3.どうでもいいですわ
「わりーんだけど、
家に帰ろうと席を立ったところをホクロに呼び止められた。この後の予定は特に無い。さて、どうしようか。
教室の入口では休み時間に腰を見せてきたギャルが、他のクラスの女子と会話をしながら俺を待ち伏せている。今までもギャルとは帰るタイミングが重なることが多かった。今はあのギャルの与太話に付き合ってやれる気分ではない。
そんなことを考えていると、『日誌』と書かれた緑色のファイルが目の前に突きつけられた。
「な、頼むよ。ちょい。ちょい。お願いいたします、芹目さま。多分だけど……告白、されるような気がすんだよね! これを逃すと、俺、一生童貞かもよ。ねっ、ねっ」
だからなんだよ。俺には何の影響も支障もない。しかし、交代を断って帰るとギャルに捕まってしまうだろう。それは避けたい。
ふと、黒板に書かれた『日直』の文字が目にとまる。
俺に交代を頼んでいるサッカー部のコイツの名前の隣に並ぶのは、いつも一人で本を読む、アイツの名前だった。
有瀬は、放課後だというのに一人で席に座って本を開いていた。日直の相方が日誌を持っていて仕事ができないものだから、律儀に待っているのだろうか。
ちょうどいいじゃん。
仕方がないな、というふうに頷いてみせると、ホクロは「また報告します芹目様、イェー!」 と叫んで慌ただしく教室を出て行った。別に報告なんかいらない。告白よりも、ホクロがどうしてあんなにも不細工な髪型を好むのかの方が気になる。
ギャルも俺たちのやり取りを見て、諦めたようにその場を離れていった。よし、危機回避に成功した。
そうして教室には、俺と有瀬の他には誰もいなくなった。
読書に徹している有瀬の机にわざと大きな音を立てて日誌を置き、前の席に座る。ゆっくりと、本に落としていた視線を上げる有瀬。二重の切れ長の目と視線がぶつかる。
「俺、星野の代わりに日直になったから。ペン貸して」
「……自分の、使えば」
有瀬の声を聞いたのはこれが初めてだ。
女子にしては低い、喉にかかった掠れた感じの声だった。お世辞にも綺麗とは言えない。
「ペンケース忘れた。はーやーくーしーろー」
わざと軽薄に振舞ってみる。さあ、どんな反応を見せる?
有瀬は表情を変えずにカバンの中から黒いペンケースを出し、自ら日誌を開いて書き始めた。俺なんていないみたいな振る舞いだ。
コイツにとって日直当番の相方なんてものは誰でもいいんだろうな。さっきの浮かれポンチのホクロでも、俺に好意を持っている勘違いギャルでも。「ダレでもドウデモイイデスワ」って感じの、この態度。
そう思うと、かすかに腹の中が熱くなった。形を為さずに下から上へと燃え上がるような「憎しみ」だった。こいつは誰のことを無視してるんだ?
有瀬の顔を無茶苦茶に殴りつけてやりたい。日誌を投げつけて、胸ぐらを掴んで、頭を床に打ち付けて、組み伏せて、それから…………。
そこまで考えて、我に返った。そんなことして何になる。想像したって意味が無い。
野蛮な考えを振り払って、さっきまでコイツが読んでいた本を手に取る。なんだか頭が痛い。気怠い。
「この本、何がそんなに面白いわけ?」
パラパラとめくってみると、ページの上部に『人間ぎらい』と本のタイトルが書かれていた。例のあの本だ。やっぱり可笑しくて、フッと鼻から笑いの息が漏れた。
パン、と乾いた音が響いた。
一拍遅れて手の甲に痺れが走り、持っていた本が床に落ちる。有瀬に手を
有瀬は何も言わずに、床に落ちた『人間ぎらい』を拾い、汚れを払う。驚きの方が先に立って、手の痺れは気にならなかった。
「……軽んじるな。アンタみたいなのには、わからないよ」
消え入りそうな小さい声だった。有瀬は手に持っていたペンを俺に投げつけて、カバンを持って教室を出て行った。
投げられたペンは胸にあたって、そのまま床に落ちた。軽いけど硬いペンの感触が胸に残る。
「……なんだよ」
俺だって暴力的な衝動を持ったけど、実行せずに耐えたのに、アイツはお構いなくやりたい放題やって、去っていった。軽んじているのはどちらだ。理不尽だろう、ちゃんちゃらおかしい。
俺、なんで痛めつけられたわけ?
俺みたいなのって、どういうことだよ。
さっき堪えた熱いものがまた込み上げてきて、アイツの
教室中に机の悲鳴が木霊した。
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