町民の婚礼(五)

「ごめんください」

 穏やかな笑いを含んだ声が戸口から入って来る。

 鮮やかな若草色の上着を羽織った若い女が姿を現した。

 体の線を覆う様にゆったりとした上着を纏っている。

 にも関わらず、女の腹はそこだけ別の生き物のように突き出て膨らんでいた。

「あら、エンマ、いらっしゃい」

 花嫁の母はグラスにビールを注いでいた手を止めると、太った二重顎を震わせ、糸のように細い眼を更に細くして笑った。

「もうすっかりお腹が大きくなったのね」

 大工の女将は肥満体ながらも素早く近寄って、うら若い妊婦の携えた籠を受け取る。

「ここに来るだけでも息が上がっちゃって」

 エンマは息を切らしつつ、クリッとした明るい茶色の目の上を拭った。

「これ、重かったけど、大丈夫?」

 女将は受け取った籠を傍らのテーブルに置きつつ尋ねる。

「あたしは怪力だから、このくらい大丈夫」

 若い妊婦は力瘤(ちからこぶ)でも作るように拳を握って示すと、まだ娘っ気の抜けない声でからからと笑った。

 見守る周囲にも温かな笑いがさざ波のように広がる。

「パウルは?」

 エルザも打って変わってどんぐり眼を細めると、前に立つマルタの腕越しに声を掛けた。

 マルタは表情の消えた顔で腹の膨らんだエンマを見詰めている。

「うちの人は、今日は急な注文が入っちゃって」

 大きな卵にも似た腹を擦りながら、エンマは花嫁と棒立ちのマルタに近付いていく。

「お二人によろしくって」

 エンマは晴れやかな笑顔のまま、ちょうど空になったスープ入れを手に立ち上がったヨセフを振り返った。

「ビール持ってきたの、良かったら開けて」

「ありがとう」

 花婿はそこで初めて自分の固い面持ちに気付いたように、顔をくしゃっと崩す。

「ご亭主にもよろしく」

 笑顔を貼り付けたまま、花婿は足早に奥へと姿を消した。

「お義母(かあ)さん、スープ、まだあります?」

「もうちょっとで茹(ゆ)で上がるわ」

 奥での夫と母親のやり取りを素知らぬ顔つきで聞き流す十七歳の花嫁の前には、同い年の二人の女が互いの顔を見合わせて立っている。

「もうすぐ生まれるのね」

 マルタが先に口を開く。

「おめでとう、エンマ」

 濃く長い睫を伏せて微笑んだその横顔は、いかにも寂しく映った。

「誕生祝いには必ず来てよ」

 エンマは小さいが厚ぼったい掌で、マルタの色褪せた水色の服の背をトンと叩く。

「あたし、お裁縫、まるでダメだから、赤ちゃんの服、よろしく頼むわ」

 エンマの語調は相変わらずカラッとしていたが、クリッとした茶色の目にはどこかしら労(いた)わるような気配が漂っていた。

「もちろんよ」

 マルタも軽口めいた声で応じるものの、薄青い瞳は俯いたまま、相手を向くことはない。

 眺めるエンマの顔に、痛みが走った。

「それにしても早いわねえ」

 エルザはもうたくさんだという風に大げさに息を吐いた。

「去年の今頃があんたたちの式で、今年があたしたち」

 自分に視線を寄越したエンマに向かって、エルザはどこか挑むように花冠の頭を傾げる。

「あんたももうすぐ母親になる」

 エンマとマルタの顔つきがそれぞれ固くなるのと入れ替わるように、エルザは声を上げて笑った。

「おめでたいことが続いて本当に良かったわあ」

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