063 誰が言うかで、意味まで変わってしまう言葉

 蜂の巣をカタカナ語でハニカムといいます。英語の発音だとハニーコームでしょうか。六角形のものを組み合わせると強度が上がるので、自然界でも建築でも見かける構造です。

 農家が言うハチノスは、そのままの意味です。ブロック状のはちみつを指すかもしれませんね。固体だと水あめで薄められないので、高いですから。はちみつ。

 焼き肉店だったり、精肉店ではハチノスといえば牛の第二の胃です。じっくり下処理をして調理します。珍味の部類でしょう。マフィアやヤクザが言うハチノスは、体にたくさん銃弾を浴びせる、という意味です。ギャング映画のセリフで、たまに出てきますかね。

 このように、同じ言葉でもどんな属性の人が口にするかで、まったく意味が変わってしまいます。牛の胃は実際ハチノス形状ながら、銃弾を浴びせる方は、形というより蜂の子がたくさん巣にいる状態に喩えているので、ニュアンスもずれてきています。

 アドバイスや意見に関しても、発言内容がどうであれ、誰が語ったかがまず注目されます。この人が言うなら耳を傾けよう、という選別がなされているのです。でも常にフラットで正しい人なんていませんし、すべてを発言だけで判断するのは素直というより馬鹿正直。建前を語っているだけかもしれない。なのに、ついついそこを簡略化して、毀誉褒貶を真に受けてしまいがちです、わたしは。そのあたり、直さないといけませんよ。聞くのは冗談だけで十分です。

 魚にはオカシラなんて料理があります。焼いたり、刺身にしたり。これも場合によってはリーダーを指す言葉になる。というより、そちらの意味があっての魚料理の名称かもしれません。順番は不明なり。

 魚のオカシラは出ても、牛のオカシラってないですよね。ほほ肉のステーキや牛タンなど、頭のパーツもあちこち食べるのだから、オカシラ丸ごと出てくる料理があったらどうでしょう。ナイフで肉をそぎ落として食べるのです……やーん、こわーい。同じテーブルを囲むちびっ子たちがいたら号泣よ。魚より牛の方が、人に近い生物だからむごいと感じるんでしょうか。

 北京ダックは、高級なものだとその場で皮を削いで食べますよね。あれはそこまで無残さはないです。首なし丸焼き死体なのに。鶏は頭部を食べないので、オカシラを出されても困ります。その違い、ではなくて肉として認識しているから身構えずに口に入れられるんでしょう。

 あ。牛がオカシラで出されても、そんなに分量食べれんわい、ってだけだったりして。 

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