星粒の奇跡を信じて

悠川 白水

第1話 モトコとリミナ

 車は女性をひとり降ろすと、僅かな土煙を立てながら足早に走り去っていった。

 徐々に小さくなっていく車を、小さな革のカバンを両手で持った女性は、うつろな表情で呆然と眺めている。

 質素で古ぼけたブラウスとスカートは色もくすみ、かつては艶やかだったことを彷彿とさせる黒髪も、東洋人離れした色白な肌も、手入れがまるで行き届いていない。

 日系人強制収容所を出てから2年。家族に家財、自分にまつわるものの多くを、望まぬ形で失った20代後半とおぼしき女性は、視線をゆるりと左側へと移す。

 そこには田舎のささやかな町並みと、小さく寂れたガソリンスタンドと雑貨屋が目に入った。

 女性は、まるで夢遊病者のような不安定な足取りで、その小さな雑貨屋へと歩を進めた。



 リミナは今日もカウンター越しに腰掛けて、ぼーっと外を眺めている。

 磨き足りないその硝子越しには、夕焼けに紅く焼かれた西部特有の荒れた大地が映っている。いつもと変わらぬ、しかしリミナにとっては安堵感のある光景。


 カラン……


「いらっしゃいー……?」

 雑貨屋の小さな扉が開かれると、年の頃ならリミナと変わらないような、しかしボロ雑巾のようになった日系人の女性が入ってきた。

 日本との戦争が終わってから2年半ほど経ち、どこぞかの収容所に入れられていたという日系人も、ちらほら都市部では目にするようになったと客から聞いているが、このような田舎町のガスステーション併設の雑貨屋に顔を出すのは珍しい……というより、リミナはこの店を開いて以来初めてだった。


「こ、こんにちは……あ、あの、何か食べるものは」


「え? ああ、その辺に適当に並んでるからー。あと、コーヒーとかコーラとかホットドッグぐらいなら」


 リミナは、ゆるりと店の一角にある手狭なカウンター席の方へと目線をやる。豊かな栗色の髪を、後ろにポニーテール風に結った美人なのだが、スラリと伸びてバランスの良いプロポーションも、しかし野暮ったいデザインのエプロンとロングスカートのせいで半ば隠れ、少し色褪せて見える。


「あの、とても言いにくいのですが、持ち合わせが……」

「……ないんだ?」

 お互い、ばつが悪そうに目を合わせた。


「こっちも商売だからねー……と言いたいところだけど、あんた、ふらふらさんじゃない。しばらく飲まず食わずのクチかなー?」

 リミナとの僅かなやりとりの間、女性は気丈に立ってはいるが、足元が心許ない。いつ倒れられてもおかしくない状態だ。


「まあいいわ、そこのカウンターに座りなよー」

 言いながらリミナは奥のキッチンに下がると、お皿を出して調理の音を立て始めた。

 女性は少し遠慮しがちな表情をするが、しばらくしてふらふらとスツールに腰掛け、使い込まれて茶色が濃くなった革のカバンを傍らに置く。もはや空腹で立つのも限界だった。


「はい、余り物だから遠慮せずどうぞー」

 リミナは、ぞんざいに切ったオニオンをソーセージの上に乗せて、マスタードとケチャップを適当にかけた、できたてのホットドッグが載った皿をカウンターに置く。


「しかし、お代が……」

「余り物だから気にしなくていいわよ。お店で倒れられたら目も当てられないし、私が迷惑ー。日系人さんを診てもらうよう頼める医者が、この町にいると思う?」

 リミナは、オイル色をした浅煎り豆コーヒーを、白いカップになみなみと注いでカウンターへと差し出しながら、さらりと本音を突きつけた。


「申し訳ありません……では、ありがたく頂戴いたします」

 女性は丁寧に両手を合わせて軽く一礼すると、いただきます、と小さな声で言いホットドッグをぱくつき始める。空腹にさいなまれながらも、行儀作法は崩さないあたり、育ちの良さを感じさせた。


「持ち合わせないみたいだけど、これからどこへ行くのー?」

 自分のコーヒーも淹れてゆっくりと啜りながら、リミナはホットドッグをもりもり食べている女性に訊いた。まばらに来る客はむさ苦しい男共ばかりで、同じような年頃の女性と話すのはとても久しぶりだった。


「んぐっ……船で日本へと渡ろうと思っています。確か、この先のサンフランシスコからは以前は船が……」

「なるほどー。でも、今もサンフランシスコから日本への船が出てるのかしらね……っと、そうだそうだ」

 コーヒーカップを置いたリミナは、店のレジ付近まで行き、小さなパンフレットを手にして戻ってくる。


「この前、船会社のパンフレットの新しいのが来たんだった。ひょっとしたら載ってるかなー……?」

 リミナはぱらりとパンフレットをめくり、時刻表を目で追う。


「おお、何かこの地名……ヨコハマって読むの? 日本っぽいけど、どう?」


 パンフレットを女性に突き出して、リミナは指で指し示す。寄港地の欄に書かれていたYOKOHAMAの文字を見て、女性は感極まった表情で首を縦に振った。


「はい、横浜と読みます。日本の港です……ごちそうさまでした」

 女性は流暢な英語の中に、淀みのない発音の日本語を織り交ぜて答え、最後のホットドッグを飲み下して両手を合わせる。


「ヨコハマかー、綺麗な響きの町の名前ねー……どうやら、去年の暮れから運行開始したばかりみたい。おいくらするのかなー……げっ」

 今度は運賃欄を見ていたリミアの表情が歪む。


「片道280ドルぅ!? 3等客室の一番安いのでこれって、庶民には高嶺の花の額ね」

「280ドル……」


 それを聞いて、女性の表情も凍り付く。持ち合わせがなさそうな女性はおろか、小さな雑貨屋のリミナにも、預金通帳の残高がふと頭をよぎるような額なのだ。ちなみにリミナの店のホットドッグは15セントなので、船賃がいかに気軽な金額ではないか推して知るべし、である。


「貴女、日本へ行くのは茨の道よー……」


「……」


 急に気まずそうな空気が流れる。


「今日はもう日が暮れるわ。部屋空いてるし、一晩なら泊めてあげる。そういえば、名前は何というのー? ちなみに私はリミナ=シャンハートよ」

 リミナは皿とコーヒーカップを片付けながら、女性に名前を尋ねる。


「私は……モトコ。モトコ=サクハラ」



 リミナは朝が弱い。

 といっても、朝7時にはお店を開けなくてはいけないので、そもそも起床時間が早いのだが、リミナが起きて住居スペースのある2階から1階の店舗へと降りてきた時には、モトコは既に1階で掃除をしていた。


「あ、おはようございますリミナさん」

「おはよーモトコ。疲れてたと思うのに、起きるの早いねー。ゆっくりさんでよかったのに」

 リミナはうーんと背伸びをしながら、開店の準備をしようとするのだが。


「ありゃ、ホントに店の掃除してくれたんだねー」


 昨夜、せめて泊めてもらい食事もいただいたお礼にと、モトコはお店の掃除を願い出ていたのだが、そもそも掃除と調理が苦手なリミナのこと、安請け合いで朝食の用意も込みでお願いしてしまっていたのだ。


「お食事の下ごしらえもできていますので、いまご用意しますね」

 モトコはそう言いながら、窓を拭く手をやめて調理場へと駆けてゆく。


「へえ……」

 その拭いていた窓から見える、ぼんやりと明るくなりつつある景色は、そこに硝子などないかのようにクリアで色彩鮮やかで、リミナがそれまで見ていた窓越しの景色とはまるで別物だった。


「すごいー、すっごくピカピカよ、この窓」

 リミナがうっとりしたように言いながら振り向くと、視界に入る店内にも微妙な違和感を覚える。

 床はきれいに掃き掃除されて塵ひとつなく、棚の商品も線で引いたように整然と並べられ、カウンターやスツールは汚れがきれいに落とされて……一言でいえば、店全体がピカピカになっていた。


「す、すごいわモトコ。これ全部掃除したの?」

「はい、でもキッチンまわりはまだ手つかずで……あ、お塩と重曹を少し使わせていただきました」

 モトコは、窓際にある2人用の小さなテーブルに朝食が載った皿を並べながら答える。

 白く綺麗な皿には、ペッパーを効かせたハムエッグとサラダが盛り付けられ、少し厚めに切ったパンはトーストに。薄く塗られたマヨネーズが、軽く焦げて胃を刺激する香りを立てている。


「おぉ、おいしそうー。モトコ、実は調理上手だったりする?」

 テーブルの料理を見ながら椅子につくリミナは、オニキス色のコーヒーを運んできたモトコに訊ねる。


「得意というほどではないですが、嫁入り修行にひと通りのことは……」

「大したものだわ。とっくに嫁入りしたはずの私より上手よー」

 リミナはコーヒーにミルクを注ぎながら、カウンター奥の壁に掛けられた写真に視線を移す。

 そこには、今とさして変わらぬ容姿で微笑むリミナと、彼女に寄り添うひと回り背の高い男性の姿があった。


「あの写真は……」

「えぇ、亭主よ……5年前にドイツへ戦争に行ったきり。手紙はたまに来るから生き延びたのは違いないみたいなんだけどねー、いつ帰ってくるのだか」


 リミナはあっけらかんに言うと、コーヒーを口に運ぶ。


「んんっ!? 私が淹れたのと味が違うわ。ホントに同じ豆かしら?」

「え? そのはずですけど……お台所で豆は1種類しか見かけませんでしたし」

 モトコの淹れた浅煎り豆コーヒーは、リミナが昨日モトコへ振る舞ったそれに比べて香りが立ち、苦みが少なく酸味も豊かだった。


「むむぅ。モトコ、ここはひとつ貴女を女と見込んでの相談なんだけど」


 リミナはトーストをもぐもぐさせてから、モトコの目をガン見する。


「どうせ持ち合わせないなら、船賃が溜まるまでここで働いていかない? ちょうどゲストルームひとつ空いてるし。私の代わりに料理と掃除をやってちょうだい……じゃなくて、教えてちょうだい。亭主が帰ってきたらびっくりさせてやりたいわ」


 軽くトーストのパン粉がついた手で、モトコの両手をわしっと握りながら、リミナはモトコにぐっと詰め寄る。


「あの……それはとてもありがたいのですが、本当によろしいんでしょうか? それに、リミナさんその……私、日系人ですし」

 モトコは目を伏せる。アメリカの各地で、日系人への差別はいまだ激しい。店によっては物も売ってくれないこともザラで、モトコのことを不快に思うお客の方が大多数だろう、ということは容易に想像できた。


「あはは、なんだそんなことね」

 リミナは急に席を立つと、調理場の方へと姿を消し、そしてすぐに戻ってくる。その両手には、1本ずつ包丁が握られていた。


「え? あの……」

 モトコの顔が急に青ざめる。


「この包丁、いまは私の愛用品。すごいと思うのよね」

 そう言いながらリミナは席へと戻り、手にした包丁をテーブルに静かに置く。ひと振りはキッチンで使われているもので違いないので裸だが、もうひと振りは手製らしき革の鞘に収められていた。

 包丁を持ったリミナは、少し雰囲気が違うとモトコは思った。敢えて表現するなら、眠った遠い記憶が炙り出るような、とても懐かしいと感じる雰囲気だった。


「これって……お台所にあった包丁ですよね?」

「そう。モトコの国のモデルよ。5年ぐらい前かな。古道具屋で錆が浮き始めてたこれを見て、何かピンと来てね、その場で買ったのよ」


 リミナは、革の鞘を抜き払って包丁を見つめる。


 日系人は収容所に入れられる際に、財産の多くも手放すことになったり、あるいは預けていた家財を無断で売り払われてしまうことも多かったが、そんな日系人の板前が所有していたものが流れていたのだろう。

 その柳刃包丁はしかし、刃は錆どころか吸い込まれるような白銀の輝きを放ち、真鍮の口金は黄金に近い煌めきを、柄は美しい木地の艶を取り戻していた。


「研ぎ直したら、すごくよく切れるようになったのよ、これ。それに、うっとりするぐらいキレイ。ホントに素晴らしい感動だったわ……

 昨日は今にも死にそうだった貴女が、今日は見違えるように生き生きしてるのを見てさ、何かそのときのこと、ちょっと思い出してさ」


 リミナは包丁を再び手にして眺め、そしてモトコの顔をじっと見つめる。


「バカなお客どもに、モトコへの文句なんて言わせないわよ」



 モトコが来てから半月ほど経ち、リミナの雑貨屋はお客が増えたかというと、特にそういうわけでもなかった。


 元々、車の給油ついでに流れの旅行者やドライバーが、足りないものや必要なものを買ったり、休憩ついでに軽食を取るための店である。町中の人々は、もう少し大きめの店構えをしているバーやマーケットに行くことが多い。


 モトコの前でああは言ったものの、リミナもお客に目を付けられると面倒になりそうなことは薄々承知しているのか、カウンターの接客とガスステーションのサービスはすべて自分で行い、モトコにはもっぱら開店前と閉店後の掃除整頓と、お客からは死角になりやすい奥のキッチンで調理をしてもらっている。


 シャワーと石鹸で清潔に磨かれたモトコの身体は、その辺にいる白人女性よりも色白なぐらいの雪肌と、立派なボディラインの持ち主だったが、髪と瞳の色ですぐに日系人とバレてしまう。逆に言うと、髪を帽子で隠して顔さえ見られなければ、遠目や薄暗い時間なら白人と見分けはつかないだろう、というのがリミナの判断だった。


「よう、入るぞ」

「いらっしゃいー保安官さん」

 流れの一見さんのお客がほとんどの雑貨屋で、数少ない常連客といえばこの歳をとった保安官ぐらいなものだろうか。


「最近、えらい店がこざっぱりになった気がするんだが……いよいよ亭主が帰ってくるかね」

「さあ、ここ半年は何の連絡もないですけどね。保安官さんの気のせいじゃないですかー」

 リミナはいけしゃあしゃあと言い放つ。


「ふむ、そうかの。まあいいわい。コーヒー1杯頼むかな」

 老いた保安官は、よっこらせという言葉が体から聞こえてきそうな仕草で、スツールに腰掛ける。


「どうぞー」

 保安官好みに、ミルクと砂糖を多めに入れたコーヒーをカウンターへ運ぶリミナ。


「……コーヒーも最近旨くなったような気もするが……」

「いっぱい砂糖とミルク入れてるのに、分かるんですかーそんなこと?」

 リミナは半ば呆れたような口調で言う。ちなみにリミナとモトコは、適量のミルクだけで砂糖は入れない。


「気のせいか。やれやれ、歳はとりたくないね……とそうだ、先日タチの悪い2人組のベイルジャンパーが出たらしい。せいぜい気をつけてくれよ」

「タチが悪いって、どの程度?」

 リミナは保安官に訊ねる。ベイルジャンパーは、借りた保釈金を踏み倒そうとして行方をくらませている犯罪者のことで、逃走先でも強盗などを起こすことが多く、町の人々には厄介極まりない存在だった。


 お店の壁には、リミナの亭主が取得したバウンティハンターの許可証が、飾り同然で額縁に入ってうっすら埃を被っている。モトコも背が届かないためか、十分に埃払いができていないようだったが、リミナは出掛けてまで捕り物はしないためか気にも留めなかった。


「ふたりとも大戦に行ってた軍人くずれらしいな……街で強盗して2人ほどったらしい」

 保安官は、コーヒーをゆっくりと啜りながら他人事のように話す。


「そりゃ物騒なことね。それらしい人を見かけたら、保安官さんにお知らせするわー」

「冗談。そんな物騒なの、わしの手には負えんよ。何ならあんたの方で縛り上げてもらってもいいんだぜ。ごちそうさん」


 保安官は悪戯っぽく言うと、代金をカウンターに置いてスツールから立ち上がり、店を出て行った。


「冗談。そんな物騒なの、女の私に生け捕りにしろとか無理でしょー」

 溜息をつきながら、リミナは保安官が出て行った出口の方を見やる。


「ま、生け捕りじゃなくていいのなら、考えなくもないけどね……ふん」

 リミナは誰にともなく不敵に微笑んでみせた。



「というわけだからー、モトコ、今夜から戸締まりはしばらくしっかりして寝ましょう。貴女の部屋にも後でロープつけとくから、強盗が入ってきたら窓からロープで降りて庭から逃げてねー……それとはい、今日のお給金」

 夜になり店を閉めて片付けをした後、リミナは5ドルを裸現金でモトコに渡す。法定最低賃金ギリギリもいいところだったが、その日の売り上げからの歩合制で支払うとなると、リミナには精一杯の額だった。


 最近、朝7時から夜11時まで店を開けている雑貨屋チェーンもテキサスの方で出来たらしいが、さすがに個人営業でそこまで店を開ける気はさらさらなく、リミナの店は夜7時には早々に閉める。そもそも夜遅くまで店を開けていると、いくら田舎町とはいえ女1人では物騒でもあった。


「ありがとうございます、ようやく少し船賃も貯まってきました」

 モトコは深々と頭を下げる。船賃280ドルだけでなく、サンフランシスコまでのバス代や食事代、日本に渡った直後の行動費なども含めると、400ドル程度はあったほうがいいということだったが、このペースだと半年程度はかかりそうな具合だ。


「モトコのおかげか、コーヒーがよく注文出るようになったのが大きいわねー。ほら、水物ってコストは安いから利幅大きいのよー」

 夕食のドライフルーツ入りスコーンを口に運びながら、リミナは上機嫌で話す。スコーンは昨日までモトコのお手製だったが、作り方を教わって今日は初めてリミナが焼いたものだった。上々の出来に自然と頬も緩む。


「モトコ、日本に渡ってもアテとかあるの? ずっとこの国で過ごしてたんでしょー?」

「ええ……この方と巡り会いたいと思っています」

 モトコはポケットから、1枚の古びた白黒写真を取り出した。歳の頃20歳ぐらいだろうか、なかなかキリッとした雰囲気の好青年だ。


「従兄弟くんか何か? 結構若いねー」

 リミナは、近所の家から余り在庫の葡萄ぶどうジャムと交換で手に入れた鶏肉の塊を、柳刃包丁とフォークで器用に切り分けながら、テーブル上の写真を評する。


「これは、もう戦争が始まるずっと前の写真です。ずっと手紙のやりとりをしていたのですが、戦争でやりとりができなくなってからは、生きているのかどうか……」

 モトコは消え入りそうな声になり、両手で顔を押さえて泣き始めてしまった。


「別のコミュニティに住む殿方と縁談の話もありましたが、どうしても気が進まなくて、そのうちに戦争になって縁談はうやむやになったんですけど……」

「もういいよ。辛かったんだね」

 泣き崩れるモトコを、リミナは寄り添って優しく背中から抱きしめてあげた。


「そうだ、こっちにおいでよ」

 リミナはそう言うと、テーブルから連れたってキッチン奥の勝手口からお店の裏側、ちょっとした広さがある庭へと出る。


「見てごらんよ」

 春の訪れを告げるような、涼やかな乾いた夜風を全身に浴びながら、リミナは庭の真ん中に立つ木のそばに腰を落とす。

 外からは死角となる位置ながら、遮る建物が何もない星空が見られるこの庭は、リミナの気に入りの場所だった。満天の星空、というありふれた表現がいかに的を射たものかをまざまざと感じるような、見事な星空だった。


「まるで砂漠の砂粒みたいに星だらけの空なのに、あそこ、ほら。北極星はちゃんと分かる」


 ほのかに明るい星を指さすリミナ。


「その想い人は生きていて、いま懸命にモトコのことを探しているのかもしれないよ。

 それは星の粒からひとつの星を探し出すような奇跡だろうけど、それでも星はちゃんと探せるんだから」


 モトコは泣くのをやめ、涙の跡を張り付かせた顔で無心に星空を見つめていた。


「そう……そうですよね。だって私に最後に残されたのは、ソータさんとの思い出、ソータさんへの想い。ソータさんと添い遂げる奇跡だけなのですから……」

「愛も刃も心を込めて研げば、煌めきは戻るものよ。そう、折れさえしなければね」


 リミナは、自身にも強く言い聞かせるように呟いた。

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