第2話 星粒の奇跡
「あらー、給油のお客さんかしらね」
外の景色が徐々に紅色へと染まりつつある時分。バイクとおぼしき停止するエンジン音を聞いて、リミナは雑誌の誌面から窓の外へと目を向けた。大戦前に作られたものとおぼしき、ずいぶんと古い型のバイクから男性が降り立つと、ヘルメットを外して中折れ帽子を丁寧に被り直している。
「日系人……?」
その一瞬見えた、白人にはないような独特の黒髪を、リミナは見逃さなかった。
「いらっしゃいー」
お店の中に入ってきた男性に、リミナはいつもと変わらぬ声をかける。男性は板チョコレート1枚と瓶コーラ1本を、レジカウンターへと無言で置く。男性の微妙な緊張感と、全体的に隙のない動きを見破ったリミナは、ちょっとした違和感を覚えた。
「はい、13セン……」
リミナはふと顔を上げると、驚いたように言葉を遮り……窓の外から自分へと向けられた銃口に青ざめる。カウンターの男性に気を取られすぎていたため、外の様子に気づくのが遅れたのだ。
「殺気……!」
同時にカウンターの男は、コーラの瓶を引っ掴むと……振り向き様に窓の外へと投げつけた!
バァンッ!
窓硝子とコーラの瓶と炸薬と。三つが同時に破裂する音が、店の中に盛大に響いた。
「強盗よっ! モトコ逃げてッ!」
リミナはとっさに叫ぶと、カウンターの陰に身をかがめながら、レジ下に忍ばせてあった革鞘入りの柳刃包丁を左手で掴み取る。
「えっ……」
その言葉にやはり身をかがめながら、商品棚の陰に身を隠している男は一瞬動揺したような声を上げる。とっさにコーラ瓶を投げて拳銃の弾丸を防いだかと思うと、その一挙動で流れるように商品棚の陰へと身体を滑り込ませる動きは、やはりただ者ではない。
「おい、ミセスいま何て……?」
「ちっいぃっ、最後の弾だったんだぞ大事に使いやがれこのドジ」
「うるせぇ、コーラの瓶がすっ飛んでくるなんて思わねぇし、しょーがねぇだろボケ」
男の声を遮るように、店の外からは大きなだみ声が聞こえてくる。とりあえず強盗の拳銃の弾はもうないらしい。
「ちょっとあんた達! お店めちゃくちゃにしてどうしてくれんのよ!」
リミナは怒り心頭といった声を張り上げながら、カウンターに右手をつき華麗に飛び越え、ロングスカートをふわりとさせながら綺麗に着地する。その無駄のない動きとただならぬ気配に、男はとりあえず白かったショーツとか見事な美脚とか、諸々は見なかったことにしたほうが身のためだと思った。
「……とりあえず後回しのようだな」
怯む様子なく店の外へすたすた向かっていくリミナに、男も商品棚から立ち上がり店の外へと歩を進める。
「ほらー、刺されたくなかったらおとなしく保安官事務所に行きましょうかー?」
リミナは柳刃包丁を抜き放つと、ピッと切っ先を強盗二人へと鋭く向ける。
「助太刀させてもらうぞミセス」
男は自分のバイクにある荷物から、1メートルほどの長さの丸木の杖を抜き放つと、リミナの側へと歩み寄ろうとする。
「えぇい、おとなしく捕まるなんざごめんだぜ」
強盗の1人、色あせたシャツとジーンズに身を包んだ黒人の大男は、弾切れの拳銃を放り捨て、ボクサーの構えとフットワークを取りながらリミナとの距離を詰める。
「女1人と東洋人野郎に、銃なんざいらねえぜ」
もう1人、よれたフェルト帽を被り、着古されたシャツとズボンに身を包む白人の強盗は、乗ってきたおんぼろのピックアップカーの荷台から、柄の長いシャベルを手に取った。
ロングシャベルを左前中段に隙なく構える白人強盗は、たまたまお客として立ち寄った日系人の男と対峙する。
「東洋人野郎め、ケガしたくなかったらおとなしく帰りやがれ」
「物盗り風情が偉そうに。叩きのめして警察に突き出してやる……北辰一刀流、
「てめぇ!」
白人強盗は躊躇なく踏み込むと、シャベルの刃を縦にして真っ直ぐに突きを繰り出した。
しかし、
「お見通しだぜ東洋人野郎」
「……なに!?」
しかし白人強盗は、シャベルの刃をくるりと90度返すと、刃と柄の間のT字の角に丸木杖を引っかけ、そのままぐるりと内側へ捻り下げようとシャベルを操った。
「いかん」
「ぐあっ!」
そのまま後ろへ吹っ飛ばされるように尻餅をつく
シャベルが当たる直前に反射的に後ろへと転んで、衝撃を和らげ難を逃れたが、今や熟練の域に達したはずの一刀流奥義の切り落としを、異国の地で易々といなされてしまったことに驚く
「シャベル格闘術か……」
ただ闇雲にシャベルを繰り出しているわけではない。シャベルの長さと形を巧みに利用し、無駄のない体裁きをベースにした、突き技と返し技を主体に構成されるマーシャルアーツ。欧州戦線の戦場の中で自然と体得したのであろうシャベル格闘術を、
「もう終わりかよ東洋人野郎」
白人強盗は、シャベルを再び左前中段に構えながらじわりと迫る。正式な型のある武術が相手ではないので、日本の剣術にはない足の甲など変則部位への攻撃も警戒しなければいけない。
――焦るな。心を静めろ。
互いに返し技、後の先を得手とする場合、ある程度の力量差がない限りは先の先を取らされた方が負ける。
「くたばれ東洋人野郎ッ!」
そして、白人強盗の方がしびれを切らし、再びシャベルを今度は股下から真っ直ぐ切り上げながら突くように繰り出してくる。やはり変則的な軌道だ。
颯太は左横斜めに踏み込みながら流れるように体を裁き、掠めるようにしてシャベルの突きをかわしていく。
白人強盗はシャベルの刃をやはり90度返して横向きにし、そのまま横へ薙ぎ斬るような無駄のない連撃に移ろうとするが……しかし颯太が踏み込んで打ち下ろす電光石火の剣は、白人強盗の連撃を許すほど甘くはなかった。
がすんっ!
「ぐがあっ……!」
北辰一刀流の奥義・星王剣を彷彿とさせるような流麗にして素早い見事な剣捌きで、丸木杖は白人強盗の頭を見事に打ち抜いたのだった。
一方、黒人強盗と対峙するリミナは柳刃包丁を引きながら、後ろに軽くステップで下がる。彼女が一瞬前までいた空間を、鋭い左ジャブと必殺の右ストレートの見事なコンビネーションが空を切った。
――思ったより拳速が速いわね。こいつ、できるわ。
――なんて女だ、避けやがった。一体何者だおい!?
リミナと黒人強盗、お互いの驚きの視線が交錯する。
黒人強盗も、戦中に陸軍内部のボクシングの試合では、相手はエキシビジョンとはいえ今のウェルター級チャンプと互角に打ち合った腕前だったが、まさか間合いを見切られるとは予想外だった。
「どうやら、おとなしく保安官事務所へ行く気はなさそうね」
リミナは、柳刃包丁を握り直して、体勢低く身構える。
「あんたも素人じゃねぇな。そのナイフの構えは陸軍格闘術のものだろうが」
黒人強盗は、軽快なフットワークを崩さずに低く問う。リミナは、陸軍の護身術を指導していた夫の練習相手をしながら、自分も手ほどきを教わったのだが、そんなことは強盗なんぞに教えてやる義理もない。相手の左ジャブの連打をかわしながら、黒人強盗の隙を窺う。
「このっ、ちょろちょろとすばしっこい牝猫だぜっ」
まがりなりにもリミナは刃物を持っている。モーションが大きいストレートやフックでは、かわされて刺される危険が大きいと判断した黒人強盗は、かつて対戦したウェルター級チャンプ直伝の、左のジャブとステップワークを巧みに駆使した、スピード重視のアウトボクシングでリミナに迫る。
「くっ……」
リミナは何とか避け続けるが、黒人強盗の方がリーチは長いため、容易に反撃には移れず、じわじわとお店の壁際に追い込まれつつある。黒人強盗が巧みに回り込みながら、ジャブを細かく繰り出してリミナを追い詰めているのだ。いくらジャブとはいえ、グローブを着けていない大男の拳がリミナに直撃すれば、ただでは済まないだろう。
「もらった!」
ついにリミナをお店の壁際に追い詰めた黒人強盗が気合い一閃、やや大振りな左フックを繰り出す。そのまま右ストレートとのコンビネーションで、一気にリミナを仕留める意図だ。
――来たわね!
しかしリミナは拳を見切りつつ、落ち着いて身をすっと屈めて左フックをかわす。
バリィンッ!
細身の女性など直撃すればひとたまりもない剛拳は、しかしリミナではなくお店の窓硝子を木っ端微塵に砕く。
「ぐあぁッ!?」
飛び散る窓硝子の破片と、拳に突き刺さった硝子片に黒人強盗が驚いた、一瞬の隙を見逃さず。
「窓硝子代は弁償してもらうわよ」
屈んだ姿勢から繰り出して喉元に突きつけたリミナの柳刃包丁は、黒人強盗をフックの姿勢のまま凍りつかせるには十分だった。
「勝負ありね。おとなしくしないと本当に刺すわよ」
「うっ……くっ」
リミナの勝ち誇った言葉に、しかし黒人強盗が怯みながらも、ステップで真っ直ぐ後ろに下がろうとした刹那。
ばこんっ
「危ないところだったな、ミセス」
たどたどしい英語は黒人強盗の後ろから。白人強盗を倒した颯太が駆けつけ、後ろは無警戒だった黒人強盗の後頭部を、丸木杖で打って昏倒させたのだった。
「ご苦労さん、お手柄だったね」
保安官は、取り押さえられていったん診療所へと運ばれてゆく、強盗2人に視線を送りながらリミナに声をかけた。2人とも脳震盪を起こしているが、じきに意識も戻るだろうと思われた。
「なぁにがご苦労さんよ。窓硝子2枚も割れちゃって、こっちはとんだ災難よ」
リミナはぶんむくれながら、両手を腰に当てて保安官を睨んでいる。
「そう言いなさんな。相手は先日言ってたベイルジャンパーだから、報奨金ぐらいは出るだろうよ……窓硝子2枚分ぐらいにはなるんじゃないか?」
保安官は笑いながら、ゆっくりと煙草を1本抜いて火をつけ、何とも穏やかな表情で旨そうに一服する。
「いやぁ日が落ちるとまだ冷え込むなおい。ひと仕事終えたら、今日はバーで1杯引っかけてから帰るかね」
保安官は煙草を口にくわえ、鈍重な仕草で帽子を被り直すと、そそくさとその場を立ち去っていった。
「あなたもね、通りすがりの日系人さん。最初はグルかとも思っちゃったけど」
笑顔で振り向くリミナに、
「礼には及ばないが、ミセス、尋ねたいことがある。もしや、もしやこの人をご存じでは……」
「う……うそ……まさか……」
リミナにとっては聞き慣れた声、そして
「なるほど、ね。まさか星の粒からひとつの星を探し出すような奇跡、本当に起きるなんて」
颯太が地面に取り落とした手紙と写真を拾い上げ、その内容を見たリミナ。今よりも少し若いモトコのカラー写真越しに、星粒に彩られた空の下で抱き合う2人を見て、リミナはそっと写真をはさんで手紙を折りたたんだ。
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