イカロスの翼(二)
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日が暮れなずんで、藍色の薄闇が辺りを包んでいる。
マリアはもう指の一節分くらいの大きさしか残っていないチョークを一心に動かしていた。
路面に描かれた天使の姿が薄暮の路地に白々と浮かび上がっている。
父さんの翼が完成するまで、あと、もう少しだ。
ふと、微笑んでいる天使の顔に蒼い影が差す。
マリアは思わず顔を上げた。
「なあんだ、ヨセフさんか」
マリアは思わず拍子抜けする。
「なあんだとは、ご挨拶だな」
影の主は大きな鳶(とび)色の目を見張って、小さく肩を竦めた。
十八歳のヨセフは、成人としては中背の部類だが、全体にずんぐりした体つきといい、鳶色の目と髪といい、羽をくれたペーテルとは似ても似つかない。
「せっかく、いいものを持ってきたのに」
ヨセフはもぞもぞと手に持った包みを抱え直す。
そうすると、ふわりと甘い、バターとミルクの香りが辺りに広がった。
マリアも思わずそちらに目を上げる。
「ヤンセンさんとこのワッフル、君んちも好きだよね?」
上目遣いに窺う様にして、少なくとも嫌いじゃないよね、とヨセフは念を押す口調になる。
「あたしは大好きだけど……」
マリアはしゃがんだ格好のまま、青年の蔭の被らない位置に移動する。
しかし、それでも路地に描いた絵は見やすくはならない。
白墨で描いた天使の笑顔を浸す闇は、藍色から濃い紫へと転じつつあった。
「あの、マルタは……」
背後からヨセフの声がおずおずと続く。
「姉さんなら、教会だよ」
訊ねられるであろう問いに少女は先回りして応える。
今度は膝をつき、まるで、地面に描かれた羽に口付けでもするかの様に鼻先すれすれまで地面に小さな顔を寄せる。
画中の天使の目許にすっと笑い皺を入れると、天使は晴れやかな美青年から一足飛びに父親の顔に近づいた。
「じゃ、そろそろ帰ってくるかな」
ヨセフは問い掛けより願望を述べる調子で呟くと、柔らかに甘い匂いを放つ包みを改めて胸に抱きしめた。
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