進める。

 ただし警戒は怠らず、何かあれば懐のブツを取り出せるように準備していた。


「この辺りだったはずだが、見当たらないな……」


 少年は地図を見て、目的地を確認する。今のこのご時世、端末さえあれば行き先を案内してくれるのだが、彼は持っていなかった。


「機械に頼るなんて真似はご免まっぴらだ! ……機械は憎い。そんなものに頼るぐらいなら、死んだ方がましだ!!」


 誰にともなく、怨嗟を口にした。まだ幼さの残る少年の顔が、憎しみの形に変わる。眉を釣り上げ、歯をむき出しにし、ここにはいない誰かを睨む。

 そして、憎しみが消えるまで歩き続けて。少年はふと疑問を覚えた。人っ子一人とも逢わないのは一体どういう事だろう、と。静かだ。静か過ぎる。物音一つしないのは異常おかしい。


 と、その時。半径500メートル以内から甲高い悲鳴が聞こえた。事件が起きたのだと思い、声のした場所へと驚異的なスピードで駆ける。


 この行動は確信めいたものだった。絶対に誰かそこにいると、少年は事実として知っていた。


「くっ……こんな事に機械が役立つなんて。クソッ……!!」


 悪態をつきながらも、少年は商店街の角を曲がり、裏路地に入った。


 走る速度を上げると、崩壊したビルや建物が矢のごとく視界を横切っていく。風に煽られて揺れる黒い外套コートは、さながら翼を広げる鴉のようだ。


「建物が視界を塞いでやがる……邪魔だなっ!!」


 少年は勢いを殺さぬままビルの壁に飛び移り――その名の通り壁走りする。幸いそのビルは、崩壊も老化もしておらず、少年は一瞬の内に屋上へと到達する。


「嘘、だろ……」


 屋上からの眺めに、少年は絶句した。彼の目前に広がっていたのは、何もない真っ新な大地。振り返れば商店街が、町並みが、人工物が、海が、川が、森が、自然が、人類があるというのに前を向けば砂漠のような土色一色の光景。


 そして遙か遠くの方に、天に届く程巨大なソレがずっしりと佇んでいた。


「……あれが、あれが〝ウォール〟か!! 写真で見たことはあったが……いざ生で見ると威圧感が凄まじい」


 感嘆の声を漏らす、少年。


 ――〝ウォール〟。それは、政府によって造られた巨大監獄。東京全土が厚さ444メートルの鉄壁で覆われており、高さ4444メートルを誇り、内部は全100階層もある。ウォールの収容人数は、日本の全人口が入るぐらいの莫大な規模。

 東京全土が監獄に改造された事で、首都は東京都ではなくなり、埼玉が新都市となる。これにより、東京都は旧東京都となり、埼玉は新埼玉都市と呼ばれるようになった。


 このウォールが建設されたのも、今から100年も前の話。


 ウォールが出来た理由が100年前にあった。否、正しくは100年前に始まり、今もなおその理由が続いている。その理由……病気/災い/天罰などの多くの言われ方があるが、一番しっくりくる(ポピュラーな)言葉、それは――〝ノロイ〟。そのノロイのせいで、ウォールが造られたのだ。


 少年は首を振って、ウォールから視線を目下の大地に転じる。今は、ウォールの事を気にしている場合ではない、と。それよりも先の悲鳴の事だ、と少年は改める。


「一体どこにいるんだ!! 何か叫べ!!」


 大声を出しても、返事が返ってこない。少年の声は風と共に攫われる。沈黙が訪れ、不安と焦燥に駆られる。もしかしたら、と最悪な結末を思い描いてしまう。

 そうならないために――。


(限界リミッターを一段階、解除しようか……)


 そういう考えが思い浮かんだが、存在するはずもない空想の心臓こころが少年を制止する。

《駄目だ、それは! 決してしてはならない!! そしたらまた人間から遠のいていくぞ! いいのか!!》、と。


 それを耳にして、ふっと安心し、少年は微笑んだ。


「ああ、まだ僕は人間なんだ……。まだ、人間だったんだ。そうだ、人を助けるためにこんな事が出来るんだ。ならば答えは一つ。やるしかない……!!」


 決意が固まった瞬間、また女の甲高い声が聞こえる。「助けて」と叫んでいた。先よりも確実に間近で。人間からまた一歩離れようとしたが、その必要は無くなったようだ。


「道理で見当たらないと思ったら、そうか、そういう事か。そこにいたのか!!」


 少年は屈み込み、腕を引いて――掌底を屋上のコンクリートに叩き込んだ。

 ドゴン、という爆発音に似た音が響き、分厚いコンクリートが粉々に砕かれ、大小様々な破片が飛び散る。その破片が少年の顔を掠め、傷を付けた。けれど、血は一切出ない。

 どころか、見る見る間に少年の顔に付いた傷が、時間を巻き戻したかのように消えていく。


「痛ってぇ……!!」


 手をブンブンと振って痛がる演技をする少年。普通なら、痛いどころでは済まない話し。むしろコンクリートを素手で壊せる力なぞ、それに耐えうる筋肉や骨なぞ、少年に有るはずもない。大の大人ですら無理な事だ。否、訂正。人間では無理な話だ。


 けれど少年は、何事も無かったかのように、人間二人分程が通れる穴の開いたコンクリートの中に入る。入った先は、薄暗かった。電球は壊れており、今し方開けた大穴を開けた天井と窓の外から差し込む太陽の光だけが唯一の明かり。

 しかし少年には、光が無くともくっきりとビルの中が見えていた。


 ……どうやらこのビルはその昔、列記とした会社だったらしい。朽ち果てた業務デスクや背もたれが折れた革張りの椅子が、時代から忘れられたかのようにぽつりと置かれていた。書類の山は棚から雪崩を起こして、底に散乱。埃が舞って、長い間使われていない事が分かる。


 それらを一瞥し、少年は急いで部屋から出た。


 女の子の声がした方――ここから更に下の階に行く。


「待ってろよ……! 直ぐに行くから!! だから、死ぬ事にはなるなっ!!」


 祈るように、少年は階段を下りたのだった。

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