036 出しどころを見誤ると困るもの

 一定以上の世代、中でも大学紛争を経験しているような、還暦を過ぎた世代には、反骨精神を持っている人が少なからずいるようです。よくいえばおおらか、悪く言えば荒んだ世相だったのが窺えます。

 ロックが好きなので、ありようとして反骨精神、今のままでいいわけがないのに、なぜみんな気づかないんだ! という気持ちが現れた音楽をしばしば聴きます。音楽というのは、悲しいときは悲しい歌を聞いた方が、心が癒されるもの。楽しいときは、明るい歌を歌いたくなります。

 音楽は表現なのでともかく、反骨精神というのは日常生活で表出させるのはあまりよくない。言うべきときだけ、はっきり言えばいいのであって、普段から出しっぱなしにしてしまっておかないのは、むしろ怠惰です。だらしなく見える。そういう気持ちは、よほどのときを除いて、心のうちにしまっておくのが得策というものです。

 とりあえず反対意見を出しておけばいい、なんて野党の話をしてるみたいですが、こういう考えの人は実在する。なかよくワイワイやるのが格好悪い、意見に追従するのが格好悪いという。アイデアを却下することが仕事だと信じてやまないタイプ。こういう人種は、さらに上の、力を持った人たちからこてんぱんにダメ出しされないと、自分では何が悪いのか判断できないようです。

 なぜかといえば、とりあえずこうしておけばよい、という考えのもとで動いているから。システムを見直す機会が訪れないのです。自浄作用を持っていない。口で言うのは簡単ですが、なかなか自分を変えるって難しいものです。

 でも、別の方法はないかな、もっとスマートなやり方があるんじゃないの? と立ち止まってみるのは大事です。それは、他人に問いかける質問ではなく、自分自身に問うてみるもの。他人を変えるのは、自分を変えるよりよっぽど根気がいります。何年という時間がかかる。

 自分を変えるときには、違和感と同居することになります。この違和感とどう付き合っていくか、考えを巡らせるとき、システムは更新されます。もちろん、上手くいっている部分を無理していじる必要はないです。その判断を振り返るのは必要でしょう。

 反骨精神がポリシーというなら、貫き通せば明らかに不利になる状況を想定してみるとわかりやすい。損をするのがわかっていても、そうせざるを得ない、苦渋の選択。そんな根本的な性質こそが、本来のポリシーの意味ではないかと思います。

 ロックミュージックも、やむにやまれず、そうなってしまうからいいんです。本来はとっても見苦しく、不愉快で、格好悪いものなんですね~。そこをやせ我慢して、涼しい顔しているのが、クールなんですよ。

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