第3話王子暗躍

 一通り挨拶が済んだ所で、二人は庭園の椅子に腰掛けて身の上話をしていた。

「……と言う訳で俺も色々有ったんスよ」

 名の有る彫刻師が手掛けたのであろう蝶の紋様が刻まれたテーブルに足を乗せ、椅子を傾けながらスクナは相槌を打つ。


「ふーん、そうか」

「心底どうでも良さそうだなあんた!?」

 実際の所、話をしていたのはレイばかりでスクナはぼーっと庭の花を眺めているだけだ。青い薔薇が普通に咲いている辺り、実に異世界である。


「俺なんて東欧の方でゼロ円旅行してたら強姦殺人されそうな女見掛けて、助けたら覆面被った野郎共にサブマシンガンで土手っ腹に穴開けられたんだぞ。高校行く途中で車に轢かれそうな女の子を助けて代わりに撥ねられましたー、じゃインパクト薄いだろ」

「クソッ! 何一つ勝てる要素が無い!」

 レイは頭を抱えて敗北を認めた。

 但し恐らくその部分で勝って得られる物は何も無いだろう。


「こっち来てからの事だって、さっき起きて王様の意識取り戻して直後に殴り飛ばされたりしてるからな?」

「意味分かんねえ! 役に立たないからって一ヶ月も兵士の訓練させられてた俺は何だったんだ!」

「折角訓練しても一般人に銃をスラれるようじゃなぁ」

「どう考えてもあんたは一般人じゃないだろ!?」

 一通りツッコミを入れた所でレイは叫び疲れたのか肩で息をする。


(堀口と同じ位におちょくり甲斐の有る奴だな。まぁあいつの場合、あんま遊び過ぎると吐血する芸が有ったからあっちの方が上か)

 スクナは元の世界で帳簿管理を任せていた老け顔で病弱な組員の事を思い出して唇の端で笑った。

 そして、それまでの軽い精神を極道の物へとスイッチさせる。


「で、俺に会いに来たのはそんな事を話す為じゃねえだろ?」

「……何の事だよ? 俺は同じ日本から来たヴィジターとして――」

 ――冷たい風が吹いた。果たして本当に気圧差から生じる空気の対流が起きたかは定かでないが、レイは間違い無く体感温度が二度程下がった事を感じている。


「さっき言ったよなぁ、『俺が砂糖みたいに優しくなかったら』って。もし此処ここで俺が甘い奴で居る事を止めたら俺も悲しいし、お前さんのご主人様も悲しむだろうな」

 レイはごくりと喉を鳴らした。

 スクナの言う悲しくなる人物にレイが入っていないのは『そうなったら悲しいなどと思ってはいられない』=『死』だからである。手段? 馬鹿馬鹿しい、目の前に居る男はそうと決めれば確実にそうする。其処が異世界だろうと王城の中だろうと相手が同郷の人間だろうとだ。それがレイには感覚で理解出来た。


「……俺はメッセンジャーだ。殿下に言われた事を伝えるだけの」

 レイは決して眼を逸らさないまま、声を震わせる事無いように苦心しつつ言葉を発する。

「言ってみろ」

「『ヴィジターが元の世界に戻る方法は召喚主を殺す事』だとよ」

 レイの言葉を聞いてスクナの動きがぴたりと止まった。


 召喚主を殺す、つまりソーシャを殺す事によって元の世界へ戻る事が出来ると言う可能性は実の所スクナにとってそれ程衝撃的な事ではなかった。だが問題となるのはそれを示した人物である。

(姫さんの弟、パブロ王子か。シンプルに考えて求められているのは離反、姉を裏切れと言う誘いだろう。だがその誘いを自分の召喚したヴィジターにさせるのは自身への裏切りも誘発させ兼ねない危険な一手だ、もし選択するとすればそれだけの信用か安全装置を持っている事になる。或いは何らかの企みが有って利用する為の釣り餌としての偽情報と言う可能性も有る。であれば……)


「――――誰だッ!」

 スクナは唐突に振り向き鬼の形相で叫んだ。

「な、何だ!? どうかしたのか!」

 考え込んでいたスクナの突然の行動にレイが動揺するが、スクナが睨んだ場所に有るのは庭園のアーチだけであり怪しい物は何も無い。


「……気のせいだったか。慣れないギフトの使用だの何だので疲れたのかもしれねえな、帰って良く考える事にする」

 スクナは立ち上がるとそのまま元来た道へと歩き始めた。

「えっ、おい!」

「じゃあな、レイ。今度会った時にはお前さんのギフトを教えてくれ」

 後ろ手に軽く手を振って立ち去るスクナを止める言葉が浮かばず、レイはただそれを見送った。


「……はぁ」

 そしてスクナが去った庭園に小さな影が靴音を響かせ現れる。

 父や姉と同じ金の髪、エメラルドの如く翠色の眼をした少年。王位継承権第二位にしてソーシャの弟、ソーマ・サインツ・ノゥ・レトース・パブロクその人である。

「伝達ご苦労、レイくん。同郷のお友達と話せて楽しかったかな」

「とんでもない、緊張で心臓バクバクですよ全く。あんなおっかない人が来てるとは聞いてませんでしたけどねぇ」

 レイは椅子の背にぐったりともたれ掛かり、脱力した様子で返事をした。


「彼は『増幅PALFYIM」でしょ? 僕は君のギフトの方がよっぽどおっかないと思うけどなぁ」

 レイは一応の敬語こそ使っているが砕けた態度であり、パブロの方もまるで友人の様にレイの事を扱っている。

「いやー、格の違いって奴です。そんな事よりちゃんと心読めたんですか? 本題に入ったらすぐ帰っちゃいましたが」


「じっくりとは読めなかったけどね。られてるって思った瞬間に怒鳴って来るんだからビックリしちゃったよ」

「……やっぱアレ『読心NEAG=RINIDD』に気付いたからだったんですか。勘鋭過ぎでしょ……」

 姿勢を正してレイが冷や汗を垂らした。


 パブロのギフトである『読心NEAG=RINIDD』は姉が使う『念話Eltephaty』とは違い、数十から数百メートルでの使用を可能とする。当然パブロは庭園に居なかった。

 しかしスクナは驚異的な察知能力から自身が視られている事を察知したのである。

「まるで獣……いやドラゴンだよ。賢く、強く、鋭く、そして彼は彼を頂点とした世界が内面に有る。姉上を殺せば元の世界に戻れると言う可能性を吟味ぎんみしている時、彼の中に倫理的な足枷は一切感じられなかった。利用しようとするのなら、良く注意しないと丸呑みにされるのは此方の方だろうね」

 にこにこと不健康そうな笑顔を浮かべるパブロは酷く楽しげにスクナの事を語る。


「楽しそうですねー、殿下。俺は内心ビクビクなんですけど。だって場合によるとあの人と戦わされるの俺ですよね」

「場合によると、じゃなくて君の極めて強力なギフトは確実に必要だから。それにどう言うシナリオを辿るにしても彼とは一戦交える必要有るからね」

「ええー!?」



 その頃スクナは。

「……いかん、迷った」

 王宮内を右往左往していた。



「暇だなー」

 城下の露天で買った果物をかじりながらスクナは呟く。召喚されてから一週間、スクナは食客として日々を過ごしていた。

「レイともあれ以来会ってないし、外出するには厳ついおっさん連れ歩かねーとならんから女の子引っ掛ける事も出来ん。仮出所中でももうちょい気楽に過ごせるってもんだろうに」

 行儀悪く食べながら歩いているがそれをとがめる者は居ない。

 一種の特権階級であるスクナを侍女や衛兵では止められる権限を持たないと言う事でもあるが、示し合わせたように周囲に人が居ないのである。


《お暇でしたら来客の対応などどうですか? スクナ様とお話したいと言う方は沢山いらっしゃいますよ》

 突如頭の中に声が聞こえ、ぐるりと首を動かすと庭園からソーシャが手を振っている姿が見えた。手を振り返して近寄るとソーシャは側仕えの侍女を下がらせ、対面に有る椅子へ腰掛けるよう促す。


「……あらま、姫さんひょっとして怒ってらっしゃる?」

 座ったスクナの目の前でソーシャはただ無言で笑っていた。常の朗らかな笑顔で比べれば威圧感の有る笑みを見て、スクナの首筋に冷や汗が一筋流れた。

「怒ってないですよ? ええ、どうやって陛下を治療したのか説明するのにその功労者が居なくて大変でしたけど」

 首を傾げながらソーシャはにっこりと微笑む。


「ああ、快癒かいゆ祝いでパーティでもやるのか。道理で城門にぞろぞろ馬車が並んでた訳だ」

 恨み言は無視し、スクナはどうして宮殿に多くの客人が来ているのかと言う理由に言及した。

 ソーシャは仕方無しに憤りを溜息一つで流し、スクナの発言に補足を加える。


「……ふぅ。我が国はそれ程財政に余裕が有る訳でも無く、また国父初代ソーマ王が贅沢嫌いでしたのでテックサム流の社交界サロンが余り開かれませんから。こう言った機会でも無ければ集まらないのです」

 『テックサム』とは旧時代に栄華を誇っていた魔術大国であり、何らかの原因から既に滅びた国家だ。ソーマ王国の南南西に有る一度廃墟となった王都を元にして、現在は『ツブカア王国』が存在する。

 しかし地形変動やテックサムが滅亡する際に出来たとされる『フェイルグの森』に阻まれて交易路が発展しておらず、ツブカア王国にテックサムの頃の勢いは最早残っていない。


「この国では貴族の爵位が少ないんだったか? 公爵だの男爵だのは居ないって聞いたが」

「はい、このソーマで使われているのは都市伯、辺境伯、宮中伯のみです。首都レトースから街道で繋がる都市を統べる都市伯、都市伯の中でも王の二親等以内の血縁である場合は辺境伯、そしてレトースの王宮で働く大臣達が宮中伯となります」

地球あっちだとドイツ辺りで使われてた爵位だったか? 翻訳魔術ってのは俺の知らない言葉だの概念をどう訳してんのかねえ)


 『ナグドナア』と呼ばれるこの大陸では中央に『エディルス山脈』と言う大山脈を挟んで大小二十を越す国が存在する。『スレブフル連邦』や『オッテリッツ小国家郡』、『エルフィル帝国』が有る北側と、『聖都エグレブマルフ』、『スーダルグ商国』、『北レバス王国』、『南レバス王国』、そして『ソーマ王国』に『ツブカア王国』と『ラティミクス共和国』が有る南側に分かれており、南側では旧『テックサム魔導帝国』の影響が色濃く残っているのである。


「成程ね、姫さんはどうなんだ? 女王か、辺境伯か、宮中伯って線も有るのかい?」

「……私は降嫁するか、若しくはツブカアか南北レバスのどちらかに嫁ぐ事になります。もう政治からは離れますよ」

 スクナの問いにソーシャは一瞬表情を消し、すぐに笑顔を貼り付けて答えた。

「おや残念、姫さんが辺境伯になったら養って貰おうと考えてたんだがね」

「ふふっ、スクナ様はそんな事を望む方ではないでしょう? 貴方なら『王を殺し、王位継承権を破棄した私の子供が第一王位継承権を持つと主張し摂政となる』……の方がお似合いでは?」

 スクナのヒモ宣言にくすりと笑ったソーシャは毒の混じった言葉を吐く。


「おお怖い、そんな事をすると思われてるとは心外だな」

「勿論冗談ですよ、ですがスクナ様は必要と思えばどんな事でも出来る方でしょうからね」

 冷え切った笑いが二人の間に零れた。

「……姫さんはどうして政治から離れようとしてんだ? 王がせていた間の治世を見るに能力は十分、人の醜い部分が見えるから嫌ってタマでも無いだろ。弟に王位を譲るにしても文官として残るのは構わんのでは?」


「私は女に生まれたのです、スクナ様。『王冠は王の頭に』、私はこの国の為にそうしなくてはならないのですよ」

 ソーシャは自嘲する様な薄笑いを浮かべ、南ナグドナアに伝わる適材適所の意味を持つ諺を言う。

「詰まらねえなぁ。やりたい様にやらねえと詰まるのは息ばっかりだっての」

「そうかもしれませんね。ですが、十年前にもう私の首は絞められておりますので」

 白く細い自らの首をするりと撫で、官能的に溜息を吐いた。


「……チッ。そう言や姫さん、俺なんかとグダグダ話してるけどお仕事はもう終わってんのかい?」

 スクナは暗にもう話したくないと言って切り上げようとするが、それをソーシャが止める。

「あら、スクナ様に『あれ』を案内しようと待っていた事をすっかり忘れていました。執務については終わらせて来ているのでご安心下さい」

「『あれ』?」

「行けば分かりますよ」

 微笑むソーシャをいぶかしがりながらも、スクナは立ち上がり付いて行く事に決めた。



「どうで御座いますか、パブロ様」

「計画にとどこおりは無いよ。反ソーシャー派の人間は全員レトースの中に入った」

 姉の勉強部屋と同じ作りの部屋で少年王子が老侍女と話している。

「ほほほ、親パブロク派では御座いませんでしたかな?」

「どっちだって同じ事さ。彼らが欲しいのは『賢くなくて操り易い』御輿みこしなんだから」


「いやはや、ソーシャ様とパブロ様を天秤に懸けようとは誠、畏れ多き事に御座います。陛下が単細胞であったからか、少々ばかり勘違いを為さっている方が多い様で御座いますねえ」

 大袈裟に首を振って溜息を吐くヴィルージュを見てパブロは苦笑した。


 国家元首をスライム並みの知能と言ってのける者も少なかろう。それも別に悪意が有ってそう言っているのではなく、実際、ネイソナ王は政治に関しては暗愚も良い所だったのでその言葉には長年宰相などと一緒に支えて来た実感が篭っていた。


「ヴィルみたいな忠臣を持って姉上は幸せだね」

「ほほ、この婆めはパブロ様にも忠誠を尽くす所存で御座います。この命、ソーマ王家に捧げた物で御座います故」

 ヴィルージュはキャップを外し、左手を胸に当ててパブロへと頭を下げる。父の愛人でもあった老侍女の心を読み取り、その宣言に偽りが無い事を確認して少年王子は満足気に溜息を吐いた。

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