第9話 【2】ー5
買い物をしながら話の続きをすることに決めた自分たちは、まだ見回っていない三階に足を運んだ。
オールの三階は電化製品と家具が主に取り扱われており、ここには朱花が普段使う家具などを見に来た。
「家具屋見てると、一度でいいからベッドやソファーを買いたいって思っちゃうな」
並べられた大型家具を眺めながらそんなことを呟いてみる。
こんな大きな物を自分の家に置けるわけがないとわかってはいるものの、使ってみたいという欲求を消すことはできない。
といっても、自分の家の敷布団や座布団に文句があるわけではない。ただ単に、自分の好むアダルトなゲームではベッドやソファーが使われることが多いので、それに憧れているだけである。残念ながら現在はそれらの家具を使う相手もいないので、家に置いていても邪魔なだけだが。
「敷布団は敷布団で趣があると思いますよ。それに片付けられますから、部屋がすっきりしますし」
実家ではベッドを使っていたという朱花は、敷布団をそう評した。彼女は自宅では、自分の部屋にソファーやベッド、それに勉強机と本棚まで揃って冷暖房完備だったそうだ。なので葛見の家は狭すぎて窮屈に感じていないかと心配していたが、どうやらそうでもないらしい。
「敷布団を気に入ってくれたなら良かったよ。朱花はお嬢様って感じだったから、庶民の家は辛いんじゃないかと不安だったんだが」
俺のその言葉を、朱花は首を横に振ることで否定した。
「そんなことありませんよ。むしろ居候の身に過ぎない私に、みなさん良くして下さってもらっているので助かります」
朱花が言うには、他人の家に泊まったことは初めてなので身の振り方がわからなかったが、母さんや俺が積極的に接してくれるのですごしやすいとのことだ。
自分としてはたいしたことはしていないつもりなのだが、朱花がそう思ってくれるならもっと手伝ってやろう、とやる気が出る。
「朱花が不自由無いなら良かったよ。まあ必要な家具があればここで買えばいいから」
と言ったのだが、結局朱花が必要としたのは彼女の教科書を収めるための本棚だけだった。
あまり自分の身の回りの物には興味が無いのだろうか、と思ったが、朱花の本棚を選ぶ様子を見ているとそれが間違いであったことがすぐにわかった。
「……商品をじっくり見てるけど、もしかして朱花って買い物好きか?」
売り場にはいくつもの本棚が並んでいるのだが、その一つ一つの色やサイズを朱花は吟味し始めた。一つの本棚を見るためにかける時間はおよそ一分。買い物に時間をかけない自分としては、朱花の商品を見る目とその集中ぶりには少し呆れてしまう。
「買い物はあまりしませんが……これからずっと使う物なので、しっかり選ぼうとは思っています」
と言いながら、商品から朱花は視線を外さない。
こんなに熱心に買い物するなら、他の売り場ももっとゆっくり見て回ってあげた方が良かったかもしれない。
「……ところで祐人さん。先ほどの話の続きなのですが――」
ここで朱花の言う話とは、魔法の話の続きであることは明白である。
彼女が集中していたのでその話をするのは気が引けていたのだが、そちらから話してくれるというなら願ったり叶ったりといったところだ。当然俺は静かに彼女の次の言葉に耳を傾ける。
「これからお話するのは、固有魔法についてです」
「ああ、女性の悪魔しか使えないってやつだよな」
朱花の書いた樹形図では、通有魔法と同じ高さの項目として書かれていた魔法だ。使う悪魔によってその効力が変わるらしいが、もしかするとサキュバスが使うような魔法もあるかもしれない。いや、むしろ女性にしか使えない魔法というのだから、そういう魔法ばかりであって欲しい。
そんないやらしい期待を込めて朱花を見るが、当の彼女は本棚を見ているので俺の思惑には気づくそぶりも見せない。
「生まれつき持っている固有魔法は、一人の悪魔につき一種類です。その魔法の効果は家ごとに異なるのですが――」
そう言いながら朱花は触っていた本棚から手を離し、その手を俺の右手の方に持っていく。そして俺の右手首を左手で持ち、右手で俺の人差し指を軽く
「私の家系が使える固有魔法はこれです」
朱花が魔法を発動させたのだろう。俺の指を何か暖かいものが通り抜けた感覚が走り、それと同時に自分の人差し指の爪が赤色へと変化した。
「うおっ。なんだこれ」
自分の身体のありえない変化にも驚いたが、最も驚いたのは朱花の手の柔らかさである。思わず握り返したくなるほどの柔らかい手触りには興奮を禁じ得ない。それに、俺の指を朱花が親指と人差し指で握っているという絵面がかなり危ない。
——なにかイケナイことを連想してしまう。無防備すぎるぞ朱花。
と、そのように俺の心の内が波立っているとは知らない朱花は、表情を変えず説明を続ける。
「『
言い終わると朱花は俺から手を離し、それと同時に俺の爪も元に戻る。俺は朱花の手の感触と名残惜しい気持ちで別れを告げ、朱花の話に意識を戻した。
「悪魔の魔法って、もっと炎とか氷とか盛大に振りまくと思ってたんだが……言っちゃあ悪いが、ぱっとしないな」
魔法というものは、人間の理解の範疇を越えるような禍々しいものか、世の思春期男子が待望するような淫らなもののどちらかだと考えていた。だが、どちらの妄想も打ち破られてしまったので、残念で仕方がない。
とりあえず朱花は、サービス精神旺盛な固有魔法を持った悪魔を紹介してくれ。ただし美女に限る。
「そのような魔法を持った悪魔もいるとは思いますが、少なくとも私はできませんね。……あ、でも祐人さんが喜ぶことはできるかもしれません」
少しの間考えた朱花は、何かを思いついたような表所を見せる。
「なんだ?」
「変化魔法を付与して、祐人さんの身体を透明にすることができます」
「詳しく教えろ」
あまりのことに自分の本能が理性を振り切ってしまった。
「透明、といっても通有魔法が効くのは肉体のみなので、服を脱がなければなりません。でも殿方にとっては十分魅力的な魔法かと」
透明化。
これはもはや全男子の悲願といっても過言ではない。俺も中学生の頃に将来の夢として、透明人間になりたいと書いたことがある。
なるほど。変化魔法を他人に譲渡できる朱花の魔法ならその夢を叶えることも不可能ではないということか。
「素晴らしすぎる――ん? いや待て」
そこで自分は一つの違和感に気づく。
「なんで朱花は、透明になれると俺が喜ぶと思ったんだ……?」
彼女の性格から察するに、そのようなエロネタを知っているとは思えない。なのに彼女は少し考えただけでその発想に行きついたのだ。
何か嫌な予感がしながらも、その疑問を俺は口にする。
「いえ、昨日見た祐人さんの本に載っていたので」
——こいつ、本の中身まで見てやがった……!
朱花から返ってきた答えは、自身にとって最悪のものだった。
「朱花。とりあえず昨日見たことは全て忘れるんだ。そして二度と俺の部屋に入っちゃいけないぞ」
「? 昨日見たことというと、壁に女性がはまってしまった話なども含みますか?」
まるで俺が壁尻・壁埋めモノ好きみたいに聞こえるからやめなさい。
「俺の部屋で見たことは全て忘れるんだ、いいな?」
嫌な汗が止まらない俺の台詞を聞くと、朱花は素直に頷いた。そのときの朱花があまりにも純真な瞳をしているものだから、対照的に自分が汚らわしい存在のように感じる。
「あー、そういやさ、襲撃してきた相手の魔法って
できるだけこの話題から離れたい俺は、自分でも強引だと思わざるを得ない話題転換を行う。しかし朱花は気にした様子もなく、再び本棚の選別をしながら俺の質問に答えてくれる。
「確証はありませんが……おそらく、ポゼッションという魔法かと思われます」
「ポゼッション?」
聞き慣れない単語が朱花の口から飛び出し、自分の頭に疑問符が浮かんだ。
「はい。訳すと『憑依』ですね。文字通り、他の生命体に憑りつく魔法です」
小さな女の子が好きそうな、リボンを付けた白猫が描かれた本棚を真剣に見つめながら朱花が話す。俺ですら知っているほど有名なキャラクターだが、朱花がこういうキャラ物が好きだとは想像だにしなかった。
「じゃあ、あの男性たちには悪魔が憑りついていたのか」
今朝の襲撃を思いだすと今でも寒気が走る。朱花に戦闘能力が無ければ、下手をすれば殺されていたかもしれないので、彼女には感謝してもしきれない。
「そうですね。といっても相手は遠隔操作していただけですが」
意味あり気な朱花の発言に、すぐさま自分は質問する。
「遠隔操作してただけってどういうことだ?」
朱花と話していて思うことは、彼女は他人にわかりやすいように話してはいないということだ。俺が知っているはずがない単語を気にせずに話す上、それについて説明しようとはしない。おそらくは自分の考えをただ単に言葉にしているだけなのだろう。彼女自身そのことに気づいており、改善しようとはしているようだが、人並みに話すことができるようになるにはまだ時間がかかる。
なので朱花と話すときは、わからないことがあれば遠慮なく質問することにしている。結果彼女との会話の内、半分ほどが俺の質問を占めてしまっているが、仕方のないことだと考えている。
「
質問ばかりして申し訳ないと思わないでもないが、当の朱花は質問攻めをなんとも思っていないようなので、俺も気楽に訊ねることができる。
「なので憑依といっても、単純な命令を送ることしかできません。今回で言えば『
そう話しながらも朱花は商品選びを進めている。
どうやら、キャラクターは描かれているものの無難な色合いをしている本棚に決めたらしく、朱花は似たような本棚を見比べている。どちらも白猫が擬人化したキャラクターが描かれているので、朱花がこのキャラを気に入っているのは間違いない。
「イメージとしては……ラジコンみたいなもんか」
自分の頭の中に想像されているものは、遠隔操作が可能な小型のマルチコプターである。といっても、『憑依』はコントローラーで対象を操作しているわけではないだろうが。
「……私も『憑依』が使えるわけではないので具体的な操作方法まではわかりませんが、そのイメージは間違っていないと思います」
命令を送ることしかできないなら、当初自分が想像していたよりも使い勝手が限られてくる魔法なのかもしれない。
もし俺がその魔法を得たならば、間違いなく水泳部の女子高生に憑依し、更衣室で露わになった若い肉体を存分に鑑賞しようと思っていたのだが――話を聞く限り、憑依先の映像を見ることができるか怪しい。それならば、『
「祐人さんの場合は、『仮契約を結べ』と命令されたのだと思います」
それが、俺に悪魔と契約した覚えがなかった理由だと朱花は説明する。
彼女はなんともないように言っているが、契約を結ぶ間とはいえ自分の身体が他人に操られていたと考えるとゾッとせずにいられない。
「……『憑依』のことはよくわかったけどさ、なんで朱花はそんなに詳しいんだ? しかも、相手の魔法が『憑依』だってわかってたみたいだし」
相手の固有魔法についてだけではなく、その奥の手まで知っているというのは引っかかるものがある。
「相手の魔法が『憑依』だとわかったのは、今朝の男性たちに触れたときですね。彼らの身体から、別の存在の魂を感知したので、『憑依』の魔法だとわかりました」
言いながら、朱花はついに購入する商品を決めたようで、財布の中身を確認している。彼女なら見た目ではなく機能性で身の回りのものを選びそうなイメージだったのだが、彼女の持つその財布は柄付きのカラフルな可愛らしいものだったので、少し意外感を抱いてしまった。感情が希薄だからといって冷たいイメージを持つのは間違っているかもしれない。
「『憑依』の魔法について知っていたのは、単純に有名だからです。『憑依』を使うケンフェルト家は、悪い意味で有名ですので」
ケンフェルト家は悪魔社会において左翼で有名であり、悪魔の政府に危険視されていると朱花は話す。なので今回の相手が犯罪まがいのことをしているが、ケンフェルト家の悪魔であることを考慮すれば何の疑問もないとのことだ。
「魔法が有名ってより、その家系が有名ってわけだな」
悪魔にも革新的な考えを持つ派閥がいてもおかしくはないと思うが、悪魔の左翼とはどのような主義主張を持っているのかは興味がある。
「そうですね。由緒ある過激派の家系でもあるので、くれぐれも気をつけて下さいね」
皮肉を言っているつもりは本人にはないのだろうが、無表情の朱花が放つその言葉に不覚にも笑ってしまった。
「ああ、気を付けるよ。——あ、店員さん呼んでくるよ」
もう少し話を続けたかったが、朱花が商品を選び終わったので一度切り上げることにする。
少し歩くと、何やら作業をしているらしい店員の姿が視認できたので、声をかけて朱花のいるところまでついてきてもらう。
朱花と店員が言葉を交わした後、会計のためレジへと案内される。その店員は正社員ではなく、アルバイトなのだろう。俺たちと同じくらいの歳だと思われる若い女性店員は、レジにいた年配の男性に話しかけ朱花の購入する商品を知らせる。
女性店員が俺たちに背を向けたそのとき、彼女の背中に、蜘蛛の糸のような細い何かが付着していることに気がつく。
「……朱花」
「? 何ですか?」
知り合いでもない女性に話しかけるのは勇気がいるので、ここは朱花に糸について指摘してもらおう。
「あの女の人の背中に糸か髪の毛かがくっついてるからさ、教えて取ってあげてくれよ」
こういう状況に直面したときこれまでなら無視していたが、今は朱花がいるので無視して自分の良心を痛めることなく解決できる。
朱花を使うようで申し訳ないが、今日ミントジュース奢ってあげたからそれでチャラにしてくれ。
「どこでしょうか。私にはよく見えないですが」
「ほら、肩甲骨の間ぐらいのとこ」
――指差すのは失礼なので、口で朱花に糸の場所を教える。その間に女性店員と男性店員の会話は終わったらしく、女性店員がその場から離れようとする。
「あ、待って下さい。背中に糸くずが付いていますよ」
朱花がその店員を呼び止め、彼女の肩甲骨あたりに手を伸ばす。しかし、正確な場所は分かっていなかったのか、広い範囲をパタパタと叩いただけだった。
「すみません、ありがとうございます」
女性は朱花の行動に少し驚いているようだったが、朱花が手を止めた後に礼を言って今度こそその場から立ち去った。
「お待たせしました」
その後、レジにて無事商品を購入することができた。
最初は本棚を配送してもらおうかと思ったのだが、朱花がこのくらいは持てる、と言い結局自分たちの手で持って帰ることとなった。今朝までの俺なら朱花の言葉を否定していたが、魔法を使って怪力を発揮できることを知っているので朱花の申し出に甘えることにした。
「買い物リストも制覇したし、時間もちょうどいいから買いたい物があればまた今度にするか」
時計を見るとすでに正午を超えており、腹の虫も鳴き始めた。荷物も多い上、朱花には寝不足と、こちらに来たばかりで疲れもあるだろうしひとまずは帰宅した方が良いだろう。
「……」
そう思い朱花に声をかけたのだが、なぜか彼女は本棚を片手で持ち上げたまま押し黙っていた。
「? おーい、朱花?」
妄想でもしているのだろうか。歩きながら本を読むことと、妄想をすることは身の危険につながるから止めておいた方が良いと経験から知っているので忠告してやろうか。
いや、そもそも俺のようにいきなり妄想し始める輩は少ないのではないだろうか。妄想ではなく、普通はただの考え事か。
「……祐人さん、あの女性は知り合いですか?」
すると、考え事から戻ってきたのか朱花が俺を見上げた。
「いや、初対面だ。それがどうしたんだ」
あの女性に何か気になるところでもあったのだろうか。俺も女性店員の容姿を思い出すが、特別変わったところはなかったように思える。
そう呑気に考えていた自分だが、朱花の次の言葉で一気に警戒を強めることとなった。
「彼女も、祐人さんと同じ悪魔と仮契約していました」
俺はどうやら、その悪魔と奇妙な縁があるらしい。
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