030 カメラ・カメラ・カメラ
携帯電話が普及して、いろんな機能が集約されるようになりました。中でも欠かせない機能のひとつがカメラでしょう。通話、メール、ネットと並んで重要視されていると思います。インスタグラムのような、動画や写真を公開できるサービスを利用するにあたり、やはりカメラがないと成り立ちませんから。
小さいころから、特に母親が写真を撮りたがる人でした。といっても、ほとんど記念写真です。記録も兼ねていたのかもしれませんが、当時のわたしにはわかりませんでした。なぜって、彼女が撮影する写真には必ず家族の誰かしらが映っていたから。直接尋ねたことはありませんが、母親にとって写真とは、人を映すものだったのかもしれません。
そんんわけで、わたしもずっと写真はそういうものなのだと思い込んで、育ってきました。あるとき、学校で修学旅行に行くことになりまして。そこで、せっかくだから写真を撮ろうと思ったんですね。
近くにいたクラスメイト、たしか異性だったはずですが、その人に写真を撮ってほしいと頼んだわけです。答えはまさかのノー。それくらいいいじゃないかよぅ! と思ったんですけれども、結果的にこれがよかった。なぜって、そのとき相手に、風景を映せばいいと言われたから。こういうのを固定観念とか、先入観というのでしょう。
目からうろこが落ちまして、そうか、その手があったのかと。むしろ人が写ってない方がいいじゃないの、と。誰かに許可をとる必要もなければ、いちいち掛け声をかけてシャッターを切る必要もない。自然はそんなこと、気にしませんから。やっぱり雄大なだけあるわ。
というわけで、それからというもの、写真に対する心構えが急に低くなり、身近なものになりました。面白いもので、同じ風景を撮影しても、いいカットとダメなカットがあります。これ、何が違うんでしょう。
身もふたもない表現をすれば好みの問題に収斂されるんですが、審美眼と言いましょうか、やっぱりいい写真は背景に奥行きが感じられる。においだったり、空気だったり、記憶を喚起させられる。それは自分が体験した記憶じゃなくてもいい。架空の、想像の記憶でも構いません。
眺めていると、感情にそっと寄り添う何かが込められている。それが、いい写真のように思えます。撮影した人と、写真を通じて目を共有する。絵画では果たせなかった夢を、カメラは叶えてくれたのです。
今後は、証明写真の写りに関して、技術発展が望まれます。ああいうのは、いっそ別人として写りたい。ビフォーアフターしたい。
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