第7話 【2】ー3

 ショピングモール『オール』。名前の由来は英語のallから来ており、『全ての商品がここで揃う』という意味を持つ。

 一見大仰な由来のように感じるが、食品売り場や洋服店はもちろん、旅行代理店などの第4次産業まで参入しているため、ここで買えない物はないと言えるほどである。ここなら朱花の新生活用品も簡単に揃えることができるだろう。

 多様な小売店が参入しているためオールは他の店が少ない田舎では重宝されており、この地方でもそれは例外ではなく平日休日問わず客は多い。

 今日は平日だが、春休み中のため主婦や老人だけでなく、学生らしき人たちが多く見られる。

 考えていたよりも客が多いから、朱花が迷わないようにしないとな――そう内心呟く。

「……しかし、目立ってるな」

 これは、朱花のことである。

 身体は小さいが、朱花はその不思議な存在感や色素の薄い髪色が目立ち、周囲の視線にさらされている。女優顔負けの整った顔立ちや肌の白さもそれを手伝っている。

 普段の自分ならば、多くの視線に居心地が悪くなり視線から逃げるように買い物を済ませていただろう。だが今日は襲撃を警戒しているため、人目が多い場所の方が安心する。これだけ監視の目があれば、下手な事件に巻き込まれることはないだろう。

「なにかありましたか?」

 周りの視線を一身に受けている張本人の朱花は、そんなことには慣れているのか、周りの視線には気づいていないのか、涼しげな顔をして歩いている。

 先ほど襲撃を受けたばかりだというのに、緊張感の欠片もないのは大胆不敵というか、能天気というべきか。実際は、ただ何も感じていないだけなのだろうが、わかっていてもそう思わざるを得ない。

「いや、なんでもないよ。んで、なにが欲しいんだ?」

 朱花の様子を見ていると、警戒に神経をすり減らしている自分が滑稽に見えてきたので、意識を買い物の方へ移す。

 そう、今日の本来の目的は悪魔からの襲撃におびえることではない。家を出るときは美少女との二人きりの買い物だとうきうきしていたぐらいなのだ。悪魔のことは置いておき、今はこの状況を愉しむこととしよう。

「ちょっと待って下さいね。今確認するので」

 そう言うと朱花は、ポケットから折りたたんだメモ用紙を取り出した。昨夜、母さんとともに作った買い物リストだ。

 朱花は俺の家に滞在するにあたり、キャリーバック一つと大きな肩掛けカバン一つ分の荷物しか持ってきていない。その中にはほとんど衣服しか入っていないらしいので、必要な物は多いだろう。

 どこから案内すべきか、そう考えていると。

「——そうですね、まずは生理用品が欲しいので、薬局に行きたいです」

 初っ端からなかなかぶっ飛んだことを朱花は口にした。

 前言撤回、今すぐ人目から逃げ出したい。そんな現実逃避を考えながら、数秒間硬直してしまう。

「朱花、そういうことは、俺の前で言わない方がいいんじゃ……」

 硬直した状態から脱することに成功した俺は、まるで自分が悪いことをしたような気まずさを覚えながら小声で朱花と話す。

 幸い、朱花の発言は周りの人々には聞かれていないらしく、特に周りの様子が変化してはいない。

「? なぜですか?」

 なぜ、と言われましても。

 おそらく朱花は、この手の話をしても羞恥心を感じないのだろう。それはわかるのだが、人前で話すべきかようなことではないと母親に教えられなかったのだろうか。

「いや、ほら、男性の前でそういう話をするのって、女性にとっては恥ずかしいことだから……」

 そう言いながら俺も恥ずかしくなり、つい朱花と視線を逸らしてしまう。

「恥ずかしい、ですか。……なるほど、恥ずかしいのですね。わかりました」

 朱花は俺の言葉を頭に刻みつけるように何度も繰り返しながら頷いた。そしてその後、頭を下げて謝罪の意を示す。

「すみません、祐人さんを煩わせてしまって。もっと気を付けます」

 そこまでされると他人の視線をより集めやすくなってしまうので、すぐに彼女の頭を上げさせる。

「そんなに気にしなくても大丈夫だって。とりあえず1階を案内しながらドラッグストアに連れていくよ」

 そう言うと、朱花はおとなしく俺の隣をついてきた。黙っていれば隣に立つのにも気後れしてしまうほどの美しさなのに、彼女は口を開くとたまに大ボケをかましている気がする。

「祐人さん」

 衣類店の間を抜け、1階の最も端に位置する薬局に向かっている途中、少しの間黙っていた朱花が俺に声をかけてきた。

 そのタイミングがちょうど女性下着コーナーを横切るときだったので、少しそちらの方を意識してしまったことを指摘されるのかとヒヤヒヤしたが、その内容は全く違うものだった。

「これからもご迷惑をかけることがあると思うので先に申しておきますが――私は人の感情がわからないので、もし場違いなことを言っていたら遠慮なく指摘して下さい」

「……ああ、まあなんとなくそんな気はしてたよ」

 朱花が他人とずれていることには薄々気づいていたので特に驚きはしない。

 というより朱花にありのままでいろと言ったのは自分なので、謝られることもないと思うのだが。

「指摘していただければ私も何が良くて何が悪いのかを理解できるので、助かります」

 朱花は周りの様子を見て、感情表現のやり方を覚えたと言っていた。しかし見て真似るだけでは限界があるのだろう。今までは家族に指摘されてきたのだろうが、その家族とも離れ離れで生活しなければならない今は、俺や母さんが教えてあげるしかないのだ。

「もちろん。変なこと言ったらその度につっこんでやるよ」

 話している間にドラッグストアが正面に見えてくる。

 隣には本屋があるので、朱花が買い物をしている間はそこで時間を潰しておくか。

「ありがとうございます。……とりあえず、買うもの買ってきますね」

 十数分後、朱花が紙袋の入ったビニール袋を手に提げ店から出てくる。

「お待たせしました、祐人さん」

 本屋で雑誌のグラビア写真を鑑賞していた俺は、もちろん朱花に見つかる前に薬局の前に戻ってきている。

「無事買えたみたいだな。じゃあ次行くか」

 朱花お手製の買い物リストを二人で覗き込み、次の目的地を考える。

「んー、とりあえず一階で買える物から買っていくか」

 メモ帳の中には、男の自分ではどこで買うことができる物なのかわからない物もあるので、階層毎に購入していくことにする。

 俺が歩を進めると朱花もその隣をついて歩く。小柄な朱花が傍を歩く姿は、小動物がご主人の後を追うようで可愛らしい。といっても、その彼女は鉄面を張り付けたような無表情なので少し冷たい印象も受けるが。

「祐人さん」

 何かを訊きたそうに朱花が声をかけてくる。

 俺に呼びかけるとき彼女は律儀に必ず俺の名前を呼ぶのだが、若い女性の声に名前を呼ばれ慣れていない自分にとっては呼ばれる度にドキッとしてしまう。自分が慣れればいいだけの話だが、そこまで名前を呼ばなくてもいいのにとも思ってしまう自分もいる。

「どうしたんだ? なんか欲しいもんでもあったのか?」

「いえ、素朴な疑問なのですが……祐人さんの好きな食べ物は何ですか?」

 フードコートの方に視線をやりながら朱花はそう言う。

 ただの雑談がしたいらしいということはわかったので、俺も方に力を入れずに話をする。

「好きな物かー、なんだろな……あ、オムライスは好きだな」

 あまり自分は食べ物の好き嫌いがある人間ではないので答えに迷ったが、自分が外食でもよく注文する物を一つ上げてみる。

「オムライス、ですか。上にかけるとしたら何が好きでしょうか」

「んー、チーズとかデミグラスソースとかも好きだけど、やっぱケチャップかな」

 小さい頃に母さんがケチャップオムライスを作ってくれることが多かったので、その味が自分にとっては慣れている味だ。初めてデミグラスソースのかかったオムライスを食べたときは感動したが、結局はケチャップに戻ってしまった。

「でも特に好きなのはミニオムライスかな」 

 その味を思い出しながら話すと、思わず口内によだれが出てしまう。

「ミニオムライスとは何ですか?」

 聞いたことの無い言葉に朱花が首をかしげる。彼女の反応は当然であり、ミニオムライスというのは母さんオリジナルの料理だ。たこ焼きくらいの大きさの丸いケチャップライスをいくつか作り、薄く焼いた卵でそれらを一つずつ包むというものであり、幼い頃の自分は一口サイズのそれを口いっぱいにほおばったものだ。しかしそれを作るには手間がかかるらしく、母さんが夜勤をするようになってからは食卓に並ばなくなったのだ。

 そんな思い出を頭によぎらせながらミニオムライスの詳細を朱花に伝えると、彼女は何度か頷いた。

「なるほど、祐人さんにとっての思いでの品なんですね」

「まあ、そうなるかな」

 思い出の品、という言葉を使うと美化され過ぎる気もするが、記憶に残る一品であったことは間違いないので否定はしない。

「朱花はどうなんだ? そういう、思い出に残るような料理ってやつあるか?」

「そうですね……強いて言うなら、べろべろがそれに当たりますね」

「べろべろ……?」

 朱花もまた聞き覚えの無い料理を挙げる。

 名前から察するに舌に関係のあるものだろうか、と推測を立てる。

 しかし名前が「ぺろぺろ」だったら卑猥で良かったのに……残念で仕方がない。もっというなら、「びらびら」の方がいやらしい。

「べろべろというのは、私の地元の郷土料理です。料理、というより私はおやつのように食べていましたが」

 朱花によると「べろべろ」というのは、しょうがや調味料をとかしただし汁に卵を加え、それを寒天で固めた料理らしい。彼女はそれを一口大の板状に切り分けおやつとして食していたそうだ。

「私がせがんだら、ウチの家政婦が作ってくれたのを覚えています」

 昔を懐かしみ、朱花が常より少し優し気な声を出す。

「そうか、朱花の家では家政婦さんが料理してるんだな」

 彼女の家はお手伝いさんを含めた三人暮らしだということ思い出す。家政婦を雇うことができる家庭と知ったときは驚いたものだ。

「あれ、でも朱花も料理できるんだよな。料理手伝ってたのか?」

 昨日の晩御飯の味はなかなかのものだった。普段料理をしていなければできないほど手際良く作っていたので、実家でも料理を手伝っていたのだとばかり思っていたのだが、違うのだろうか。

「実家の料理を手伝ったことはありません。ただ、祐人さんのお宅に居候させてもらうと決まったときから、家政婦の方に料理をはじめとした家事を習い始めたんです」

 居候させてもらうのに家事も手伝えないのは申し訳ないですから、と朱花は言った。

「偉いな。俺は料理できないから、ほんとに凄いと思うよ」

 仕方なく料理を覚えるならまだしも、自発的に料理を習得しようとする姿勢は尊敬に値する。自分も朱花を見習わなければ。

「祐人さんもやろうと思えば、すぐにできるようになると思いますよ」

 謙遜と励ましの混ざった台詞を朱花は口にした。しかし淡々と言っているので、励ましには聞こえないのが残念ではある。

「そうかな――っと、そろそろ一階は見終わるけど、欲しい物はなかったか?」

 話している内に入り口近くまで二人は戻ってきてしまった。一階は食品売り場が大半を占めているので、朱花が買いたそうな物はあまりなかったかもしれない。

「ノートやルーズリーフが欲しいのですね」

 朱花が正面にある文房具売り場を指差す。朱花がこちらの家に持ってきた文房具といえば、筆箱ぐらいなので必要な物は多いのだろう。

「よし、じゃあここに入るか」

 荷物が多くなりそうなので、近くにあった買い物カゴを手に取り、売り場の中へと入って行った。

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