第4話 【1】ー4
――他の悪魔と契約している。
それについて朱花から聞き出そうとしたが、タイミングの悪いことに母さんが帰宅したのでその話はお預けとなってしまった。
そして母さんが帰ってきてからは急に慌しくなり、現在はようやく落ち着き全員で夕飯を食しているところである。
「母さん」
「あら、何かしら? ちなみに今祐人が食べている冷しゃぶサラダは朱花ちゃんが作ってくれたものよ」
「え、ほんと!? 美味しすぎるんだけど!」
「そうよね。これからは朱花ちゃんに作ってもらおうかしら」
「喜んで作らせていただきますよ。居候させてもらっている身で何もしないわけにもいきませんので」
「良かったわね、祐人。これで美味しいご飯が食べ放題よ」
「それはありがたいな」
母さんが夜勤でいないときは一人でインスタント食品を食べるだけだったから、朱花が作ってくれると本当に嬉しい。インスタント食品は不味くはないけれど、食べているとたまに空しくなるのが辛い。
だが、今はその話がしたいわけではない。
「まあ料理の話は置いといて。母さんに聞きたいことは色々あるんだけど、とりあえず三つ答えてくれるかな?」
料理の話で上手く母さんにはぐらかされそうだったが、そうはいかない。しっかり答えてもらわなければ。
「答えられる範囲でなら、答えるわよ」
俺から質問されるだろうことはもちろん想定していたのだろう。母さんは平然と食事を続けている。
自分の母親といえど、その何でもお見通しと言わんばかりの余裕ぶった態度は気に食わない。
「まず、なんで朱花が下宿することを黙ってたのさ? 母さんは朱花の事情とか、全部知ってたんだろ」
朱花は、母さんと自分の母親が知り合いだと言っていたが、それが本当なら母さんも悪魔のことを知っていたはずだ。母さんがどこまで知っているのか、そしてなぜそれを隠していたのかが気になるところである。
「んー……一つは、祐人を驚かせたかったからね」
悪びれもせずそう言う母さんにツッコミを入れたくなったが、まだ理由があるようなのでそれを聞いてからにしようとグッとこらえる。
「もう一つは、朱花ちゃんのことは朱花ちゃんから聞いてほしかったから、かな」
どんなふざけた理由が出てくるかと構えていたが、しかしそう語る母さんの声には冗談めいた色は一切無かった。
「朱花ちゃん、祐人にはどこまで説明したの?」
一瞬見えた真剣さはすでに鳴りを潜め、再び優し気な笑みを浮かべながら母さんが朱花に視線を送る。
「下宿させてもらうことや私が悪魔であること、それと契約を結んでほしい、ということはお伝えしました」
母さんの前だからか俺と話していたときの無表情な朱花ではなく、彼女は再び愛想の良い仮面を被っていた。俺の前では素でいい、と言ったので俺以外の人間が居る場では愛想良く振る舞うつもりなのだろう。
「契約のことを知っているならいいかしら」
そう言うと母さんは俺の方に向き直り、幼少期に俺に勉強を教えてくれたときみたいに、優しく言い聞かせるように話し始めた。
「祐人。悪魔の契約っていうのは、人間と悪魔の関係がとても大事なの。だから朱花ちゃんと祐人がより良い関係を築けるように、朱花ちゃんのことは彼女本人から聞いてほしかったのよ」
それに朱花ちゃんといっぱい喋ってほしかったしね、と母さんは付け加える。
母さんの言うことに朱花も肯いているので、それは正しいことなのだろう。
母さんが朱花のことを内緒にしていた理由は、少しは納得できたが、しかし二つ目の疑問はより強くなった。
「なんで母さんはそんなことまで知ってるのさ? 聞いていると、母さんは悪魔のことならだいたいわかっているみたいだけど」
都合が良すぎる、そう自分は感じていた。
悪魔の朱花が俺と契約するためにこの家に来て、しかも母さんは悪魔のことを全て承知済み。それを知らなかったのは自分だけというのもあまり愉快ではないが、一般人である母さんが悪魔のことを知っていたというのも不気味である。
自分も母さんもごくごく普通の人間であると信じていたため、自分にはそれが一番の疑問であった。
「それは母さんが朱花ちゃんの母親の契約者だからよ」
しかし、自分の長年疑いもしなかったことはあっけなく壊れてしまった。
「は……? 悪魔と契約してたの!?」
まさか母さんがすでにファンタジーの世界に足を踏み入れていたとは考えもしなかった。
でも、なぜ母さんは悪魔と契約しているんだ?
「してた、というより現在進行形でしているわ。だから朱花ちゃんのことも知っていたし、悪魔の存在も知っているのよ」
「なんで契約しようと思ったの? てか、どうやって悪魔と知り合ったのさ」
自分が朱花と知り合ったのは母さんがそう仕向けたからだが、母さんはいつどこで悪魔と接触したのか。わからないことが多すぎる。
「それを語り始めると母さんの武勇伝の一つや二つを話さないといけないから、また今度ね」
母さんがよからぬことを企むときに見せる笑顔を浮かべ、味噌汁をすする。このことについてはいくら質問しようとも答えない、という意思表示だ。こうなると仕方がないので、自分は話題を変えるしかない。
「まあ、だいたい疑問は解消されたよ。他にわからないことがあれば、朱花から聞けってことだろ」
母さんが最低限のことしか教えてくれないのは、先ほど言ったことが関係しているのだろう。
まだ朱花と契約するとは決定していないのだが、彼女との距離を縮める機会にもなるので悪魔関連の質問は取っておこう。
「そういうこと。でも、思ったより祐人が朱花ちゃんと仲良さそうで安心したわ」
「? なんでそう思うのさ」
箸を動かす手を止め、母さんが顔を上げる。そこにはいつものからかいの色が表れていた。
「だって祐人、朱花ちゃんのことを名前で呼び捨ててるし」
「っ!! ちが、それは!」
嫌な笑顔でクスクス笑う母さんの言葉を焦って否定しようとする。が、その態度が余計に母さんを面白がらせていることにすぐには気づくことができなかった。
「私がそう頼んだんです。私も祐人さんを名前で呼ばせてもらっているので」
朱花はなぜ母さんが笑っているのかわかっていないのだろう。彼女は母さんに合わせて笑顔でそう説明した。
「ああ、そうなの。良かったわね、祐人。女の子を名前で呼べるようになって」
台詞の語尾全てに「w」が付きそうなぐらい母さんは笑っている。
完全に息子を馬鹿にしているな、と心で思いながら自分はそんな母さんを無視して箸を動かした。
「まあそんなことより、三つ目の質問なんだけど」
「? そういえばあったわね。三つ目はなんなの?」
瞳に涙を浮かべて笑う母さんは、目をこすりながら質問を訊き返した。
笑いすぎだろ、と内心悪態をつく。が、母さんの笑っている姿を見ると、こういうところが感情豊かだと判断され悪魔に契約を持ちかけられたのかもしれないな、と不思議と納得してしまう自分もいる。
「ああそれなんだけど。食事前に、自分の部屋を片付けろって俺に言ったよね」
三つ目は、質問というより文句に近いものだが、俺の一番主張したいことだったので話題転換にはちょうどいい。
母さんと朱花が夕飯の準備をしている間、俺は母親に命じられて自分の部屋の片付けをしていた。しかしそのとき絶望的な事実に気づいてしまったのだ。そう、先ほどから冷や汗が止まらないほどの絶望的事態に。
「そうね」
「でさ、その前に誰か俺の部屋の掃除をしてた?」
ある程度回答内容の想像はできていたが、しかし万が一ということもある。誰も俺の部屋に入っていない、もしくは入ったけれど何も触っていないという可能性はある。人間、可能性がある限りはあがき続けることが大事だと俺は――。
「私がさせてもらいました」
その可能性は朱花の言葉により叩き潰された。
「なんで年頃の男子の部屋を女の子に掃除させたんだ!? 言ってみろ母さん!」
ありえない。思春期男子の自室なぞ、他人には見られたくない秘宝がざっくざくだ。なのにそれを女性、しかも息子と同じ年頃の子に踏み入れさせるなんて。
「祐人さん、もしかして私の掃除は不出来でしたでしょうか? もしそうなら、もう一度やり直させていただきますが……」
「いや、朱花は悪くないよ……。ありがとう……」
朱花が申し訳なさそうな顔で言うが、彼女は何も悪くない。むしろ、彼女が掃除してくれたおかげで俺の部屋は引っ越してきた当時の輝きを取り戻したほどだ。上出来と言えるだろう。
――そう、上出来すぎた。俺が隠していた本すら、埃を拭って本棚に並べていたのだから。
本棚に並んでいる我が聖書たちを見たときは、目を疑った。なぜこんなにも堂々と、教科書とともに陳列してあるのか理解できなかった。そしてその瞬間、自らの社会的な死を悟ったのだ。
穴があったら入りたい、どころではない。介錯はいらないからすぐに切腹したい所存だった。のだが、しばらく部屋で一人きりになることでなんとか正気を取り戻すことに成功したのだ。
俺を精神崩壊寸前にまで追い込んだ母さん許すまじ。
「違うのよ、祐人。お母さんは朱花ちゃんが暮らせるように準備していたのだけど、その間手持ち無沙汰になるからって、朱花ちゃんが進んで祐人の部屋の掃除をしてくれたのよ」
だから母さんは悪くないわ、と言い張るが、確信犯であることは間違いない。
「それに祐人、お母さんが部屋に入るのは嫌でしょう? だから気を遣って、朱花ちゃんの申し出を快く受けたのよ」
むしろそれなら母さんが掃除してくれた方が良かった。朱花の俺に対する第一印象が底辺にまで落ちたのではないだろうか。
そうか、俺の本を見ていたから俺が変態だということをすんなり受け入れたのか。根拠がどうのと朱花は言っていたが、これはもはや言い訳のしようもない。
「俺が帰るまで部屋をそっとしておくという考えはなかったのかな……」
これからは部屋に鍵をかけようかと真剣に考えてしまう。とはいえ、すでに隠したい人間には露呈しているのでもはや手遅れではあるが。
「まあ、綺麗になったからいいじゃない」
他人事だからと気にした風もなくそう言って、母さんは食事を続けた。
***
夜も
彼女の持ち物は少なく、この作業も明日でも良かったのだが、一人で考え事をしたかったので今日の内に済ませることにした。なので手伝いを申し出た祐人と千沙にも先に寝てもらっている。
――長い一日だった。
久しぶりに朱花はそう感じた。その原因はわかっている。葛見祐人だ。
感情が希薄、という悪魔としての欠陥を抱えている朱花は自分の母親と千沙に、祐人と契約してはどうかと提案された。祐人とは少なからず縁があり、契約相手として相応しいかもしれないと考えた朱花は母親の提案に二つ返事で承諾。それから葛見家に来るまで祐人がどのように成長したのかを想像する毎日が続いた。
祐人は、魔力不足という自分の問題を解決してくれる救世主と成り得る人物だ。祐人の母親である千沙も契約相手として推薦していたので、自分とは相性がとても良い男性なのだろう、と柄にもなく都合の良い妄想を朱花はしていた。
そして今日、ついに祐人と再会した。しかし再開した瞬間、朱花の胸中に湧き上がった感情は『無』であった。
夫婦の真似事までして祐人を迎えたが、彼を見ても特に何の感情も抱かない。出会った瞬間、運命を感じるような相手だと考えていた朱花はそのことに落胆し、しかし自分の胸中を祐人に悟らせないため、無理やり笑顔を作り出した。もちろん出会っただけで何かを感じるような特別な存在などいないとは頭では理解できるのだが、朱花は勝手に祐人に対するイメージのハードルを上げてしまっていたため残念に思ってしまったのだ。
しかし今再び、祐人は特別な存在なのではないか、と朱花は考え始めていた。
感情が希薄な自分は、何かを過度に『期待』することや、期待が外れて『残念』に思うことなど今まではなかった。しかし、今日は祐人と出会っただけでそれらの気持ちを抱くことができたのだ。
それに祐人は、素のままの自分を見せてほしいと言った。
朱花は以前住んでいた地域では、周りの人間に「人形」と呼ばれていた。意味の一つは朱花の美しさを
幼い頃の朱花は感情というものがわからず、常に無表情で過ごしていた。すると同級生はそんな朱花を「ノリが悪い」と評し、彼女との関わりを絶ったのだ。担当の教師ですら「協調性がない」と朱花を見放し、結果彼女はその小学生時代をほとんど孤独に過ごした。
このままでは社会に適合できない、と幼いながらにも理解した朱花は、周りの人間の反応を真似することにした。どういうときに人間は笑うのか、いつ人間は泣くのかといった喜怒哀楽の行動を観察し、場に合わせた感情を表現するようにしたのだ。年を経るにつれ感情の演技は上手くなり、次第に「人形」と呼ばれなくなった。
自分が演技をしている間は、周りの人間は不快にならない。それを知った朱花は、祐人の前でも演技は続けるつもりだった。契約相手として気に入られるために、むしろいつもよりも気をつけて演技をしていた。
だが、当の祐人はその演技をやめろと言う。
なぜそんなことを言うのか理解に苦しんだ。何か気に入らないことでもしただろうか、と頭を悩ませただ、他人の思うことなど朱花にはわかるはずもない。
「……もっと笑顔だった方が、よかったのかな」
今まで『悩む』ということすらなかった朱花は、記憶にある限り初めての独り言を呟く。
そして、今日最も心を煩わせたことを思い出した。
それは、祐人の契約相手について。
彼の反応を見るに、悪魔のことは何も知らなかったはず。なのに彼が自分以外の悪魔と契約していたということは、相手の悪魔は彼の許可なく契約を結んだということ。そんな強引なことをする悪魔は、並の者ではないだろう。
しかし問題なのはそこではなく、朱花が反射的にその契約を破壊してしまったことだ。それについては食事中も風呂の中でもずっと反省をしていた。
悪魔にとって契約とは軽視してはならない神聖なものである。現に朱花も祐人とすぐには契約を結ばず、彼との関係を育むことに専念している。
その契約を、当事者の許可なく破棄してしまった。いや、許可があったとしても第三者である自分が契約に干渉することなどできない。
普段の朱花ならそんな軽率なことはしなかっただろう。というより、祐人が他の悪魔と契約していたと知っても、何も思わなかったに違いない。なのに先ほどは、祐人がすでに契約しているとわかった瞬間、心が締めつけられるような感覚を覚えたのだ。そして気づけば、彼の契約を破壊していた。
今日の自分は本当にどうかしている。悩んだり落ち込んだりわけのわからないことをしたり、一日を振り返ってみれば自らですら自分とは思えないことをしていると朱花は思った。
とにかくいつもの自分を取り戻すために一人で荷物整理などしているが、手を動かしても状況は改善しない。むしろ一人でいる分、余計に今日のことを思い出してしまう。
「ふぅ……」
人生初のため息を吐き、朱花は再び思考の渦に飲み込まれていった。
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