【2】悪魔の世界、外れた日常
第5話 【2】ー1
【2】悪魔の世界、外れた日常
朱花が葛見家に来た次の日。
これからの朱花の生活に必要なものを揃えるため、彼女を連れて朝から近くのショッピングモールに向かっていた。
「なんか慌ただしかったな」
今まで自分は母さんと共にリビングで寝ていたのだが、そこで朱花が寝ることとなったため俺は無理やり狭い自室で寝る羽目になってしまった。そのために昨日は夕飯の後、自分の部屋の片づけを済まし、布団を運び込む必要があったのでなかなかに忙しかったのだ。それだけでなく、朱花が風呂に入っている間俺が部屋に閉じ込められたり、朱花のパジャマ姿に俺が興奮したりで精神的にも疲弊してしまった。
まだ自分は十分な睡眠を取れたが、朱花は夜遅くまで持ってきた荷物の整理や、今日買う物のリスト作成をしていたので心なしか眠そうだ。もう少し家でゆっくりしてから買い出しに出かけても良かったのだが、当の朱花が大丈夫と言ったので店の開店時間に合わせて家を出たのだった。
「すみません、お手数をおかけしまって」
朱花が家の近所の道を覚えるためと、女の子の歩幅に合わせるため普段よりも遅い歩みでショッピングモールに向かっている。
農道を通って行くと近道になるので、幅の狭い舗装されていない道を歩く。側溝と田んぼに挟まれた道のためずり落ちると危険だが、田舎道は朱花も慣れているのか危なげなく俺の横を歩いている。
「まあ新生活の準備が忙しいのはしょうがない。女の子なら必要な物も多いんだろ?」
男なら財布と下着と替えの服一着さえあればどこででもすぐに生活できそうだと思うが、女性はそういうわけにはいかないだろう。
本当ならば、同じ女性である母さんと共に買い物に行ったほうが良かったのだろうが、残念ながら今日は仕事で不在だ。
「どうでしょうね。私は母親以外の私生活をあまり知らないので比べることができませんが、そんなに買うつもりはありませんよ」
素っ気ない態度で朱花が答える。彼女がそのような態度なのは不機嫌だから、ではなくそれが素の態度であることは自分も承知済みだ。
「別にいっぱい買ってもいいんだぞ。荷物持ちのために俺がいるようなものだからな」
購入する物を共に選ぶことでは役に立てないだろうので、今日は道案内と荷物持ちが自分の仕事だと思っている。一応アルバイトで力仕事には慣れているので、朱花に頼られても問題はないと自負はしている。
というより、積極的に力仕事で貢献して男らしいところを見せ、彼女の株をあげておきたい。おそらく今の彼女の俺に対する評価は「変態」の二文字だろう。これから三年間を共に過ごす少女にそう思われたままでいるのは辛すぎるので、少しでも良い印象を朱花に与えたいところである。
「いえ、荷物ぐらいは私が持ちますよ。私、力には自信があるので」
しかし、俺の目論見はあっさり崩れ去りそうになっていた。
「いやいや、無理しなくていいって。そんな細い腕で重い物持ったら折れるぞ」
長袖に包まれた朱花の細腕を見ながら慌てて彼女の言葉を否定する。
そもそも女性に荷物を持たせるつもりはないし、今活躍しなければ自分の評価は上がらないままになってしまう。
「本当に大丈夫なんですよ。悪魔の肉体は人間よりも丈夫にできているので」
だが、俺の心の内を知らない朱花は、そんなことを言いながら力こぶを作る真似をしてみせる。その姿自体は可愛いのだが、そんなに張り切らなくてもいいのに――というのが偽らざる自分の本音である。
「それに、魔法を使えば大抵の物は持てますし」
魔法は卑怯だろう。どんな魔法を使うかはわからないが、対抗できる気がしない。
というか、荷物持ちぐらいに魔法使うなよ。
「魔力が十分にあるわけじゃないんだろ? そんなことに使うなって。つーか荷物ぐらい俺に持たせろよ」
やはり魔法は便利だからか、悪魔はそれに頼る癖でもあるのだろうか。日常生活で使っていれば、それはすぐに魔力切れにもなるというものだ。
「……では、お言葉に甘えます」
他愛のない会話をしている間に農道を抜け、比較的車通りの多い道に着く。だが平日の午前中のため今は車の影は見えない。周りに人もいないので、朱花と二人でのどかに歩道を進んでいく。
「ところで祐人さん、そういえば悪魔についての心当たりはありましたか?」
朱花が聞いたのは、俺といつの間にか契約していた悪魔のこと。朱花にいつ誰と契約したのかを昨日訊かれたが、俺は悪魔の存在すら昨日まで知らなかったので契約のことなど微塵もわからない。
「いや、いくら考えても心当たりがないんだよ。俺の知らない内に契約してた、ってことはないのか?」
そう聞くと、朱花は静かに首を横に振った。
「契約には人間の同意が必要です。人間の知らない間に契約を結ぶことはできません。ただ……」
「ただ?」
他に思い当たることがあるのか、突如朱花が言葉を濁す。
注意して朱花の次の言葉に耳を傾ける。
しかしそのとき。
自分の背中を、息が詰まるような衝撃が襲った。
「——ッ!?」
どうやら、何か硬い物が背中に衝突したようだ。それの直撃を食らい、前に倒れそうなほど身体が傾く。
「そうか……。俺が、誰かと『契約』、か。契約ってのは、どんなことをするんだ?」
契約という言葉に引きずられて何か禍々しいものを想像していたが、よく考えれば想像とは違い簡素なものかもしれない。詳細がわからなければ思い出すこともできないので、この際に聞いておこう。
「契約と言っても2種類あるのですが、祐人さんが結んでいたのは『仮契約』と呼ばれる契約でした。なので、人間に契約する旨を伝え、それを人間が許可するだけで契約は成立します」
仮契約。また聞いたことのない単語が朱花の口から飛び出した。これ以上悪魔について覚えることが多くなると、一度頭を整理する必要があるな。
そう考えながらも、できるだけ悪魔を理解するため、朱花に質問する。
「祐人さ――」
朱花が俺の身体を支えようと駆け寄る――が、突如現れた見知らぬ男が朱花の背後から彼女の腋 《わき》の下に自分の両手を通し、そのまま朱花の首の後ろで手を組み合わせ彼女の動きを止めてしまう。
「朱花っ!?」
なんとか体勢を立て直すことに成功した俺は痛む身体で声を振り絞る。
何が起きているのかわからないが、自分たちの身が危ないということは理解できる。とにかくこの場から逃げるため、朱花を救出すべく彼女を羽交い締めにしている男を引き離しに向かう。
だが、自分の視界の端から現れたもう一人の男に突き飛ばされてしまう。
――二人組!?
犯人は二人組の男性。両人ともラフな格好をしており、どこにでもいそうな成人男性といった姿だ。
だが、普通ではないのはその男たちの持つ雰囲気。暴力を振るっているというのに無表情のまま、まるで単純作業をこなすように淡々と行動している。その行動や表情からは人間らしい怒気などの感情は感じられない。
小柄な朱花は大人の男に持ち上げられるようにして羽交い締めにされているせいか、上手く抵抗できていない。その目の前で、俺を突き飛ばした男が地面から拳大のコンクリート片——俺に投げつけたものらしい凶器を拾い上げる。
そしてその鈍器を、狂ったような勢いで朱花の頭に叩きつけた。
「なっ、やめろ!」
俺がそう叫ぶ間にも、男は二度、三度と朱花の脳天目がけてコンクリートを振り下ろす。その度に、人通りのない開けた道に鈍い嫌な音が響く。
女の子を大の男が二人がかりで殴りつける。その異様な光景に足がすくまなかったと言えば嘘になるが、このまま放っておけば朱花が死んでしまう。人目がない今この場で朱花を助けることができる人間は自分しかいない、という思いが恐怖を凌駕した。
「やめろって言ってんだろ!」
喧嘩などしたことはないが、とにかく鈍器を振り下ろす男を止めるため腰目がけてタックルをかます。それにより押し倒すことはできなかったが、男を横にずらすことには成功した。
「っらあ!」
その男を思い切り突き飛ばし、次は朱花を拘束する男に殴りかかろうと振り返る。
だが。
「——ふっ!」
振り返ったその時には、朱花が自分の腕を振り下ろすことにより男の拘束を解いていた。その勢いはすさまじく、振りほどかれた男が前のめりになるほどだ。
朱花は身体が浮いていたため、そのやり方で振りほどくとなるとほとんど腕力しか使えない。つまり朱花は腕力のみで成人男性の羽交い締めを解いたということになる。
その荒々しさに俺が呆気にとられている間に、朱花は次の行動に移る。
まず、自分を拘束していた男の右腕を掴む。たったそれだけの動作にも関わらず、なぜか男の身体は操り人形の糸が切れたように崩れ落ちた。
それを見たもう1人の男は、再びコンクリート片による一撃を見舞おうと朱花に突進する。が、彼女は半身になる――相手に対し姿勢を斜めに構えるだけで振り下ろし攻撃を避ける。そしてすれ違いざまに男の身体に右手で触れ、先程同様それだけで男の身体が崩れ落ちる。
その身体を朱花が支え、怪我をしないように優しく地面に寝かせる。その後、俺の方に振り向き、
「祐人さん、どこか痛むところはありますか?」
何事も無かったかのような無表情で俺の無事を確認した。台詞の字面だけを見れば気遣っていることはわかるが、声に心配の色がないので本当に気遣っているかはわからない。
だがそんなことよりも、驚いたのは振り返った朱花の頭部を見たとき。あれほど激しく殴打を繰り返されたにも関わらず、血の一滴も流れていなかったからだ。髪の毛にコンクリートの粉が付着しているぐらいで、怪我などはどこにも見当たらない。
「え、ああ、背中が痛むぐらいかな」
「背中を見せてください」
戸惑いながらも言われた通りに朱花に背を向けると、背中に彼女の手が置かれるのを感じた。
そしてすぐに、血の巡りが良くなり細胞の一つ一つが震えるような感覚が身体を襲い、それがおさまるとともに背中の痛みは消えていた。
「もう大丈夫でしょうか?」
何が起きたのかまるで理解できなかった。だが、背中越しに朱花の声を聞き、ようやくこれが『魔法』の一つだと悟る。
「……全然痛くない。むしろ、身体が軽くなったな」
肩を何度か回すことで身体の回復を示す。
それを見て納得した朱花は、今度は倒れて動かない男たちに近づく。どうやら男たちは気を失っているらしく、朱花は彼らの身体を揺すりながら何度か呼びかけ、それを男たちが気がつくまで続けた。
朱花は躊躇なく行動したが、先程まで自分を襲っていた人間に近づくことは怖くないのだろうか。といっても、朱花は怪我もなく一瞬で男たちを倒したのだから恐怖を覚えることもないかもしれない。
目を覚ましたらしい男たちと朱花が何度か言葉を交わし、その後男たちは朱花に礼をしてから小走りで立ち去った。
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