009 説教への説教というパラドクス

 テレビドラマの定番ジャンルとして、刑事モノがあります。ミステリの要素があるもの、サスペンスにしているもの、あるいは人情ものとして話を作っている映像もありますね。個人的に、人情ものにはあまり興味を惹かれないのもあって、その手の映像作品に触れる機会は少ないです。

 さて、ミステリであれば話の進行上、殺人事件が起こります。殺人のないミステリもありますが、やはりインパクトが弱まるので、殺人事件ものと比べると影が薄めです。しかしどうやら日本のテレビ業界では、マスメディアとしての矜持からか、人道的な配慮を必ず入れなければならないと思い込んでいる節が見受けられます。

 なので、ドラマの最後には必ず犯人へのお説教シーン、あるいは犯人へ怒るシーンが挿入されます。長かったり短かったり、程度の違いはありますが、たいてい入ってますね。

 金田一少年の事件簿だと、そのうえ、犯人の動機としてかならず情状酌量の余地がある事情を持たせています。これも少年少女に向けているからでしょう。

 ただ大人向けのドラマであれば、犯人への説教シーンはない方がいい。とんでもないやつめ、という視聴者の共感に訴える意味があるんでしょうけれど、別に不満を持ちたくて殺人事件を扱ったミステリを見ているわけじゃなく、単なる娯楽です。でもアニメや漫画の影響が云々とか、オタク趣味じゃない一般の人ほど、そのあたりを混同してしまいがちなんでしょうね。そうでも考えないと、腑に落ちないのです。

 お話は、どこまでいってもしょせんお話です。うそ、作り話、でっちあげ。ほら吹きです。架空世界です。現実とは別物だと、分けて考えるのが大人の態度じゃないかなあ、なんて思います。この文章を書いている人は、精神年齢・生後六か月といったところですが。説得力を無視すれば、書くだけは自由なので。

 その点、海外ドラマで殺人事件を扱っているミステリは、犯人への説教はないのが主流です。つかまえたらおしまい。殺人はいけないんですよ、なんて視聴者からすれば、成人を過ぎて繁華街の路上で脱糞するとつらい気持ちになる、ってくらい自明です。細田守監督がケモナーってくらい明らかなんですよ。美人をこじらせて腐女子に走る人だっているんですよ。

 そういう点で、日本のテレビドラマが、もっと大人向けの感覚で作られたらいいのになーと思います。その点、邦画は大人向けになっていたりして、メジャーになるほど当たり前のことをお約束として入れなきゃならなくなるのかなー、窮屈ねぇ……と思ったりします。

 大腕振ってお説教するのは気分いいのかもしれません。しかしそういう感覚は子供っぽくないですか? そうでもありませんか? 自分に問うてみましょう。

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