第6話 【2】ー2
「……? 何だったんだ?」
状況についていけていない俺の頭の中では、疑問符しか浮かばない。わからないことを考えても仕方がないので、朱花に直接聞くことにする。
「どうやら彼らは、どこかの悪魔に操られていたみたいです。あの男の人に拘束されたとき、彼の身体から悪魔の存在を感知しました」
自分の髪から粉を払いながら俺に近づく朱花は、何を考えているかわからない無表情をしていた。
「ってことは、俺たちは悪魔に襲われたのか?」
悪魔に襲われる理由など思いつかない。何が起きているのだろうか。
「はい。そしておそらくその悪魔は、祐人さんと契約していた悪魔でしょう」
そう言いながら、朱花は襲われる以前と同じ様子でショッピングモールの方角へ歩いて行く。
「おい、ちょっと待て。なんでそんな何事もなかったかのように振る舞ってられるんだよ」
朱花は少し抜けているようなところがあるとは思ってはいたが、他の悪魔に襲われても平気というのはマイペースすぎだ。それとも悪魔にとって襲われることは日常茶飯事なのだろうか。
「? いえ、もう開店時間が過ぎてしまっているようなので、急がなければと思ったのですが」
悪魔と人間という違いはあるが、それ以上に朱花は俺の感覚とずれている気がする。
「いや、そんな平然としてていいのか? だって、悪魔に狙われてるんだろ俺たち」
命まで狙われているかはわからないが、少なくとも害意のある悪魔の標的になっているには違いない。その中で普段通りに振る舞えるわけがない。
「でも、誰に狙われているのかわからないなら、どうしようもないですよ。それに、人気のない所にいればまた襲われるかもしれませんし」
そう言われて、今も周りに自分たち以外の人がいないことに気が付く。
「……なるほど、人の多い場所なら、相手も狙いにくいってことだな」
「そういうことですね。周りのことなど何も考えていない悪魔なら別ですが、この悪魔はわざわざ人通りの少ない道で仕掛けてきましたから。目立つことは避けたいみたいです」
そこで朱花の行動にも幾分納得ができ、ともにショッピングモールへと向かう。
「でも、なんでその悪魔は俺たちを狙ったんだ?」
その悪魔のことを考えると、また襲われるのではないかという不安が募り、無意識の内に足早になる。朱花曰く、俺と知らぬ間に契約していた悪魔らしいが。
「……あくまで推測なのですが、原因は私にあります」
すると、朱花がやけに重そうに口を開く。未だ無表情を保っているが、その心の内では思うところがあるのだろう。
「昨日、祐人さんが他の悪魔と契約しているとわかったとき……その、反射的に、私の魔法で契約を解除してしまったんです」
小さい身体をより小さくして朱花が下を向く。表情の変化は見られないが、これは彼女なりに落ち込んでいるポーズなのだろうか。
「それって不味いことなのか?」
どうやら朱花が落ち込んでいるようなので、雰囲気を変えるためこちらは努めて明るい声を出す。
感情が希薄である彼女が他人にわかるような感情表現をしているということは、かなり反省しているのだろう。
「はい……。他の悪魔の契約を無理やり解除するなんてあってはならないことです。人間の世界でも、他人同士が交わした契約書を破るのはダメでしょう?」
そう説明されると、朱花が落ち込むのも理解できる気がした。
他人の約束事を第三者の朱花が破ってしまったのだ。褒められた行為ではないだろう。
「……それは、そうだな。ということは、契約を破られたからその悪魔が怒って、朱花を襲ったのか?」
そう考えると、操られた男たちが朱花ばかりを執拗に狙った理由もわかる。
そうなると自分は巻き込まれた形になるが、たいした怪我も負っていないので特に文句はない。
「そうでしょうね。でも、それだけが理由ではないでしょう」
と、先ほどまで俯いていた朱花が顔を上げ、重かった口調もいつもの淡々としたものとなる。
朱花が常の状態に戻ったことに
「十中八九、相手は犯罪者です。私を襲ったのは、私がどんな悪魔か確認するためでしょう」
「えっ?」
朱花の口から出てきた言葉は、全く想像もしていないものだった。
無表情の朱花が放つ犯罪者という言葉は、字面以上の重みを自分に与える。
「私が一方的に悪いなら、悪魔本人が文句を言いに来ればいいだけのことです。しかし、手段として魔法で操った人間による暴力を使ってきました。これはおそらく、自分の正体がバレたくない悪魔の仕業です」
自分だけが悪くないと確信したためか、途端に雄弁になる朱花。
なんかこういうところは年下らしいな、と朱花のことを可愛く思いながら話の続きを聞く。
「祐人さんが『契約した覚えがない』とおっしゃっていたときから考えていたのですが、その理由は相手の悪魔が魔法で祐人さんを操って無理やり契約を結ばせたからではないでしょうか。そんなことをするのは契約者にすら自分のことを知られたくない犯罪者だけですから、そう考えると納得できます」
動揺した朱花はいっぱい喋る。よく覚えておこう。
「——で、結局、悪いことしてたのはむしろあっち側だったってことか」
「……たぶん、ですが」
一通り自分の考えを話して落ち着いたのか、朱花は今度こそ普段通りの調子に戻った。昨日とは違った朱花の一面が見ることができてあれはあれで楽しかったのだが、そんなことを口にすれば朱花に怒られてしまうだろう。
「犯罪者って、そんな奴に目を付けられたら不味いんじゃないか? 警察とかに知らせたほうが――って無理か」
そう言ったところで、悪魔のことをどう警察に説明するのかと気が付く。だが、悪魔の犯罪者など自分たちの手に負えることではないだろう。
「一応、悪魔の世界でも警察のような組織はあるのですが、頼るのは最後の手段とした方が良いですね」
悪魔の警察、と聞くと映画などの影響で祓魔師(エクソシスト)のようなものを想像してしまう。もしかすると、犯罪者だけではなく普通の悪魔にも害となる組織なのかもしれない。
「頼れないってなら、現状はどうするんだ」
「今は放っておくしかないでしょうね。もしかすると相手の悪魔は私のことを、自分を捕まえに来た者と思っているかもしれません。なら相手から逃げてくれるかもしれないです」
少し楽観的な考え方だ、と思うが、現状相手のことを何もわかっていないので、こちらからできることは少ない。せいぜい、襲撃を警戒するぐらいだろう。
「ただ、祐人さんの身近にいる女性には気を付けてください」
朱花も警戒することを考えていたのか、心配しているのかしていないのかわからない無味乾燥な声でそんなことを言ってきた。
「なんで女性限定なんだ?」
もしや、朱花は俺が美人局的な何かにひっかかることを恐れているのだろうか。それはあまりにも俺に対して失礼である。さすがにこの状況で美人局にかかるような馬鹿ではないと……信じたいが、もし迫られたら欲望に負けてしまいそうだと自分でも思ってしまう。というか朱花の風呂上がりのパジャマ姿でもけっこうキテたので、誘惑に抗えない可能性の方が高い。これは不味い。
「相手の悪魔は女性だからです。他人に干渉することができる魔法を使えるのは女の悪魔だけですから」
と、自分が一人で勝手に戦々恐々していると、全く予想とは違う答えが返ってきた。
「え、悪魔って性別によって使えない魔法とかあんの?」
「はい。悪魔は女性の方が優れているので、使える魔法も多いです」
ゲームなどでは基本的に悪魔の親玉は男なので、これは意外だった。しかし、男の悪魔は使える魔法が少ないとか不憫だな。同じ男として同情してしまう。
「そうか。生まれつき差があるってのも可哀そうだな……」
「でも、人間も男女で筋肉量に差があったりするじゃないですか。それと同じようなものですよ」
そう言われると納得できてしまう。男に胸がなくて女性にはあるみたいなもんだな。
「あー、まあ近づく女性は悪魔の可能性があるってことだな。しかも、俺の近くにいる人物、と」
「そうです。祐人さんのことを、常軌を逸した性欲の持ち主であると知っている人物のはずなので、祐人さんの知り合いである可能性もあります」
今、淡々と侮辱された気がするのだが、気のせいだろうか。
「ちょい待て。今なんで俺は変態って言われたんだ」
「いえ、祐人さんのことを変態呼ばわりしたつもりはなかったのですが」
素でこう言われるのは少し辛い。一度朱花を教育する必要があるかもしれないな。世話になる家の人間を変態と呼んではならない。それと、部屋に勝手に入ってはいけないと。
「基本、契約を結ぶときは感情豊かな人間を相手に選ぶべきだと話したのは覚えていますか?」
朱花の問いを聞き、自分の記憶を探ってみる。
そういえば、昨日の夕方にそんなことを言っていた気がする。たしか、そのときも変態扱いされていたな。
「ああ、覚えてるよ。朱花の知り合いの中では俺が一番感情豊かなんだっけ」
「祐人さんの心を探らせてもらった私から言わせてもらうと、感情豊かというより性に対する心の動きが尋常ではないといった感じですね」
こいつ、年下の女の子じゃなかったら頭シバいてるところだぞ。絶対俺のことを馬鹿にしてるだろ。
「んで、それがどうしたんだ」
努めて気にしていないそぶりで朱花に応える。ツッコミ始めたらキリがないということもあるが、もうすぐ目的地にも着きそうなのでこの会話は早めに切り上げたほうがいいだろうと判断したためだ。ショッピングセンターでも変態変態と連呼されてはたまらない。
「これは悪魔なら誰でも知っていることなのですが、人間の感情を魔力に変えたとき、男性のものより女性のそれの方が量が多いんですよ」
ショッピングモールに近づくにつれ、人影がちらほら見えてき、車の往来が激しくなる。それとともに襲撃への不安も軽減され、朱花の話により集中できるようになった。
「だから契約を結ぶとき、悪魔は必ずと言っていいほど人間の女性と契約を結ぶのです。しかし男性の祐人さん契約していたということは、私と同じように祐人さんの性欲を知っていたということです」
この話から考えたことが二つある。
まず、相手の悪魔は俺と同じ学校に通う者ではないだろうか、ということである。俺は、まことに遺憾であるが少なくとも同学年には変態として名を馳せているので、同じ高校の者ならば俺のことを知っていてもおかしくはない。
もう一つは、普通は女性の方が契約相手として優れているのに、二人もの悪魔が俺のことを女性以上と考えたということ。つまり、自分は男女の差を超えるほど性欲が強いということである。朱花だけがそう言っているのならまだ否定の余地もあったが、もう一人の悪魔にすら認められているともう否定できない。これから俺は一生変態という言葉を背負って生きていかなければならないのだろうか。そう考えると、自然と涙が浮かぶ。
「ああ、わかったよ。つまりは身近な女性に気を付ければいいんだろう。わかったよ……」
なぜ俺が悲しい声で話すのかわかっていない朱花は、俺の反応を不思議に思っているだろう。そして彼女には一生わからぬ悩みだろう。
「お願いします。私もできる限り警戒しますので」
そんな悲しい思いになりながらも、無事に俺たちは目的地へとたどり着いた。
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