第4話選定の剣

「これは……」

 目の前に有る光景にスクナは絶句する。

 スクナの住む東宮の逆、王族の住む西宮の裏には風雨に晒され僅かに磨耗した静謐せいひつ祭祀場さいしじょうが存在した。小さく簡素ではあるが今も人の手が入っている事を感じさせる白亜の霊域の中心には僅かに高くなった場所が有り、其処には水晶の輝きがひっそりと鎮座している。


「剣ですね。初代ソーマ王が死期を感じた時に愛剣を突き立て、『この剣をりし者、新たなすめらとなる』と言い残したそうです」

 剣は透き通った刀身の半ばまで地面に埋まり、柄に程近い部分には腕を折り畳んで眠る妖精の三次元像が浮かんでいた。


「選定の剣って奴か。芸術的だと感動すべきなのかもしれんけど、これで物が斬れるのかね?」

 美しい剣をしげしげと眺め、妖精のホログラフィーがどの様に映っているのか観察しながらスクナは呟く。

「水晶の様に見えますけれど何らかの魔術によって固められた魔力だとの事です。エニマクセ流一級魔術師の計算が間違っていなければ、その刃は竜の鱗すらてます」

 ソーシャはスクナの言葉に侮りが含まれていない事を理解し、淡々とその疑問に答えた。


 剣に流派が有るのと同じく、魔術にも流派が有る。旧テックサム魔導帝国時代に体系化される事でそれぞれの流派が専門化し、一つの流派を学ぶ為に複数の流派を前段階として学ぶ様にも変わったが、呼び方としては何某なにがし流と呼ぶのが通例である。

 大源流とも称される基礎元素魔術の『トンネメル流』、その派である物質に関する魔術『レッタム流』、『エニマクセ流』は其処から更に派生した調査魔術の流派だ。

 同じレッタム流から派生した流派には武器魔術の『スムラン流』が存在し、魔力の刃はスムラン流でも扱う為に比較的近い関係にあるエニマクセ流ならばその分析も比較的容易であると考えられる。


「俺は魔術の事は良く分からんが、凄そうだって事は分かった。で、何で抜けないんだ? 周りの石を削るとかじゃ駄目なのか?」

 祭祀場の石材は王の寝所と同じく石灰岩を切り出した物であり、スクナの目から見て剣と地面が一体化していたとしても取り出す事自体は容易な様に思えた。


「此処は元神殿でした。魔脈が地下を通っておりこの一画では特に地上と近く、地上の建造物が無くなっても結界が維持されているのです。その結界と剣が結び付いていて物理的な干渉が出来ないのでは、と言う事だったかと思います」

「つまり?」

「並みの掘削具や魔術では部分的に削るのがほぼ不可能なので出来ないと言う事です。それに祖の意向を無視してまで抜く必要も有りませんからね」

「成程」

 ソーシャの説明にスクナは頷き、ずかずかと剣へ近寄る。


「スクナ様?」

「俺も試して良いんだろ? 此処に連れて来たのは見せる為だけじゃねえだろうし……それに、こう言うのを見て心躍らねえ男は居ないっての」

 着流しの袖を捲くり、指の骨を鳴らしてスクナは気合を入れた。


「……ご自由に。ただ、もしも抜けなかったら一つ教えて頂けますか?」

「おう、何だって良いぞ」

「では『王として必要な物』をお答え下さい」

 ソーシャの均質な呼掛けにちらりと目線をやり、スクナは牙を剥いて笑う。


「そんな事か! それなら今答えられる。俺は――――」

 柄に手を掛け、スクナは剣を引き抜こうとした。

「まさか……」

 他人を惹き付ける濃密な覇気、常人とは一線を画すその精神のあらわれをソーシャは幻視し、僅かに怯えの混じった声を漏らす。


 スクナは外見だけ見れば然したる脅威を持ち合わせていない。母親譲りの甘い顔立ちは妖しげな風格と合わさって老獪な少年の如き様相であり、女性にしては背の高いソーシャと比べればその身長は五センチメートル程低く威圧感は無い。

 だが、瀕死のスクナを手ずから治療したソーシャは知っていた。その身には幾つもの銃創刀創が刻まれており、何よりもその背から肩に掛けては角を生やした禍々しい蛇の刺青が彫られている事を。

 故に、誰よりも危うい香気を感じていたが為に、ソーシャは正体の見えぬスクナを選定の剣が選ぶ事を恐れたのだ。


「俺はーッ!!」

「……スクナ様?」

「ふんッ! おぉおおおッッ!! ……はぁ、はぁ。中々固いなこれ……!」

 ソーシャの膝から力が抜けて思わず倒れ込み掛ける。


「……諦めてはいかがでしょうか? そもそも結界と一体化した剣を引き抜ける筈が御座いませんし」

「いや待て! そう言えば地面に刺さった物を引き抜く時は一度深く刺す事で抜き易くなると聞いた事が有る!」


 原理としては水分や空気が抜ける事で周囲の地面が刺さった物に接する密度が高まり、摩擦が増える事で動かなくなる。それに対して重力を利用して上方から圧を掛けてやる事によって周りに隙間が生じ、結果、摩擦が減って抜き易くなるのである。


「選定の剣ってそう言う物ではない気がするのですが……」

「ふー……、良し! 行くぞ! うぉおおおおおッ!!」

 深呼吸を挟んでまで呼吸を整え、スクナは再度挑戦した。両手で柄を握り地面に片膝を突いて、剣に全体重を乗せて深く深く突き刺す。


 魔力の流れを見る事が出来る者ならば、その瞬間スクナの魔力回路がうごめいたのが見えた事だろう。全力を尽くそうとする意志が力を引き出し、長い訓練を積んだ者でもなければ不可能な筈のギフトの呪文破棄を可能としたのだ。


「あっ」

「ん?」

 先に気付いたのは力を振り絞っていたスクナではなく、優れた聴覚を持っているソーシャであった。


「ちょちょ、ちょっと待って――――」

 その抑止の声が届く前にスクナは立ち上がる。

 スクナの手に捉まれていた『それ』は殆ど何の抵抗も無く束縛から解き放たれた。金属で出来た剣とは違う、余りに軽い感触を手に覚えながらスクナは目の前に構え直す。


 其処に有ったのは鍔までしかない剣だった。


「「折れてるー!?」」

 低音と高音の美しい二重奏が響く。

「待った! 一見すると折れてるみたいだが実際は刀身が透明で見えないだけかもしれん!」

「いや其処に刺さっていますよ。ちゃんと」

 混乱して現実を直視しないスクナにソーシャが地面に刺さったままの刃部分を指して事実を突き付けた。


「……OK、確かに剣は折れた。だがこれは俺だけの責任ではないとだけは言わせて欲しい。此処に連れて来た姫さんの責任も半分位有るよな?」

「十割スクナ様の責任です」

「七割五分!」

「駄目です。交渉の余地は有りません」

「そんなご無体な!」

 スクナは崩れ落ちて泣き真似をするが、ソーシャはそれを一顧いっこだにしない。


「と言うかどうなさるのですか? 場所が場所なので野晒しにしておりましたが、一応は国宝なのですけれど」

 ぴたりと泣き真似を止めたかと思うと、スクナは座り直してソーシャに視線を向けた。


「どうした物かね……。姫さんは物を直す魔術とか使えたりしない?」

「出来ません。私が修めているランデム流とドニム流は外傷治療と精神についてですので」

「人は治せても物は直せないって事か、まぁそう言う物だよな」

 うんうんと頷くスクナに対してソーシャがアンニュイな表情を向ける。


「……誤魔化せていませんよ?」

「やだなぁ、そんなやましい考え有りませんとも。――――ところで、そのドニム流ってので剣が折れてない状態に見せ掛ける幻術とか使えたりしない?」

「発想が卑怯ですね!? そう言う所に気付く辺り悪賢いと言うか何と言うか……」

「否定しない、と言う事は出来るんだな」

 ずいと詰め寄るスクナにソーシャは声を詰まらせ、首を傾けて目を逸らした。


「えーっと、確かにドニム流の中に『幻術Lilusion』は有りますけれど、私が使えるとは……」

「なぁ姫さん、お前さん嘘を吐く時に首を傾げる癖が有る事に気付いてたかい?」

「……ブラフですね」

「いやマジだから」

 スクナの冷静な指摘にソーシャは汗を垂らす。


「分かりました、しかし『幻術Lilusion』で誤魔化しても何時かは真実が明らかになりますよ。誰かが剣に触れれば気付かれてしまいますし、三日後のパーティーで誰か貴族が記念に訪れる可能性は決して低くありません」

「それまでに仮留めしておき、調子に乗って剣を抜こうとしたその誰かに罪を擦り付ければ良いって事だろ?」

「外道ですね!」

「お褒めに預かり恐悦至極」

 ソーシャが拳を震わせて叫ぶが、スクナは悪辣あくらつな笑みを浮かべてそれを受け流した。


「……とは言えその案に乗るのが一番なのかもしれません。スクナ様の失態を糾弾して何らかの刑罰を加えようとするのは召喚した私、引いては王族の権威をおとしめ兼ねません。誰かしらの責任とし、それを陛下の快癒を記念して恩赦おんしゃを出すのが最も……」

「デメリットが少なく、王族の寛容さを主張出来るメリットも有る、だろ」

 にやにやとチェシャ猫の如く笑うスクナをソーシャが睨む。


「貴方と言う方は……罪悪感と言う物が無いのですか?」

「そっくりそのまま返すぜ、姫さん。善人の真似してる時より性質の悪い悪戯を目論んでる時の方が余程楽しそうだ。お前さんはどうしようもなく……此方側の人間だろうよ」

 下から舐める様に睨み返し、最後に鼻先で笑ってスクナは姿勢を正した。


「私は……」

「それじゃあ魔術の方は頼んだ。力を篭め過ぎたからか気怠けだるいし、俺はもう帰るわ」

 呆然とした表情で立ち竦むソーシャを置いて、スクナは一人立ち去る。


 自分勝手な振る舞いも一つの揺さ振りだ。それを受けてソーシャは孤独に自らを見詰め直すのである。其処に深淵が在ると知りつつも。

「――――嗚呼、呪われよ……!」

 後に残されたソーシャが呟いた言葉が、誰に向けての物だったかを知る者は居なかった。



「あー、緊張する……」

 両目が隠れる程に伸ばした黒髪を揺らしながら少年王子の従者は行く。

「此処は陛下の寝所だ、許可無き者は……って、レイじゃないか。どうした?」

 兵士として訓練を受けているレイからすれば先輩に当たる近衛に頭を下げ、再びその顔を持ち上げた瞬間に視線を合わせた。


「『支配VOLTRO=MONCE』」

「っ」

 レイの眼からおぞましい光が放たれる。ほんの一瞬の間に魔術よりも複雑で抗い難い力が視覚を通じて脳へと至り、近衛の精神は最早彼の物ではなくなった。


「どうも先輩、俺は用事が有るので通して貰いますね」

「あ、ああ……分かった……」

 レイは木偶の坊と化した男を退かして扉を開き、部屋の中へと進入する。


「頼むから寝ててくれよー……。死にたくねー……」

 パブロ曰く極めて強力なギフトを持っている筈のレイは悲壮感漂う表情で名も知らぬこの世界の神に祈った。



「……」

 月明かりが窓から差し込む部屋でスクナは微睡まどろんでいた。


 如何いかなる理由からか、このナグドナアから見える月は七色に輝いている。曜日を示す語は銀、赤、青、緑、金、茶の色をした月が対応しており、それに太陽の日を加えた七日で一週間が構成されるのだ。そして太陽の日、日曜日は最も月が暗くなる曜日である。


 その薄暗い月の光が届かぬ部屋の陰より、黒いローブに身を包んだ男が物音一つ立てず現れた。

 部屋の扉は開いていない、『ウォダス流』の魔術による『影渡Dorwo=Shass』だ。


「――――」

 手に握った短剣を振りかざし、凶手はスクナの心臓を突こうとする。その瞬間、ブランケットが男の視界を隠した。


「よっ、と」

「ッ!?」

 反射的に突き出したダガーは腕ごと布に絡め取られ、危険を感じて退こうとした左足は踏み付けられて動かない。暗殺者は自由な右足で蹴りを放とうとするが、スクナは同時に体勢を崩す事でそれすら封じた。


生憎あいにくと寝てる時に襲われるのは慣れっこでね。さーて誰の差し金か吐いて貰おう……って」

 うつ伏せにして肘を取った状態で尋問をしようするが、反応が無い事に気付いてスクナは脈拍を調べる。


「死んではいない、……気絶? そんな衝撃は与えてないが自力で気絶なんて出来るのか? と言うかそれも気になるが、嫌な予感がする……」

 凶手を放り捨て、スクナは床に耳を付けた。

 複数のかすかな軋み。幾人もの人間が足音を忍ばせて近寄っているが如き音である。


「だよな。知ってた」

 スクナは窓を開けて迷わず飛び降りた。それを追う様にして扉が勢い良く蹴破られ、足音がやかましく響く。


「あーやだやだ、おっかねえなぁ」

 三階からの着地を難無く決め、自分を探す敵意に満ちた声を背にしてスクナは走った。

 中庭へと抜ける通路の半ばまで来た所で速度を緩め、そして立ち止まる。


「どうも、夜刀さん――ッ!?」

 挨拶をしようとしたレイに向かって先程の暗殺者が持っていた短剣が投擲された。辛くもそれを回避し、レイは尻餅を突く。


「何だ、レイか。ビビらせんじゃねえよ」

「俺のセリフだっつーの! いきなりナイフを投げ付けて来る奴が居るかフツー!?」

「ナイフじゃねえ。今のは諸刃で刺突を目的としてるからダガーだ」

「どうでも良いわ!」

 尚、スローイングナイフの一部やダイバーズナイフの様に諸刃のナイフも存在しており一概に諸刃で刺突目的の短剣をナイフと呼ぶのが間違いとは言い難い。


「それより俺が暗殺され掛かってる事について何か知ってるよな。教えないと痛い目に遭わすぞコラ」

「暗殺!? ……いや、有り得そうだな。ったく、殿下に余計な事すんなって言われてた筈なの、にっ!?」

 頭を掻いて独り言を呟くレイの襟を掴み、スクナがその耳の縁をするりと撫でて囁いた。

「聞こえない耳なんて、要らねえよなぁ……?」

「すっ、すいませんしたぁッ! 聞こえてます! 教えます!」

 殴られた訳でもないのに途轍とてつもない恐怖を感じ、レイは思わず敬語になってしまう。


「答えろ。俺を狙っているのは誰だ」

「親パブロク派の貴族です! 今現在ソーシャ姫の暗殺計画が実行されており、ヴィジターである夜刀さんが姫救出に動かないよう狙ったと考えられます!」

「暗殺計画だと? 姫さんは弟に王位を譲る気で居るのに殺すメリットは何だ?」

「それは……。夜刀さんが、俺達側に付かないとお話出来ないんです」

 スクナが目を細めて睨んでもレイはぐっと唇を噛み締めて沈黙を守った。


「……ほぅ、そうか」

「ぐえっ!」

 掴んでいた手を無造作に振って地面へと倒し、その胸に足を乗せる。

「どうにもお喋りが苦手らしいな。お前さん所のご主人様が何を企んでるかも分からず、そっちの味方らしい貴族だかに殺され掛けて、はいそーですかと仲間になるなんて思ってんのか?」

「かはっ」

 スクナはゆっくりと足に体重を掛け、レイの肺から空気が押し出される。


他所よそ様の玄関またいでんだから荒っぽい事はやんねえ様にしてたが、手前が雑に扱われるのは黙ってらんねえよなぁオイ。極道めんじゃねえぞ、さっさと吐かねえと肋骨アバラし折るぜ」

「う……」

「う?」

「し、ろ……」

 スクナが身体を投げ出す様に前へと跳躍した瞬間、スクナの居た空間を鉄塊が通過した。轟音と共に石の壁を破壊して巨大な剣はその動きを止める。


「……おーっと、これはネイソナ王では御座いませんか。眼が正気を失ってる感じでらっしゃるけど酒でも飲み過ぎた?」

「げほっ、げほっ! あー、死ぬかと思った……。悪いが仲間にならないって言うなら無理矢理にでも……って逃げるの早ッ!?」

 レイが息を整えている間にスクナは脱兎の如く中庭へと逃げ出していた。


「ドスの一本も無いのにあんなのとやってられっかバーカ」

「くそっ、追え! 状況判断能力と切り替えの早さがおかしいだろあの人!」

 スクナは中庭を走り抜けて王族の住む西宮の裏を目指す。

《そうら、鬼さん此方、手の鳴る方に……》

 その時スクナには何かの呼ぶ声が聞こえていた。

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