7.磔のアルセスト


 翌日の朝、登校すると教室の前に人だかりができていた。クラスメイトはカバンを持ったまま、入り口で固まっている。


 何があったのだろう。近くの奴に声をかけると、「見てみろよ」と言われたので、促されるまま教室の中を覗いた。


 有瀬の机にスズメがはりつけにされていた。


 スズメは両翼にハサミを突き刺されて、傷だらけの机に赤黒いシミをつけている。その生々しい惨さは非現実的な存在感を放ち、学校の教室にそぐわない、異常な光景を生み出していた。


 これじゃあ誰も中に入れないよな。


 ふと、窓側の壁に背をもたせかけて、胸を反らしてニヤついているギャルが視界に入る。本当にこいつは、卑劣で陰湿なことをする。しかし、糾弾する者は一人もいない。皆、ギャルを恐れている。


 恐れている……?


 自分で思考しておいて、その言葉に引っかかった。クラスメイトの顔を見渡す。


 ギャルが気に入らないのは有瀬一人だけだ。有瀬の苦痛だけで事が済むのなら、それで済むのなら、それでいいだろう……。


 そんな風にうつむく者、気分が悪そうに顔をしかめている者、色々ある。


 有瀬がこの惨状を見たら、どう思うんだろう。


 誰とも干渉せず、机一つ分の居場所で静かに本を読む。そんな細やかな生活の成立も困難。その細やかさは、こんな低俗な女一人に脅かされるものなのか。


 俺が保とうとしていたのは、こんなにもくだらないものなのか。


 悪貨が良貨を駆逐する、こんなにもくだらないスクールカースト。無意味なヒエラルキー。


 気付いたときには、俺はギャルの目の前に立っていた。クラスメイトたちの注目を感じる。ギャルは怪訝そうに顔をしかめた。


「あれ、誰がやったんだろうな」


 俺の問いかけにギャルの目が爛々と輝く。ギャルは下品な顔に卑しい笑みを浮かべて笑った。


「さあ。誰だろーねっ」


 アハハ、と笑い声を上げるギャル。

 俺に追従笑いを期待したようだが、両脇を固めるギャルの友達を除いて、笑う者はいなかった。

 ギャルは笑顔を絶やし、反応を示さない俺の顔を見つめた。その瞬間、笑わない俺を敵として認識したようだった。今まで執拗に向けられていた好意は一滴も滲んでいない。その瞬間、俺は手に力が入らなくなった。


 自分の中で、何かが死ぬ感覚がした。


 果てしない喪失感。目を閉じると底なしの沼に潜りこんでしまいそうな、暗澹たる思い。


 元々大切なものではなかった。

 だけど頑なに失うことを恐れていた。


 俺が必死で保っていた居場所はたった今、この瞬間にゴミと化した。ゴミの中で、俺は息をして、必死で笑い、死にながら繕っていた。一人になりたくなかった。一人になりたくなくて、低俗で卑劣で最悪なもの達と、肩を並べて笑っていた。


 こんなもの、失っても惜しくはない。

 何も惜しくはないんだ……。


 そう言い聞かせながら、こみ上げてくるドス黒いものを飲み込んだ。


 口の中に絶望の味が広がった。


 

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