永久へのサイン
@ns_ky_20151225
永久へのサイン
「はい、お疲れさまでした」
愛想のいい係員がヘッドセットをはずしておしぼりをわたしてくれた。おれはかるく汗を拭くと伸びをして時計を見る。二時間たっていた。半年に一度の二時間。安心のための時間だが、これを手に入れるのにどれほど払っていることかと、ふと疑問がよぎる。
周囲の係員はみんなにこにこしている。当然だ。おれのような者が収入の半分以上をこれに落としているんだから。
べつに不満があるんじゃない。おれだって自分で判断して契約したんだ。それに、これをしていない不安感にくらべれば、確実な安心を手に入れているんだから。
さあ、帰ろうか。座席から立ち上がろうとした時、一分のすきもない着こなしの、あきらかに上級職の女が近づいてきた。顔の横に公開情報が表示されている。仕事で使用している名前、役職、連絡先。
「アマキ様。いつもご利用ありがとうございます。少々お時間をよろしいでしょうか」
その女はおれが用いている公開名前、『アマキ』つまり『某』を崩したもので呼びかけてきた。椅子に押し戻すような手ぶりを加えている。おれはつられてまた座った。
「実はご契約についてなのですが、長年ご愛顧いただいている方にのみ限定のキャンペーンを行っておりまして、ご紹介しております」
そう言うと同時にボードを手渡してくる。おれが受け取るとキャンペーン情報が表示された。
女は心理学的に研究されつくした位置に椅子を寄せて座った。左横、いっしょにボードを見るような体勢だ。向かい側のような対立する場所ではなく、客の心臓側でおなじ方向を向いていると断りにくい作用があるそうだ。それはおれも仕事で使うテクニックだから知っていたが、そうとわかっていても女がとなりでささやくように話しているというのは不快ではない。
ボードにはまず現在の契約が表示された。
いまのおれの契約は半年に一度の精神バックアップで、これには万が一の時の肉体の複製、および社会復帰のための訓練オプションが含まれている。たいていの人が結んでいる標準的な契約だった。
つまり、おれになにか考えたくもない最悪の事態が起きても、半年前の意識と記憶を持った自分として復帰できる。しかも機械の体や仮想空間じゃなく、自分自身の肉体で現実社会に復活できるということだ。
保険会社がこのような事業を始めてかなりになるが、おれの収入では無理に無理を重ねて半年に一度のバックアップが精いっぱいだ。
金持ちは毎日取るし、作業時間ももっといい機械を使うので五分とかからない。情報の精度だって桁がちがう。
でも、みんなそれぞれできる範囲でバックアップしている。そのバックアップ契約のランクがそのまま社会的な身分でもあった。
説明をききながら、おれは無理してでも契約してやると決めたきっかけを思い出していた。
おれの両親は、おれに上の教育を受けさせるため、バックアップを中断した。そして、データと細胞を保存しておく猶予期間が過ぎてから事故に会い、帰らぬ人となった。そう、文字通り帰ってこない人になったのだ。
そして、その葬式の時、おれは自分が最低の人間だと分かった。両親の葬式を出しているという事実を、恥ずかしいと考えていたのだ。弔問に来てくれた人が、心の中ではみんなこっちをあざけっているように思えた。
『バックアップも残せない貧乏のくせに上級教育なんか受けさせてるんじゃないよ』
『精神データだけでもとっときゃいいのに。それすらできなかったのか』
『機械の体でも、仮想空間でも死んだっきりよりはましだろう』
おれは葬式が終わってからわき目もふらずに勉強し、そこそこの会社に就職した。そして初任給ですぐに精神バックアップ契約を結んだ。
そのころは一年に一回で、オプションもなし。つまりなにかあったら機械の体すらなく、仮想空間で意識のみ漂わせるというみじめな契約だった。だが、それでも限定的ながら不死になったのだ。うれしかった。葬式の時の思いをすこしはね返せたようだった。
それから今に至る。すこしずつ上がった収入は契約のアップグレードとオプションにつぎ込んだ。おれの資産管理をしている人工知能は、これにばかり収入をつぎ込むのにいい顔をしないが、その注意は無視している。死んでゼロになるつもりはない。
女は、おれが昔を思い出しながら聞き流していることなど気づかずに話し続けている。
「……です。つまり、永久保存契約を、アマキ様に特別価格で提供いたします」
説明によると、この契約では、精神バックアップでとった最新データが地球各地と月面のデータ貯蔵庫で永久に保存される。もちろんいまのオプションも込みだ。
提示された特別価格は、どこが特別なのかと思わせるほど途方もないものだった。もちろん一括では支払えない。分割にして現在支払っている費用に足すと、今後二十年は年収の三分の二弱を持っていかれる。おれの視界の隅で、資産管理担当が注意ではなく警告を表示した。
人工知能などに言われるまでもなく、さすがにこれは無理だ。不死も大事だが、いまの生活が成り立たなくなってしまう。
おれは眉をしかめて首を振ったが、その女はさらに食い下がってきた。いまだけ、そしてアマキ様のように長期契約者のみのキャンペーンで、これが終了すると五割以上高くなってしまう。もう一度ご検討されてはいかがでしょうか。
「わかりました。資産運用を見直したいのでちょっと時間をください。このキャンペーンはいつまでですか」
おれはその場を逃げるために適当なことを言った。どうせつぎに来るのは半年後だ。
「来月末までです。どうかよろしくご検討ください」
その後、ちょっと雑談をして、おれは帰宅した。
その月の末、おれは会社の上司に呼ばれた。昇進の知らせだった。まじめに働いてきたこれまでが認められ、来月からは部下を持てる地位になる。
収入も大幅に上がる。
会社を出てすぐに、例のキャンペーンのデータを資産管理担当に検討させた。こんどは注意表示だった。生活が苦しいことには変わりないが、破綻はしない。
おれは即座に申し込もうとしたが、ふと指が止まった。
本当にこれでいいのだろうか。
不死ばかりを求めてきたが、いまの人生を良く生きているだろうか。
毎日の生活。働いて休んで、たまに広告付きの無料の娯楽。恋人はいない、家族をもつ予定もない。いまおれが自由にできる金ではそんなものもつ余裕はない。
一方、この契約をしなければ、経済的には余裕ができてくる。
それを犠牲にしてまで不死がほしいのか。
その時、両親の葬式のようすが鮮やかに思い出された。父も母ももう帰ってこない。もしかれらがここにいたら、この契約に賛成してくれるだろうか。
そんなことわかりはしない。
そうさ、なにが幸せかなんて、おれにも、だれにもわかりはしない。
おれは空中で指をはじき、契約書にサインした。
(了)
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