038 領主はすでに、土地を追われた後だった

 先日、車に乗っていたら『領主の館』なる名前のレストランを発見しまして。看板を見た瞬間から、テンション急上昇です。すごい名前のお店と遭遇して、テンションの上がらないときがあるでしょうか。

 苔むした緑の屋根に、色あせた壁。敷地の前を通ると、鎖がじゃらっと伸びている。おぉ、これぞ領主の住処。わたしも貴族的にもてなしてもらいたい。多少のお金を払ってでも、もてなされたい。気分はすっかり領民です。車内もざわつく。カイジの黒服並みに、ざわ……ざわ……ってしちゃう。

 やや、ちょっと待った。様子がおかしいぞ。そう、屋根が苔むしてるのも、壁がくすんでいるのも、入り口にチェーンが張られているのも、すべて閉店しているから。閉店っていうか――潰れてる? もう長いこと営業してないんじゃないの、このお店。

 もっと早くに知っていれば……惜しいことをしました。よくよく考えてみればオーナーだけが領主であって、店長は給仕なんだから執事だわ。しかも潰れてるんだから、没落貴族じゃないの。おや、これはこれで魅力的な響きですなぁ。

 誰も使わなくなって、ただ廃れていく建物というのは、得も言われぬ魅力を秘めています。崩れかけた残骸に、わたしたちは過去と未来を同時に見る。幻に触れられる、現実的な方法だと思っています。廃墟巡りを趣味にしている人がいるのもわかります。死体と遭遇しちゃって、アワアワすることもあるらしいですけどね。人知れず命を絶つには、絶好のロケーションです。

 それでも、廃墟の良さというのは幻想性であって、生き物の死体はちょっと違う。死の香りは生を喚起させてくれますが、本物の死はただの抜け殻ですもん。

 そういえば昔、大きな日本家屋の掃除の手伝いをしたことがありました。天井の梁を、薬品をつかって、きれいにしていく。囲炉裏ので、梁どころか、あちこちの柱が焦げ茶色してました。

 囲炉裏を現役で使用している個人宅なんて、今じゃ文化財クラスです。といっても、一人用の組み立て式囲炉裏というものが販売されていて、レトロ好きな年配者に受けています。ひとり鍋も、これなら様になりますね。

 個人スペースだけが、現代においては領地。プライベート空間を侵犯されたのが原因で事件に発展するのは、それが戦争を意味しているからかもしれません。こういう話、感覚的に通じる人と、まったく理解できない人に分かれます。結婚したはいいけれど、ひとりの時間がまったくなくてつらい、なんて愚痴、あなたは聞かされたことないですか?

 あら奥様、もしかして言う側でしたかしら。

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