第2話仁義を切る

「はー、顎が痛え……」

 既に治療を受けた筈なのにまだ痛みが残る顎を撫で、スクナは溜息を吐く。

 一ヶ月振りに起きた王は取り敢えず見覚えの無い男を敵認定し、熊をも倒せるアッパーを食らわせたのだ。もしもスクナが咄嗟に仰け反っていなければ、顎が砕かれ二目と見れぬ顔になっていた事だろう。


「災難で御座いましたね、スクナ様」

 人の良さそうな笑顔でころころと笑うのは恰幅の良い老侍女である。

「全くおっかねえ王様だな。寝てる状態から一瞬で距離詰められてブン殴られた」

「陛下は大変お強う御座いますからね。十五の時に単身で竜に勝って以来、国の内外問わず負け知らずで御座いましたので。お陰で付いた渾名が『不屈王』、負けず嫌いが極まった様な二つ名で御座いますな」


「流石ファンタジー、国家元首が脳筋だな。怖え、怖え」

 スクナは肩をすくめて差し出された紅茶を飲んだ。

 見た目と香りは元の世界で飲んでいたそれに近いが酸味が薄い、種が違うからか、それとも発酵が十分に行われていないからか、とスクナは考える。


「……そんな陛下も落馬が原因で二度と目覚めなかったかも御座いません。スクナ様には感謝しても感謝しきれません、本当に……有難う御座います……」

 年嵩の侍女にかしこまって礼を言われるが、スクナは気にせず紅茶を啜った。

(紺色の制服にエプロンドレス、まるでメイドだな。文化収斂、いやこの陶器のカップ一つ取っても近過ぎる。ヴィジターの影響だろう)


「……ところで、王様と姫さんは何を話してるんだ? 気絶して起きたらこっちの部屋にご案内、だから状況が良く分かってねえんだが」

「そうで御座いますな、まずは何故ソーシャ様が陛下を目覚めさせようとしていたかをお話致しましょう。ソーシャ様は第一子であり、王位継承権第一位なので御座いますが、四歳下にパブロ様と言う弟君がいらっしゃいます」

「ふむ」

 スクナは話を聞きながら周囲に目をやる。幾つも本棚が並び、机の上にはインク壷が置かれ、薄緑色の紙がノート状に纏められていた。

 執務室、ではない。防音が施された勉強部屋と言う方が近いだろう。


「ソーシャ様は容姿端麗、頭脳明晰の大変立派な方で御座いますが何分にも女性君主は例の少ない事でして……」

「貴族から反発が出てて弟の方を王に据えろと?」

 壁に掛けられているのはこの国の地図、六角の城壁に囲まれた城郭都市である事が見て取れる。南方に広がる大森林の縁には幾つも丸で印が付けられており、森を挟んだその向こうには別の国が有ると言う事も描かれていた。


「その通りに御座います。姉弟で争う事をいとい、利発であらせられるソーシャ様もその方が良いと仰っておりまして……。ですが、陛下はソーシャ様に継がせると言い残して意識を失ってしまったので御座います」

「それを撤回させる為に起こそうとしてたって事か。難儀だねえ」

「高貴な血統故の不自由で御座いましょう。それに……」

 一言漏らした所で老侍女は口をつぐむ。その表情は言うべきかを悩み、迷っていた。


「言ってくれ。其処そこで切られちゃ寝覚めが悪くならぁ」

「……ではお話致します。時を遡る事十年前、王妃様が生きていらっしゃった時の事に御座います。故コモナイ王妃様はとても教育熱心な方で、ソーシャ様達が立派に育つよう力を注いでいらっしゃいました。ですがその想いが行き過ぎてしまう所が御座いまして……」

 歯切れ悪く亡くなった王妃の事を語るその先をスクナは汲み取る。


「厳し過ぎる教育ママだったって訳か」

「その通りに御座います。ソーシャ様はお母上の『女性はまつりごとに関わるべきではない』と言う教えを鞭の痛みと共に学んでいらっしゃるのです。それ故、自らを政治の場から避けようと無理をしているのではないかと」

 痛ましそうに顔を伏せ、老侍女をそう述べた。


「成程な。まぁ俺がその話を聞いて何かが変わるとは思わないけど覚えとくさ」

「いえ、関係御座いますよ。ソーマ王家にはヴィジターの血が濃く流れて御座います。ソーシャ様が降嫁こうかされるとなれば貴族達の取り合いとなりましょうが、女性辺境伯となった場合はヴィジターであるスクナ様か、パブロ様が召喚したレイ様が御婿入りする可能性が高いので御座います」


 衝撃の事実にさしものスクナも驚愕に目を見開く。

 ヴィジターは必ずギフトを得ている為、その血を取り入れる事でソーマ王家は高いギフト発現率を保っているのだ。故にヴィジターは原則的に王族か貴族との婚姻が義務付けられているのである。


「……マジ?」

「マジで御座います」

「……本当に?」

「本当の本当に御座います。と言うより何故そんな嫌そうなので御座いますか、あのお美しいソーシャ様と結婚出来るとなれば喜びの余り小躍りしてもおかしくない物で御座いましょうに」

 七割の疑問と三割の憤りをミックスした声色で老侍女が問うた。


 確かにソーシャは美女だ。貴族子女の結婚適齢期である十五歳からは五年程遅れてこそいるが、その美しさは花開いており他国からも引く手数多な程である。しかし。

(見た目こそ天使だが中身は非常に計算高い、と言うより頭が回るタイプ。最初の受け答えからして、こっちが下手打ったら一旦衛兵で脅しを掛けて来る気だっただろうしなぁ。ありゃ腹ん中真っ黒けの似非善人だわ。それに、あの眼は……)


「いやー、自分より頭の良い嫁さんはちょいとなぁ」

「それ位は受け入れるのが男と言う物で御座いましょう」

「侠じゃ通じなくてもそう言う認識は有んのな……。それより、他にヴィジターが居るって? 聞いてないぞ」

「申して御座いませんので」

 笑顔のまま何の呵責かしゃくも無く言ってみせる姿を見て、スクナはソーシャの性格が何処から来たのかを察する。


「かっかっか、お姉さんもおっかないねえ……。で、そのレイってのはどんな男なんだ?」

「ほほほ、スクナ様と同じ黒髪黒目のお若い方で御座いますよ。そろそろ王宮に戻ってらっしゃるかと思われますので、直接お話なさってはいかがで御座いましょう」

 その言葉を聞き、スクナはカップの中身を飲み干して席を立った。


「紅茶ご馳走さん。そう言えば名前を聞いてなかったな」

「ソーシャ様の乳母、ヴィルージュで御座います。スクナ様」

「ヴィルージュさんね、覚えとくわ」

 ドアの取っ手を握ったスクナの背にヴィルージュが声を掛ける。

「どうか、ソーシャ様を宜しくお願いします。老い先短い老婆の頼みで御座います」

「……命を救われた恩は必ず返すさ」

 振り向きもせずにそう言い残し、スクナは部屋を去った。



「――――我が娘よ、お前の望みは良く分かった。わしも考えておこう」

 威厳を感じさせる深く落ち着いた声でネイソナ王はソーシャに語り掛ける。

「感謝致します。お父様」

「……して、お前の召喚した男はどう言う男だ? 見た所、実直誠実な騎士然とはしておらん様だったが」

 親の贔屓目を抜いて考えてもたぐいまれな美人と言って差し支え無い娘を、父王は獅子の如き眼光で見詰めた。


「スクナ様ですか? 粗暴な態度こそ見せますが頭は悪くありません。自分の立場が王族に招かれた『客人』であり、平民より上に位置すると言う事を即座に把握していました。自分が死に瀕している時に使われた魔術の事を思い出して利用方法を考える辺り、無知故の柔軟性と言うだけでも無さそうでしょう」

「成程、賢いお前が言うのだからそうなのだろう。だが聞きたいのは……お前がどう思っているかだ。好ましい男なのか?」


 父の問いに対してソーシャは僅かに眼を細めて答える。

「……まともに会話を交わしてまだ二時間程度ですのでお答えし兼ねますわ。ですが……」

「だが?」

「人殺しの眼をしていました。間違い無く、スクナ様はろくな方では御座いません」



 部屋を出て、スクナは王宮の中を歩く。

 これまでに入った記憶の有る部屋は医務室と王の寝所と王女の勉強部屋のみ、当然王宮内の地図が壁に貼って有る筈も無い。胡乱うろんな目を向ける衛兵や通り過ぎる侍女に挨拶をし、まるで目的地が有るかの如く散策しているだけだ。

(構造は左右対称、建材にセメントが使われている所も有る。……ついこの間にも似た様な城を見物したっけなぁ。確かローマンコンクリートだったか? 二千年前からコンクリは有ったんだから文化習熟度が近世以前な世界で存在してもおかしな話ではないか)


「ちょいちょーい、そこの人」

「ん?」

 頭の中で地図を作りながら廊下を渡って内庭に有る庭園へ出ようとすると、スクナは庭園の影から声を掛けられた。


「悪いんだけどさぁ、ここを通りたかったら通行料を払って貰える?」

 見れば衛兵の制服を着た黒髪の若い男であり、ぼさぼさの髪に隠されてその眼は見えない。

 その腰に吊り下げられているのは御伽噺ファンタジーの世界には似つかわしくない拳銃である。へらへらとした雰囲気の男だがその装備は警戒に値する物だ。しかし。

「へぇ? 王宮内でショバ代せびりとは良い度胸じゃねえかあんちゃん」

「うぇっ!?」


 全く臆する事無く、逆にずいと近寄って来たスクナに相手の男は思わずたじろいだ。

「どうやら牢屋にブチ込まれたいらしいなぁ?」

「あっ、いや、そんなつもりじゃなくて……」

「ほーう、兵士の格好で銃をチラ付かせておいて『そんなつもりじゃない』と?」

 ヤクザにチンピラ並みの脅しが通用する筈も無い。スクナは一歩引いた相手に対して更に一歩半詰め寄り、声を低くして凄みを効かした。


「いやー違うんで……あれー? それ俺の銃ー!?」

 そして何時の間に抜き取ったのか、ホルスターに仕舞われていた筈の銃が男の顎下に突き付けられている。

「これはちょいとばかし『懲らしめ』ないと駄目か? うん?」

「わー! 待った! ごめん! ごめんなさい!! ちょっとした冗談だったんですぅ!」

 身長ではスクナの方が十センチ程も低いにも関わらず、上からの圧力に押し込まれるかの如く男は縮こまった。


「何が冗談なのか三秒以内に言ってみろよ? 三、ニ、一……」

「ヴィ、ヴィジターなんだろ! あんたも!」

 男が切羽詰せっぱつまった声で叫び、スクナは襟を掴んでいた手をぱっと離す。

 その拍子に男は尻餅を突き、慌ててスクナから距離を取った。


「良く出来ました、っと。後から召喚された後輩を可愛がるのも程々にしとけよ。俺が砂糖みたいに優しくなかったら、お前さんの舌は甘さを感じられなくなってたからな」

「……胆に銘じておきマスデス。誰だよ、俺と同じ位のガキだからからかって来いっつった奴……」

 後半は小声で独り言として呟いたようだったが三メートルと離れていないスクナの耳にも確りと届いている。だがそんな事は気にせず、奪い取った拳銃を相手に投げ返して立って話すように促した。


「それで? お前さんがパブロ王子の召喚したレイか?」

「おっ、おう。俺がそのレイだ、老戸ろうどれいって言う」

 レイは砂を払って立ち上がるとスクナに向き合って自分の名前を告げる。身長は百七十五前後、痩せ気味な体躯、眼を隠すような黒髪、印象の薄い顔立ち。其処らに居る一般人だろう……日本なら、とスクナは考えた。


「……ふっ、ははははは! 老奴隷か! 面白い名前だな!」

「うっ、うるせー! クソ親父がシャレで付けやがったんだよ! と言うかそっちこそ人の名前を笑える名前なのか!」

 腹を抱えて笑っていたスクナがぴたりと止まり、真っ直ぐにレイを見詰め直す。


「……そうか、俺の名が聞きたいってか」

「え、何か不味い事言った俺?」

 先程脅して来た時のような剣呑な気配にレイが半歩引いた。スクナは気にせずに一瞬眼をつむり、すうっと息を吸い込む。

「――――お控えなすって!!」

「いっ!?」

 吐き出した声がぴしゃりとレイの顔を打った。


「……堅気の衆にお目見えするはあだなる事と心得ます。如何どう御寛恕ごかんじょ願います。早速ながらご当家三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します」

 腰を落し、右手の掌を見せるように突き出してスクナは滔々とうとうと口上を述べる。

「手前生国は日の本の、榛名妙義に赤城颪、上州は国分寺で御座います。稼業縁持ちまして、身の片親と発しますは上州国分寺に住まいを構えます、夜刀一家四代目を継承致します夜刀やと国麻呂くにまろで御座います」


「……」

 レイはぽかんと口を開けてスクナを眺める。

「姓は夜刀、名は宿儺と印します。稼業未熟の駆出かけだし者で御座います。御見知りおかれまして向後万端きょうこうばんたん、宜しくお願い申し上げます。放浪の身なればご挨拶の品も持ち合わせておりません、せめて汗拭きにと納めて頂ければ幸いに御座います」

 懐から出したハンカチを差し出し、スクナは頭を下げる。


 暫く待って反応が無い事を確認すると、ハンカチを戻してレイに向き直った。

「いやー前にやったのは血沸組ちわくぐみん所だから一年か二年振りだが、意外と覚えてるもんだな。どうだ、中々決まってただろ」

 一仕事終えたと言う顔でからからと笑うスクナを震えながら指差し、レイが開きっ放しの口から声を発する。

「……や、ヤクザだこの人ー!?」



「そう言えばスクナ様の事をレイ様にお教えしていたかしら」

 王の寝所から退出したソーシャがふと呟いた。

「勿論で御座います。はばかりながら、『折角兵士として訓練を積んでいるのですから先輩の格好良い所を見せて上げてはどうか』とも進言しておきましてで御座います」

「流石はヴィルね」

「お褒めに預かり恐悦至極に御座います」

 ソーシャは天使の微笑みをヴィルージュに向け、老侍女はうやうやしく礼をする。

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