第2話 【1】ー2

 凌介と協力して無事ゲームやDVDを収納し、海外のお宝データを自分の携帯にコピーしてもらったところで今日の集まりはお開きとなった。

 凌介が帰国してからの最初の休日ということで、家族で食事にでも出かけるらしい。それを邪魔してはいけないので俺は早々に帰宅することにした。

「おお……おお!」

 そして現在、自分の家族用にもらったお土産を片手に、凌介からもらったもう一つのお土産を携帯で確認しながら俺は帰路を歩いていた。

 なんと表現すればよいのか。美しい、そうとしかいいようのない画像の数々であった。美術や芸術など一切解さない自分であるが、この写真の中の裸身を横たえた女性たちはとても美しく、芸術的であることは理解できた。

「…………」

 ふと、ここはまだ自室ではないことを思い出し、股のあたりを隠しながら急いで家に向かう。もし公道でこのような状態になっているところを誰かに見られでもすれば、自分は社会的に死んでしまう。特に近所の知り合いにでも発見されれば、自分はもう家から出ることすら叶わないだろう。

 とにかくお楽しみは自分の部屋に籠ってからだ。はやる気持ちを抑えながら、玄関の扉を開ける。

 すると。

「おかえりなさいませ」

 見慣れた玄関で、知らない少女が正座をしながら頭を下げている姿が、目に入った。

「……あ?」

 頭の中に浮かんでいたことは全て吹き飛び、疑問符だけが残った。

 この少女は誰なのか。というか家に居るはずの母親はどうしたのか。そんな考えが少しずつ頭によぎるようになったとき、少女が頭を上げる。

 ――可愛い。人間離れした美少女だ。日本人のような顔立ちだが、髪は黒色ではなく色素の薄いショートカット。肌は人形のように白く、日の光を浴びたことがあるとはとても思えない。全体的に透明感のある少女だ。しかし、儚げというわけではなく、独特な存在感を放っている。

 そんな美少女が俺の方に笑顔を向ける。そのことに俺が不覚にも胸を高鳴らせていると、少女は笑顔のまま口を開いた。

「ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも――」

「いやベタすぎるだろ!」

 少女の美しさに意識を奪われていた自分だが、天丼芸も裸足で逃げ出すほどのありきたりなネタに反射的にツッコミをいれてしまった。

「……男性は、こういうのがお好きだと聞いたのですが」

「そのセリフもボロ雑巾よりも使い古されてるけど」

「お嫌いでしたか?」

「いや、大好物」

「よかったです」

 ありきたりのシチュエーションは妄想の中で何度も使っているので嫌いではない。新婚三択大歓迎である。

「——じゃなくて、えと、すみませんがどちら様で?」

 人生初めての新婚三択を味わえた満足感から忘れていたが、目の前の少女が何者かという謎がまだ解決していない。

「私たちは会ったことはあるのですが……祐人さんが覚えていないのも無理はありませんね」

 こんな可愛い女の子と出会っておいて自分が忘れるはずがないと思うのだが、彼女は自分たちが既知だと言う。

「玄関で話すのも疲れると思うので、リビングに行きましょうか」

 少女は靴も脱がずに立ちっぱなしの俺に気を遣ってくれたのか、そう言って立ち上がった。

 そのとき初めて、同い年に見えた少女の身体が驚くほど小柄であることに気づく。自分の身長は高校男子の平均身長ぐらいで、しかも玄関に立っているため少女とは高低差があるにも関わらず、俺の視線は少女のそれよりも高かった。身長だけを見ると中学生のように見える。

 そんなことを考えていると、少女が「お持ちします」と俺から自然な動作でお土産の入った紙袋を受け取り、家の奥へと歩いて行く。一挙手一投足が洗練されたような丁寧な振る舞いから、小柄な彼女が大人びて見える。口調や動作が丁寧というか、どことなくお嬢様という言葉を連想させる。

 育ちが良いのかもしれない、そう思いながら自分も少女の後を追ってリビングに入るとそこには母さんが座っていた。

「あら、お帰りなさい。凌介くんは元気だった?」

 いつも通りの様子で母さん――葛見 千沙ちさが俺に接する。だがこれが、母さんの悪ふざけであることが自分にはわかっていた。母さんが少女の存在に関して何も触れないのがその証拠だ。

 見知らぬ異性に戸惑う息子を見て楽しんでいるのだろう。そして楽しむために、少女の訪問を俺に黙っていたに違いない。

「ああ、海外でエネルギーを蓄えてきたみたいで、思いのほか元気だったよ。あと、その紙袋はもらったお土産だから」

 母さんに玩具おもちゃにされるのは不本意なので、できるだけ平静を装いこちらも普段通りに接する。幼稚なやり取りであることは自覚しているが、これが我が家の常なのだから仕方がない。

 そんな俺の心の内すら見透かしているだろう母さんは、微笑を浮かべた後少女に話しかけた。

「もう自己紹介とかは終わったの? 朱花しゅかちゃん」

「いえ、まだ挨拶しかできていないんです。思いの外、挨拶に対する祐人さんの反応が良かったもので」

「祐人はああいうの好きみたいだからね。教えた甲斐があったわ」

 やっぱりあの茶番は母さんが教えたのか。けしからん、もっとやれ。

「ということで、祐人」

 何が「ということ」なのかはわからないが、母さんが急に立ち上がり、

「後のことは全部朱花ちゃんに聞いてね。母さん、買い物に行ってくるから」

 人のよさそうな笑みを浮かべながら財布と買い物袋を持った後、そのままリビングを出て行ってしまった。

「え、ちょ、ストップ! 説明しなさすぎるだろ!」

 あまりの無責任ぶりに驚いたせいで、母さんを追うのが遅れてしまった。

そのため、俺がリビングの扉を開けたときには、すでに母さんは玄関の扉を閉めてしまっていた。

「…………」

 母さんに振り回されるのは慣れたつもりだったが、まさかこの年になってまで母親の行動にあっけに取られることがまだあったとは。

「えーと」

 とりあえずリビングに戻ったところで少女と目が合い、言葉に詰まる。

 そもそも自分は人見知りするたちであり、特に相手が同じ年の異性ともなるとまともに会話することは難しい。先ほどは茶番のおかげでスムーズに話せたが、急に二人きりとなると――。

 こう考えると、母さんが茶番を仕込んでくれたのはありがたいことだったのかもしれない。ああ、もう心の中で文句を言わないので帰ってきてほしい。

「祐人さんもどうぞ座って下さい。今、お茶を用意しますね」

 柔らかい声で俺に声をかけた後、勝手知ったる様子でお茶と茶菓子を少女は用意し始めた。なぜ我が家のことを知っているのかはわからないが、促されるままに座る。すると、俺の前に茶の注がれたコップと見慣れぬ菓子が置かれた。

「これ、私が持って来たお土産なんです。どうぞ食べて下さい」

「はあ、いただきます」

 とは言ったものの、すぐに食べる気は起きない。

 美少女と自宅で二人きりという、自分の好むゲームならば次の瞬間互いの裸身をさらけ出していてもおかしくない展開だが、実際に美少女を目の当たりにするとその美しさに気おされてしまい少しも浮かれられない。

 相手の正体は未だ不明のままという警戒と緊張が解けない空間の中、ただじっとしていることは辛く、出されたお茶をただ何も考えずに口に入れる。

 もしやこれは地獄の沈黙&お茶をちびちび飲み続けるタイムの到来か、と思われたその時。

「自己紹介が遅くなってしまいすみません。私、与沢よざわ 朱花しゅかと申します」

 少女――与沢さんが前触れもなく名前を告げ、深く頭を下げた。

 与沢朱花、やはり聞き覚えのない名前だ。本当に彼女と自分は会ったことがあるのだろうか。

「いやいや、こちらこそ名前も言わず申し訳ない。それに、うちの母親も迷惑をかけてしまってるようで……」

 与沢さんの方から口を開いてくれたことに内心感謝しつつ、自分も自己紹介をしようとする。

 しかしすぐに、与沢さんが先ほど俺の名前を呼んでいたことを思い出す。母さんにでも俺の紹介をされていたのだろう。

「いえ、千沙さんからは色々と教えてもらったのでありがたく思っています。祐人さんのことも話していただきました」

 やはり母さんだったか。朗らかに話す彼女の様子を見る限りいらないことは話してはいないようだが、もし話していれば母さんの頭をシバいてやろう。

「ただ、祐人さんは何も私についての話を聞いておられないとのことなので、一から自己紹介させてもらいますね。もしわからないことがあればなんでも質問して下さい」

 親切に話してくれているところ申し訳ないのだが、なんでもと言われるとつい性的嗜好などを尋ねたくなる。もちろんその気持ちはグッとこらえ、与沢さんの言葉に頷く。

 しかし改めて思うと、 現在、与沢さんが何者か、何の目的でうちを訪ねたのかわからない。だが、質問しなければならないような内容の自己紹介ということは、自身に複雑な事情があるのだろうということはわかる。

 何を言われても動じないでおこうと姿勢を正していると、与沢さんの形の良い唇が開いた。

「まず結論から言うと、祐人さんに私と契約を結んでもらうために、葛見家を訪ねました」

「ストップ」

 わけのわからない話を結論から話すとは斬新すぎて、早くも動揺してしまった。話し方は丁寧なのだが、内容はまるで理解できない。

「はい、祐人さん。何か質問でしょうか」

「あー、いや質問じゃないんだけど……もう少しわかりやすく説明していただけると」

 そう言うと与沢さんもわかってくれたようで、彼女は快く頷きを返してくれた。

 おそらく、彼女も初対面の男相手で緊張したのだろう。かくいう俺も緊張しているので、相手もそうだとわかると少し安心した。

「つまり私と仮契約をしてほしいのです」

 しかし俺の安心は、秒で潰された。先ほどと話の内容がほとんど変わっていない。

 わかった。この人、説明が苦手なのだ。

「与沢さん、やっぱ俺が質問していくからさ、その質問に答えてくれるかな」

「……はい、わかりました」

 与沢さん自身、自分の説明が下手なことをわかっているのか、言い淀みながらも俺の提案を了承してくれた。

「じゃあ……」

 さて、何から尋ねたものか。

 ……とりあえず、当たり障りのないところからでいいか。

「与沢さんは高校生?」

「はい。今年、高校一年生になります」

「あ、俺の一つ下なのか」

 小柄な少女なので年下かもしれないと考えていたが、それは当たっていたようだ。

「なので、私に敬語は使わなくてもいいですよ。呼び方も、呼び捨てで構わないので」

「んー、じゃあ、遠慮なく」

「その方が私も助かります。これからの生活でずっと祐人さんに敬語を使わせるのも申し訳ないですし」

 ――これからの生活。

 彼女のその言葉に、ふと想像してしまった。もしかすると、この少女はしばらく我が家に滞在するのではないだろうか。

 その可能性は、頭の隅には持っていた。なぜなら最初に与沢さんと会ったとき、玄関に見たことのないキャリーバッグが置いてあったからだ。

「話の腰を折って申し訳ないけど、もしかして与沢って、一週間くらいうちにいるの?」

「いえ、今のところ三年を予定しています」

 もはや驚いても仕方のないことなので今さら声を上げはしないが、心の中で小さく母さんに対して悪態をつく。

「すみません。何も知らないということは、同居のこともご存知なかったのですね」

「いや、突然でびっくりしたけど大丈夫だよ。まあこれからよろしくな、与沢」

 しかし三年もの間、知らない女の子が一つ屋根の下で暮らすということを息子に黙っていたなど、あってはならないことである。母さん、何を考えているんだ。

「よろしくお願いします。それと、もう一つ」

「ん? なに?」

「私は祐人さん、と呼ばせてもらうので、祐人さんも私を呼ぶときは下の名前でいいですよ」

 昔馴染み以外を下の名前で呼ぶことはほとんどないが、これから3年の月日を共に過ごす相手の申し出を無下にするわけにもいかない。

 それに、初対面の異性とこんなに気軽に話せるのは初めてのことなので、彼女には不思議な安心も感じていた。

「オッケー。よろしくな、朱花」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る