8.少年セリメーヌの決壊
スズメを机に磔にするという前代未聞の事態に担任は動揺していた。怒鳴って犯人を突き止めようとしたが、生徒は皆揃って口を閉ざした。
解決しないまま、この問題は放課後に持ち越されることになった。緊急の職員会議も開かれるとかなんとかで、二十代後半の若い担任は教卓に肘をついて頭を抱えた。落ち込んでいるアピールが上手いな、なんてことを思った。
予想していた以上に事が大きくなってしまった、あるいは想像力が働かなかったのか、ギャルは自分が犯人であることを誰かが告げ口しないように、必死で教室中を睨み回していた。あんなことをしたらどうなるか、少し考えればわかるだろうに。どこまでも浅はかで脳の足りない奴だ。教室に充満した生臭さはどれだけ換気しても拭いきれず、授業中にトイレに駆け込む者が後を絶たなかった。
幸い、と言っていいのか、この日有瀬は欠席していた。
昼休み、給食が終わると、ギャルが俺の席に寄ってきた。
「芹目はさあ、アリンコのこと好きなの?」
どうしてそうなるんだよ。話題と思考の陳腐さに呆れたが、努めて平静を装った。装うことや繕うことは、このゴミ溜めの中で息をするうちに得意になっていた。
「ちがうけど」
「でもさ、この前、図書室の授業のときね、二人が一緒にいるの見たんだけど」
「たまたまだよ。俺が読みたい本があるところに有瀬がいただけ」
「でもさ、両思いとか言ってたの、私聞いたんだけど。ねえ、ホントは付き合ってんでしょ?」
何をムキになっているんだ、コイツは。甲高い声が不愉快だ。
化粧がケバく塗りたくられたギャルの顔はキラキラと光っているが、全然綺麗じゃない。舌の根が疼く。
「付き合ってないよ」
「うそ! ホントのこと言ってよ!」
偽ってなどいない。中途半端な部分だけ立ち聞きして、勝手に勘違いしているのはそっちだろう。
有瀬の上靴を汚したり、有瀬の机にスズメを磔にしたのはコイツなのだ。
何という卑劣。何という愚行。
有瀬の机を蹴り飛ばしたときのような乱暴な衝動が腹の底から込み上げてきた。邪悪な感情は全身の血管を駆け巡り、破裂せんとばかりに大きく脈打つ。やれ。やれ。やれ。
「お前はどうして有瀬に嫌がらせするわけ?」
「は? いや有瀬とかゴミじゃん、ゴミに何してもいいじゃんゴミなんだもん。んなことより……」
プツン、と何かが切れる音がした。
俺はギャルの髪の毛をひっ掴んで、引っ張った。有瀬の席まで引きずるように移動する。
ギャルは耳障りな声でギャーギャーと叫んでいる。全然聞こえねえんだよ。俺は赤黒いシミのついた傷だらけの有瀬の机の前で足を止めた。机を割る意気を込めて、ギャルの顔を机に叩きつけた。
鈍い音がする。周りにいた奴らが振り返り、誰かが甲高い声で何か叫んだ。構わない。机はまだ割れていない。弱々しく抵抗するギャルの髪を握り直して、もう一度全力で叩きつける。
何度も何度も、何度も何度も何度も。有瀬の机が割れるまで、この卑劣な醜い顔面を叩きつけてやる。
次第にギャルも抵抗できなくなって、腕をだらりとぶら下げたまま、されるがままに机に打ち付けられ始めた。教室中に、肉と骨と机の打音が不愉快なリズムで鳴り響く。俺を止める者はいない。
そうだ、誰も止めないんだよ。
誰もが平和に暮らしたい。誰も迫害なんて望まないんだ。望むのは平和を脅かす悪の存在のデリート。良貨を駆逐する悪貨の駆逐。
誰だって、ムカつく奴を、底意地の悪い奴を、思いやりの無いバカを、脳足りんを、こんな風に殴り飛ばしたいはずなんだ。
ああ、でも、有瀬がギャルを上靴で殴ったとき。そのときは、有瀬の胸倉を掴むギャルのことを皆が止めてたな。
やっぱり、コイツはいなくなった方がいい。
床にギャルを放り投げると、俺の足下にコロンと歯が転がった。机の角からポタポタと血が滴っている。
もう、取り返しがつかないな。
俺の中の良識はとっくに決壊していた。
全部、この女のせいだ。
有瀬を疎んだコイツが悪い。
追従を求めたコイツが悪い。
追従し続けた俺だって悪い。
心無い言葉を並べて、笑顔で偽り続けた自分が、悪い。
もう、どうにでもなれ。
俺は、横たわる女の腹を、最後に思いっきり蹴り上げた。
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