【表現】間違いは誰にでもある
だからと言って許されるかどうかはまた別の問題だ。というか、基本的に許されるわけがない。
何の話かって? もちろん日本語の話。
一番日本語の間違いが許されないのは誰だろうかと考えてみたところ、候補としてすぐに浮かぶのが政治家、教師、小説家の三つだ。理由も明白。誰でも思いつくだろう。
政治家は当然、国のブレインを自称する存在でなければならない。もちろん国民の意見を反映することが大前提だが、国民の言う通りそのままに動くのは人形よりも性質が悪い。そして人形でない、愚か者でないとアピールするならば、できて当たり前のことはできなくてはならない。つまりそれが日本語というわけだ。
日本語を間違える政治家は少なくとも馬鹿か痴呆なのは確かなので、すぐさま席を別の人間に譲った方がいいだろう。一応フォローしておくと度胸はあると思う。普通日本人なのに日本語できないとなれば恥ずかしがるはずだから。
教師も当然と言えば当然。何せ人に物を教える立場である。語学堪能であれというわけではないが、普通に考えて母国語を間違えて教えられる子どもが気の毒だろう。迷惑極まりない。
子どもへの影響力の面で見れば、親の方が大きいため、教師の責任はそこまで大きい物ではないのではないかと思うかもしれない。が、親は子が恥をかけば同時に恥をかく。親子の評価は一括りにされることが多い。一方で教師の恥を生徒まで一緒になってかくのは理が通らない。
力はその大小に関わらず必ず責任が伴うものだが、影響力もまた力の一つということなのだろう。
小説家も影響力の面で教師と同様である。小説家に限らず、日本語を文字やデータとして残す職業であればやはり同じだ。個人的には、主にティーンズを相手にするジュブナイル作家やラノベ作家が日本語を間違えるのは非常によろしくない。間違いとわかる故意の表現なら是としても、間違いと認識するのが難しい間違いは最悪だ。吸収しやすい年頃に何余計なこと教えてやがる、というやつである。コノハズクは結構気にする。
ちなみに絵本作家や児童文学作家は日本語の間違いに非常に厳しい。考えてみれば当たり前の話だが。
多くの作家が間違いを間違いと認識してない日本語の例はコノハズクが把握しているだけでも幾つかあるが、特によく見かけるのが「おもむろに」だろう。
本来「ゆっくりと」という意味しかない「おもむろに」は、漢字で書けば徐行の「徐」である。これで「不意に・急に」などといった意味があるとすれば駐車場は全て事故多発地域だ。
また「
とはいえ、今正しいとされている日本語や、間違いとされている日本語も、いずれは人知れず消えたり、新しい言葉として認められたりするのだろう。
新しい日本語を生むのもヒトならば、元の正しい日本語を殺すのもヒトである。これを読んでいる者は、願わくば生む側にはなっても殺す側にはならないように気をつけてもらいたい。
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