町民の婚礼(六)
酩酊した花嫁の高笑いが響く中、色褪せた水色の服を纏ったマルタは低く呟いて拳を握り締める。
「本当に……あんたって……」
荒れた手の拳が微かに震えた。
「ちょっと、酒飲み過ぎちゃってるから」
新郎のヨセフは新婦の代わりに詫びる風にマルタに声を掛ける。
「エルザ、今日は皆の前で緊張して飲み過ぎたん……」
「フエン、フエーン」
不意に広間の別の一角から泣き声が上がった。
皆の視線が一斉にそちらに移る。
「マイケンが泣いちゃった」
ペーテルは苦笑いすると飲んでいたスープのスプーンを置いて背中の赤子を下ろした。
「フエエエン」
いっそう勢い付いて泣き出した赤ん坊を少年は慣れた風に抱きかかえて揺らす。
「ほらほら、大丈夫だよー」
「お祝いの席で泣いちゃダメー」
隣に座っていたマリアも泣いている赤子を覗き込んでおどけた顔を作る。
その様子を目にすると、周囲の客たちの表情も和らいだ。
「ウフフ」
赤ん坊はニッコリ笑った。
「笑ったあ」
ペーテルとマリアは同時に言うと、互いの顔を見合わせて微笑む。
「若夫婦だな」
リュート引きは冷やかす風に呟くと、今度は子守唄じみた優しい曲を弾き始めた。
「じゃ、お幸せに」
リュートのたおやかな音色が何小節か過ぎた辺りで仮面じみた笑顔を浮かべたマルタは花嫁に告げる。
「どうもありがとう」
花冠のエルザもどこか飽いた風な、酔いの醒めた顔で頷いた。
「ありがとう」
花婿は鳶色の瞳を伏せて応える。
それをしおに白いナプキンに褪せた水色の衣を纏った娘は踵を返した。
身重のエンマは花嫁の母が新たに運んできた椅子に腰掛けつつその様を痛ましく見守る。
「帰るわよ」
「え?」
姉の言葉に座ってペーテルと共に赤子をあやしていたマリアは目を丸くした。
「だって、まだ……」
言いかけた妹の肩をマルタは掴むと再び告げる。
「帰るの」
薄青の目も声も静かだが氷のように冷たかった。
「分かった」
マリアは声を落として立ち上がる。
「じゃ、またね、ペーテル」
「またね」
赤ん坊を抱きかかえた少年は連れ立って婚礼の場を去っていく姉妹を見送る。
戸口から初夏の眩しい陽射しの下に出た二人の後ろ姿は一瞬、影そのもののように黒く浮かび上がって遠退いていく。
ペーテルはエメラルド色の瞳をじっと凝らしてその様子に見入った。
「お代わりいるかい?」
背後からの声に我に返った少年は振り向いてまた微かに凍り付いた。
振り返った先では、花婿が湯気立つスープの鍋を手に寂しい笑顔を浮かべていた。
その向こうでは、神父が灰色の瞳に謎めいた光を宿してこちらを眺めている。
「ああ、お願いします」
ペーテルがぎこちなく頷くと、ヨセフはじゃが芋を煮込んだスープを皿に新たに注ぎ込んだ。
「たんと食べていっておくれ」
侘しい声で語る花婿の肩越しに少年が再び見やると、神父は杯を片手に他の客と談笑しており、そこにはリュートの音色が優しく流れるのどかな婚礼の風景が広がっていた。
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