2.ウルサイでございますわね
ある日、アイツが読んでいる本のカバーが外れて、表紙のタイトルが見えた。
『人間ぎらい』
思わず吹き出しそうになった。
そんな本を読んで、「ワタクシはニンゲンがキライデスノ」ってアピールしてるつもりだろうか? 笑いを堪えて咄嗟に俯いたところを、ホクロに目撃されてしまった。
「なんだよ
ホクロが愉快そうに顔を覗き込んでくる。その顔はチョコチップが埋め込まれたパン生地に似ていて、直視すると気分が悪くなる。思わず目を逸らした。
「別に?」
「別にじゃないよお、今の笑い方、なんか変だったよねえ〜!」
ホクロと、二つに結んだ髪を巻いた女子が、ケラケラと笑い声を上げる。
あまりにも二人が笑うものだから、他所で話していたインテリメガネやギャル達も集まってきて、俺の周りには小さな人だかりができた。
話の矛先が俺に向いたり、俺が関わる話題になるたび、俺は適当に笑って皮肉や冗談を飛ばす。それで場は成立する。心にもないことを口にして、狡猾に、そうすれば円滑に過ごせる。容易なことだ。
それとなく視線を戻すと、アイツはやはり一人で本を読んでいた。微動だにしないけれど、その背中は雄弁に語っているようだ。
「ウルサイでゴザイマスワネ、ワタクシはニンゲンギライナノヨ、ゴミケラドモガ」
という感じだろうか。
なあ、ゴミケラはどっちだよ。
誰からも見下されている奴が人を見下しているつもりになっているであろうことが、ひどく滑稽に思えた。
わかっている。この感情はきっと優越感というやつだ。
俺は一人じゃないんだ。
俺の周りには人がいる。
俺は上手くやれている。
俺はあんな風にはならない。
何の脈絡もなく、ギャルが「腰にアザができちゃったんだよね」とシャツをたくし上げて俺に見せてきた。
色黒の細い腰。見たくもないのに見せられて、一瞬言葉に詰まった。
とりあえず「細いな」と言ってやると、「ちげーよアザ見ろよ」とギャルは嬉しそうに俺の肩を叩いた。コイツは女子の中で一種の権力を持っているので、恨みは買わない方がいい。コイツに目をつけられると、後々面倒くさいことになる。こういう奴は大抵が陰険でねちっこい。女は敵に回さない方が利口だ。
その時、少しだけ、頭が重たくなった。
昨日もコイツとこんなやり取りをした気がする。その時は上手く撮れたというプリクラの画像を見せられた。ほとんど履いてないような短い丈のスカートから丸出しになった脚は鉛筆のようにガリガリに細く加工されていて、目も異様に大きくて宇宙人のようで気持ち悪かった。昨日はその画像。今日は生の腰。明日は何を見せられるんだろうか。
不意に視線を前に向けると、アイツが振り向いてこちらを見ていた。目が合うのは初めてだったが、アイツはすぐに目をそらして読書に戻ってしまった。
……アイツ、確かに俺を見ていた。
その瞬間、針で刺すような痛みが首筋に走った。何かを見透かされたときのように、背筋に冷たいものが走る。冷たい汗が噴き出す。
「ちょっと芹目、聞いてるー?」
「聞いてるよ、可愛いじゃんそのピアス」
「ね、今度一緒に買いに行こうよ。かわいーショップ見つけたんだよね」
「行かなーい。ピアスこわーい」
「はあー!? 何カマトトぶってんのよー!」
俺の動揺には誰も気づかないし、気づかれないように努めて明るく振る舞った。
息苦しい。肺のあたりが窮屈だ。喉元を掴まれて締め付けられるようでうまく声が出ない。
どうして俺、こんな気持ちになってるんだろう。
気持ちが俺の底の方に、暗く、沈んでいく。
だけど、それを表面に出すつもりはない。
俺は下品に笑い声を上げ、平然と会話を続ける。
ああ、上手くできているな。
俺はその日も手を叩き続けた。
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