第3話 【1】ー3

 あれから質問を繰り返すこと数十分。朱花の情報はある程度把握することができていた。

 与沢朱花。

 白と言うべきか銀と言うべきなのかわからない、日本人離れした色素の薄い髪色。そしてこれまた日本では見たことの無い、赤色に近い唐棣色はねずいろの瞳。この二つが印象的な、小柄な女の子だ。

 高校一年生の十五歳。誕生日は八月五日のしし座。血液型は俺と同じAB型らしい。

 実家では、母親と朱花とお手伝いさんの三人で暮らしていたという。お手伝いさんを雇っているということはやはりお金持ちの家なのかもしれない。家もそれなりに大きかったそうだが、実家は都会に住む人間では想像できないほどの田舎らしいので、家の大きさは特に自慢にはならないとのこと。

 俺の住む桃山町も田畑の多い田舎だが、朱花はそんな桃山町ですら『都会』と称していたのだからだいたい察しはつく。彼女曰く、バス停名が各個人宅の名前になるほどの田舎、だそうだ。

 以前はその実家で暮らしていたが、今年の春からは俺の通う高校に入学するらしい。そして卒業まで通うつもりなので、朱花の母親が仲の良かった俺の母さんに朱花の下宿を頼み、それを母さんが了承した。

 そういうわけで現在、朱花はこの家にいる。

 ここまでの話には何も違和感はない。年頃の男子がいる家に女の子が滞在することはどうかと思うが、俺にとってそれは幸せなことなので文句もない。

 だが、朱花が冒頭話した『契約』などの話とはつながらない。おそらく、ここからが本題になるのだろう。

 茶を飲んで一息ついた後、そのことを朱花に問うと、

「こちらの高校に入学したのも、祐人さんのお宅に下宿させてもらうのも、全ては祐人さんに『契約』してもらうためなんです」

 笑顔でそう返されてしまった。

 朱花と会話していて気がついたことが三つある。第一に、彼女は不自然なまでに会話中に笑顔見せる、ということだ。どんなことを話すときでも愛想がいい。明るい性格、ということなら納得できるのだが、しかし話している雰囲気からは楽しんでいるようには見えない。やはり緊張しているのか、それとも猫を被っているだけなのか。

「契約……ってのはあれか、俺にバカ高い壺でも買えってことか」

「いえ、一般的な契約とは、少し違うんです」

 俺の冗談交じりの台詞は丁寧に朱花に否定されてしまう。

 朱花の第二の特徴だが、受け答えがとても丁寧なのだ。まるで精巧なロボットを相手に話をしているような感覚さえ覚えてしまうほど、馬鹿丁寧に返事をくれる。普段から凌介と低俗な話しかしていない自分にとって、朱花との会話は調子が狂ってしまう。

 しかし笑顔で冗談を潰されると、悪意が無いとはわかっているとはいえ精神的にくるものがあるな。

「ここからは、祐人さんでは信じ難いような話になります。しかしどうか信じて下さい」

 これも笑顔のまま――かと思ったが、見ると朱花は真剣な表情を作っている。

 信じるも何も、未だ話の全容が見えない自分にとっては今は頷くことしかできない。が、彼女が今から説明をする、という事実には一抹の不安があった。

 彼女の第三の特徴は、説明が下手という点だ。それは別に彼女の頭が悪いというわけではなく、ただ単に彼女が人と接し慣れていないからだと思われる。相手にわかるように説明するのが苦手だ、という印象を受けた。

 なのでこれから説明されることもぶっ飛んだ内容のものが話されるのであろう、と覚悟する。

 『契約』と朱花は発言していたので、実は朱花が俺の許嫁だったのではなかろうか、とは考えている。だから結婚契約を結ぶために、この家に来たと。もしそうなら、都合のいいエロゲ展開に嬉しさ半分、現実的な重みが半分、といったところだろうか。

 一通り、あり得ない設定を妄想する間数秒。その間沈黙していた彼女の口から出た最初の言葉はこのようなものだった。

「私、悪魔なんです」

「ファンタジー系だったか……」

 許嫁という儚い夢が潰えたことに悲しさを感じてしまう。俺の妄想の中ではすでに朱花との結婚式まで済ませていたのに。

「……驚かないんですか?」

「ん? 驚いてるよ。俺の考えでは、『許嫁でした』パターンからラブコメルートに入るはずだったんだけど、まさかファンタジー物だとは」

 朱花の発言には、どうしたんだこの子悪魔とか電波入っちゃってるんじゃないだろうか、と思わないでもなかった。しかし驚きより妄想が勝った結果、彼女が美少女許嫁ではなかったことの方に気をとられているわけだ。

 もし許嫁なら、結婚の約束をしたであろう母さんを褒めてつかわそうと考えていたのだが。落胆を隠せない。

「普通の人は、信じられずに否定するのかと思ったんですけれど」

「朱花が信じろって言ったんだろ」

 詳しい話を聞かないことには、否定のしようもない。ただ、彼女の容姿やその雰囲気が日本人のそれらとは異なるとは思っていたので、悪魔という話に信憑性はあると考えている。

 それに何より、先ほどまで笑顔を絶やさなかった朱花の表情が真剣そのものになっているので、嘘だろうが真だろうが初めから偽りと断じる気はなかった。

「…………そう、ですか」

 なぜか少し不服そうな声を出した後、朱花は気を取り直したのか説明に戻った。

「先ほども言ったように、私の種族は人間ではなく、悪魔です」

「だから日本的な名前なのに、外見が日本人らしくないのか?」

「そうですね。もちろん日本人のような悪魔もいますが、私の家族はこんな姿形をしています」

 ということは、朱花のお母さんも美人なのだろうか。ぜひお会いしたい。そして写真を撮って凌介に自慢したい。

「なるほど、悪魔っぽい設定だな」

 この髪色を染色で再現することは難しいだろう。なので地毛というのは事実に違いない。

「……念のため、魔法なども見せておきましょうか?」

魔法も使えるのか。

「どんな魔法なんだ?」

 自分の中では、悪魔といえばサキュバスしか思い浮かばない。もしかすると、極上の淫夢でも見せてくれるのだろうか。期待と興奮を抑えることができない。

「簡単なものですと、こんな感じです」

 そう言うと、朱花は自分の頭を指さし、そちらに注目するように促した。

 一体何が起こるか――と自分が考えた瞬間、朱花の髪が俺と同じ黒色に変化した。

「おおー」

 魔法というよりは手品に近い気もしたが、家の中で見せることができる魔法となると限られてくるのだろう。正直拍子抜けする魔法だったが、一応驚嘆の声は出しておく。

「これはどんな悪魔でも使える魔法の一つですね。私のように容姿が特殊な悪魔が、人間社会に溶け込むために使ったりします」

 説明の途中に朱花の髪色は元に戻っていく。黒髪の朱花もおしとやかさが醸し出されて良かったが、やはり今の髪色が朱花には似合っている。

「化ける魔法ってことか。たしかに、目立ちすぎる悪魔にとっては便利だな」

 朱花の言い方からすると割とポピュラーな魔法なのだろう。見た目にもわかりやすかったので、悪魔の証明をするにはもってこいの魔法かもしれない。

 朱花が悪魔であることはよくわかったが、本音を言えば期待していたような淫夢を見せて欲しかった。

「今の時代は派手な髪色の方も多いので使う悪魔は限られていますが、昔は子どもが一番に覚える魔法だったそうです」

 朱花のような髪色の人間がサムライの時代に街中を歩いていると、下手をすれば斬りかかられそうだ。容姿の特殊な悪魔が人間社会で生きるには必須の魔法というわけだ。

「つーか、悪魔って昔から人間に交じって生活してたのか?」

 今の会話から推測すると、その可能性が高い。この現代社会で悪魔がその存在を誰にも露見せずに生きているとはにわかに信じ難いが。

「悪魔だけの歴史の教科書みたいなものがあるのですが、そこには人間の文明が生まれた頃には悪魔もいたそうです」

 つまり人間の歴史と悪魔の歴史に差はないということか。個人的には悪魔の出自が気にはなるが、今はそれが本題ではない。

「悪魔の存在についてはわかったよ。で、本題に戻るけど、俺に伝えたいことはなんなんだ?」

 これに朱花は頷きを返し、本題の続きを話し始める。

「私たち悪魔は言ったように、魔法を使えます。しかし、この魔法を使う際には魔力と呼ばれるエネルギーが必要なのです」

「ふむ」

つまり、魔法を使うためにはMPが必要というわけか。

「で、その魔力を生み出すには自分の『感情』を消費するのですが」

聞いていると、自分が考えていたよりも魔法のシステムがまともだったことが残念で仕方がない。魔力を生み出すためには人間の異性の液体的な何かが必要、などの展開を密かに期待していたのだか。もしそうなら喜んで協力していたのに。

「私は感情が欠落しているので、上手く魔力を作り出すことができないんです」

「えっ? 感情が?」

 これには驚きを隠すことができなかった。

感情が欠落しているとは、いったいどういうどういうことなのか。それが本当ならば、笑ったりすることはできないのではないだろうか。

「ええ。私は普通の人が感じるような、嬉しいとか、悲しいとか、楽しいとか辛いなどの感情を強く抱くことはありません」

 先ほどまでの説明と同じような調子で朱花は説明する。人間として異常がある、と自分で言っているにも関わらず、平気な顔をしているのが俺には不気味に感じられた。

「……それは、辛くないのか?」

 強い感情を抱くことができない、ということは、周りの人間が笑ったり、泣いたりしているときに自分はそれができない、ということだろうか。

もし自分がそうなってしまったら、寂しいと感じてしまうかもしれない。

「いえ、それはないですね。辛い、ということもあまり感じないので」

あまり、ということは多少なりとも感じているということだろうか。これが嘘か真かは朱花の表情からは読み取れない。

なぜなら彼女は、笑顔でそう言ったからだ。

その笑顔には、歪さを感じずにはいられなかった。

「……なんで、笑ってられるんだ?」

「え?」

 今は朱花の話し中だが、これについては黙っていることができなかった。いくら心に異常があるからといって、それを笑顔で語るなど間違っている。

「朱花、とりあえずお前はしばらく笑顔禁止な」

 自分のやることは、朱花にとって余計なお世話かもしれない。

 しかし、自分の意思を曲げる気は無かった。

「……どうしてですか」

 朱花の笑顔が消え、無表情になる。それは怒っているから、というよりはどういう表情をしていいのかがわからない、といった様子だ。

「だって朱花、楽しくて笑ってるわけじゃないんだろ。別に愛想笑いとかが悪いとは言わないけど、笑いたくないなら笑わなくていいと思うんだよ」

 なぜ自分がここまで必死になっているのかは自分自身でもわからないが、思うままに口を動かす。

「まあ、私は表情を作っていますが――不愉快だったでしょうか」

 少しずつ朱花の顔から、そして声から感情の色が削がれていく。おそらく、朱花本来の話し方に近づいているのだろう。

「不愉快ってわけじゃない。ただ、朱花が無理して笑っているように感じるんだよ。それが俺には、気を遣われてるような気がするんだ」

 そう、朱花は俺に対して過度に気を遣っていると感じるのだ。俺が年上で、これから居候する家の住人ということもあるかもしれないが、それにしても下手に出過ぎている。それがすさまじい違和感を俺の中に生み出していた。

「だからさ、少なくとも俺の前では素でいてくれないか。その方が喋りやすいからさ」

 朱花の無表情からは、何も読み取ることはできない。

自分の言っていることが正しいかはわからないが、笑顔の朱花よりも無表情の彼女の方が本音を言い易かったのは確かだ。

「…………取り繕わない私は、本当に愛想が悪いですよ。それでも、いいでしょうか」

 ぼそりと、独り言を言うように朱花が尋ねる。

 今までは俺を不快にさせないように愛想良くしていたのだろう。その気遣いはありがたいが、俺も朱花に対して遠慮はしていないので、彼女も俺に対して遠慮をしないで欲しい。

 だから俺は大きく頷いた。

「もちろんいいに決まってるよ」

 ————その言葉とともに、少しだが、朱花の肩の力が抜けた気がした。

「………………あの、それで、契約の話なのですが」

 朱花の表情にも声にも柔らかさは感じられなかったが、その声が一番安心して聞くことができた。

「あー、すっごい脱線しちゃってたな。ごめん」

 話の腰を折ってしまたことを謝り、再び朱花の話を聞く姿勢を取る。

「感情が欠如していることは、感情をもとに魔法を使う悪魔にとっては致命的なんです」

 致命的、という言葉を使いながらも朱花に困った様子はない。

「しかし幸い、悪魔は人間と『契約』することで、契約相手の感情も魔力に変えて自分の物にすることができるのです」

 ようやく、合点がいった。

 そして自分に何が求められているかも理解できた。

「そうか。だから俺と契約して、魔力を補給しようってわけだな」

 悪魔との契約、という言葉だけ見ると少し寒気がするが、命や魂が奪われるわけでもないだろう。むしろ、美少女悪魔との契約と考えると興奮してくるほどだ。

「でも、なんでその相手が俺なんだ? 言い方悪いかもしれないけど、人間なんてそこらへんにいっぱいいるよな」

 その言葉に朱花は、首を横に振ることで否定の意を示した。

「ただの人間ではダメなんです。重要なのは、感情が豊かであるということと、相性が良いことです。そして、私の知り合いの中でその条件を満たしているのが――」

 そこで朱花は俺と視線を合わせた。

 ――自分が感情豊か、というのはあまりしっくりこない。感動する映画を見ればすぐに泣き、お笑い番組を見れば腹を抱えて笑っているという自覚はあるが、自分よりもふさわしい人間は多いだろう。

 そう考えたので率直に、

「えっと、何を根拠に俺が感情豊かだと思ったんだ?」

 と尋ねると、

「聞くところによると、祐人さんは人類の枠におさまらないほどの性欲を持つとか」

 質問しなければよかったと後悔するような答えが返ってきた。

「ば、馬鹿なことをいうな! 何を根拠にそんなこと言ってるんだ!」

「千沙さんがそうおっしゃっていたので」

 母さんをシバくことが決定した瞬間である。

 しかし、実の母親にまでそう言われると人知れず旅に出たくなる。まさか親族にまでそのような評価を受けていたとは。

「もちろん根拠は他にもありますが……私が祐人さんに触れれば、手っ取り早くわかります」

「え?」

 その根拠とやらが非常に気になったが、朱花のような美少女が自分に触る、ということに意識を奪われてしまう。だが、このような煩悩が変態と呼ばれる原因なのだと、今初めて気がついて自身に落胆した。

「悪魔は契約する人間を選ぶために、人間に触れればある程度その人間の『感情』がわかるのです」

 そういうと、朱花は文字通り身を前に乗り出し、俺の胸のあたりに自分の手を置いた。

 彼女の顔が近くなり、思わず胸が高鳴る。何やら甘い、胸を早鐘のように躍らせるいい匂いが俺の鼻腔を突く。もう少しこの匂いを嗅いでいたいと思っていると、朱花が突然怪訝そうな表情を作った。

「ど、どうしたんだ? なにかあったのか?」

 自分の心臓の音が聞こえていたのか、もしくは感情を調べた結果がとんでもないものだったのかと焦り、朱花に尋ねる。

 しかしその返答は俺の懸念とは関係のないものだった。

「——祐人さんは、すでに他の悪魔と契約しています」

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