第2話 着任

 三日後。どこかの医務室。ベッドの上。

 のちに『代々木公園旅客機墜落事故』と銘打たれた事故のあと、俺は例の女子高生に連れられ、新宿区某所にある建物に運び込まれた。まともな説明もないまま、半ば拉致されるように病室に閉じ込められ、治療を受けることとなった。

 事故当時の黒いパーカーとデニムジーンズのまま、俺はぼけっと天井を見つめていた。ところどころ破れていたり、焦げたりしているが、着心地はまだ何とかなる。代々木公園は火の海と化したらしいが、服が原型を留めていたのは僥倖と言えるだろう。

 それよりも問題は別にある。


「いくつか種類があるのだけれど、彼の場合は逆行性部分健忘と呼ばれる記憶障害で、要するに、ここはどこ、私は誰、ってよく映画なんかに使われるタイプの記憶喪失ね。特に失われている部分はエピソード記憶といって、日常体験や過去の思い出に関するところ。今の彼には肉親のことも思い出せないし、自分のこともよくわからない状況よ。だけど、日常生活を送ること自体は問題ありません。その他にちょっとした懸念事項はあるけれど、このままウチで預かりっぱなしにしているわけにもいかないし、そちらに引き渡したいというのが医務室の見解ね」

「なるほど、かしこまりました。怪我のほうも今のところ問題はないのでしょうか?」

「そちらも問題ないでしょう。運ばれてきた段階で傷はリセットしていたし、残っていた火傷もきれいさっぱり。あなたたちの治癒再生は医者の仕事を奪うのよ。わかるでしょ?」


 カーテン越しに女医と男の声が響く。女医は何度か会って顔も知っているが、男の声には覚えがない。


「わかりました。室長も頃合いを見計らっていましたし、以後彼はこちらで預かります」

「そうね。そうしてくれると助かるわ」


 女医が立ち上がったのか、カツカツとヒールの音が近づいてくる。足音はカーテンの向こうで止まったかと思うと、流れるようなレールの音とともにすばやく開かれた。


「体調はいかが?」


 顔を覗き込む白衣の女医に、俺は無言で首肯する。彼女の後ろには、スーツ姿に眼鏡を掛ける男性の姿があった。


「それでは行きましょうか。灰崎はいざきソラさん」


 灰崎ソラ――それが俺の名前だった。



「灰崎さんは、これから五階にある特殊災害対策局本部特殊戦略室に来てもらいます」


 男は桐島きりしま竜胆と名乗った。『竜胆』と書いて『リンドウ』と読むらしい。

 アルミフレームの眼鏡に黒のスーツ。黒い髪と俺でも見上げる高身長。シャープな顎に筋の通った高い鼻。パッと見二十代後半と言ったところだろうが、とりあえずイケメン。

 ただ室内で空調が整っているにも関わらず、妙に厚着をしている。もこもこの黒のマフラーに黒の手袋、加えて黒のニット帽と見ているだけでも汗が出る。心なしか着ているスーツも普通のものより厚手に見える。一体、真冬にはどんな格好になるのだろうか。


「特殊災害対策局ですか?」


 廊下を連れ立って歩きながら俺は尋ねる。左手に並ぶ窓から夕陽に照らされる新宿駅が見えた。


「政府組織の一つです。詳しいことは室長から説明があると思いますが、今のところは特殊な災害に対して即時実行できる専門チームという理解でお願いします」


 俺たちは廊下の突き当たりでエレベーターに乗る。先導する桐島がボタンを押した。


「灰崎さんには、本部特殊戦略室の一員として仕事をしていただきます」

「特殊戦略ですか……でも俺、きっと役に立たないッスよ?」


 特殊な災害? 専門チーム? 何のこっちゃ。まったく理解ができない。


「他の皆さんも最初はそうでした」

「皆さん……ッスか……」

「大丈夫です。メンバー全員でサポートしますから」

「は、はあ……努力します」


 五階に着いた俺たちは、そのまま目前の廊下を直進し、右手に見えたドアの前で立ち止まった。ドアに貼り付けられているプレートには『特殊戦略室』と明朝体で書かれている。

 即時実行できる戦術部隊というからには、この部屋の先にはさぞや優秀で筋骨隆々な男たちで溢れているのだろう。俺みたいなヒョロヒョロはくしゃくしゃに丸めてゴミ箱にポイだ。

 と、臆病風に吹かれる俺のことなどちーっとも気にも留めず、桐島はさっさとドアを開けた。

 さて、感想――しょぼい。

 オフィスは恐ろしく狭かった。メタリックなデスクが両脇に二脚ずつと、中央に接客用の焦げ茶色の平テーブルが一つ。それに同色のソファも設えられている。オフィスの左右の壁は、フォルダを詰め込んだガラス張りの棚で占められ、部屋全体は灰色を基調に統一されている。 

 そして、部屋には人の影が三つ。意外なことに全員が女性だった。

 その中に例の女子高生が腕を組んで立っていた。助けられた恩があったもんで、軽く会釈をすると、彼女はふいと不機嫌そうに顔をそらした。ちょっとショック。

 と、落ち込んでいると、三人の中央にいた女性が口火を切った。


「初めまして、灰崎くん」


 車椅子――それがその女性の最初に目に付いた特徴だった。やや古びた車椅子に座る彼女は、自ら車輪を回し、俺の目の前ですっと右手を差し出した。


鈴代悠月すずしろゆづきだ、よろしく。ここの室長を任されている」

「あ、はい、よろしく……お願いします」


 反射的に握り返す俺。彼女の手のマメが少し気になった。

 近くに寄ったことで、鈴代の右足が付け根からごっそりなくなっているのに気が付いた。整った顔立ちと黒髪のショート。美しい鼻梁にオフィスレディのような灰色のパンツスーツを合わせているが、それらすべてをもってしても足一本の失われた存在感には遠く及ばない。

 元々ないのか、それともここでの職務で失ったのか。俺の不安は増すばかりだ。


「急に呼び立ててしまってすまない。こちらとしても異常なしです、どうぞお帰り下さい、とは言えないし、きみには諸々の事情もあるから一度来てもらった次第だ」

「いえ、構いません。どうせ行くあてもありませんでしたから……」

「そう言ってもらえると助かるよ。ではそうだな、とりあえずは自己紹介から始めようか。それじゃあ」


 どこか満足げな鈴代は頻りに首を回し、立候補者を探す。俺も釣られて見回すと、


「わたくしからでよろしいでしょうか?」


 控えめに上げられる手が一つ。うおっすげえ、と俺は心中で感嘆した。

 手を上げたのはヴィクトリア王朝の貴婦人もかくやのゴシックロリータ、通称ゴスロリの少女だった。

 黒を基調として、豪華にあしらったレースとふんだんなフリル。大きく膨らんだスカートには、生地を埋め尽くすほどのリボンが盛り付けられている。が、かと言って過度な装飾というわけでもなく、不思議と清楚で落ち着いた雰囲気がある。

 程よくウェーブの掛かった髪はよどみないブロンド色に染まり、細い面様には水晶のような大きな瞳が青々と光っている。


「わたくし、アイリス・ユーリカ・ベイルスフィアと申します。気軽にアイリスとお呼びください」


 にっこりと満面の笑みを浮かべる彼女――アイリスはスカートの裾をちょいとばかり持ち上げ、大きな胸に手を当てながら退いた。深窓の令嬢を絵に描いたような、実に優雅な身のこなしだ。とても可愛らしい。


「よ、よろしくッス……」


 ところが、そんな流暢な挨拶に対して、俺はぎこちなく頭を下げることしかできなかった。どうやら灰崎ソラという人間には、初対面で気軽に名前を呼ぶような安い器量さえ持ち合わせていないらしい。心証を悪くしなければいいが、と不安になる俺を余所に、


「生まれはイギリスの地方都市になりまして、日本には三年ほど前から住んでおります。趣味はお茶と読書、その他に、休日にお菓子作りを少々。音楽鑑賞や油絵などをして過ごす日もあります。あまり運動はしません。でも、まったくできないというわけではなく、あまり嗜みませんという意味です。それから……」


 顔に似合わず、流暢な日本語による自己紹介が止まらない。


「おいおい、それぐらいにしてやれ、アイリス。灰崎くんが困っている」

「え? あ、ごめんなさい。つい悪い癖が……」


 すかさず出された鈴代の苦言に、ハッとしたアイリスは乗っていた口をそそと押さえた。いちいち仕草が可愛らしい人である。

 お茶と読書、お菓子と……あとは何だったか……。ひとまずはアイリスという名前だけ覚えておこう。それとお喋り。


「じゃあ次は……カズハ、お前だぞ」


 次に鈴代は、デスクに寄り掛かる女子高生に声を掛けた。女子高生は渋顔をちっとも隠そうとせず、勿体付けるように身体を起こした。


御形和葉ごぎょうかずは……聖蹟女学園、高等部三年……よろしく」


 ずいぶんと無愛想な挨拶をして、彼女はそれ以上何も語らなかった。したことと言えば、その胸元に垂れる黒髪を払い上げたぐらい。俺、何かしたかな? そういえば、墜落現場で出会った時もあの最初の言葉以外、口を開いてさえくれなかった。


「まあいいだろう」


 そんな御形に肩を竦めた鈴代は、最後の一人を紹介する。


「すでに知っていると思うが、彼は桐島竜胆。私の補佐だ」


 いつの間にか車椅子の背後に回った桐島が、うっすら身震いをしながら微笑んだ。

 車椅子、ゴスロリ、女子高生、寒がり。

なにか偏っている。芸人集団を集めたと言われても納得するぞ、これ。


「あともう一人、紹介したいのがいるんだが……」


 この期に及んでまだいるのか、と頬を掻きつつ、鈴代を見ていると、彼女は首元に手を当て数秒間黙り込んだ。しかしそれもつかの間、彼女は大きくため息をつきながら苦笑した。


「どうやら今は手が離せないらしい。仕方ない。おいおい紹介するとしよう」


 今のでなにがわかったのだろうか。

 一人納得した鈴代は両手で車椅子をこぎ、最奥にあるデスクに回り込んだ。その動きに合わせて、桐島が角2の茶封筒をデスクの上に並べる。鈴代は差し出されたそれを横目で眺めつつ、


「さて、きみにここで働いてもらうに当たり、まずはきみの現状を把握しようか」


 一本の煙草を口に咥えた。



「はいどうぞ」


 入り口に近いソファに座った俺に、アイリスが紅茶を差し出した。彼女は使っていたお盆を大事そうに抱えながら、嬉しそうに御形の隣に戻っていく。その御形はというと相変わらずの仏頂面で壁際の棚にもたれ掛かっている。


「……む」


 やはり落ち着かない。喉の奥まで乾き切って、なにもせずとも手に汗がにじむ。俺はさっきからそれを履いていたジーンズで拭くのに苦心するばかりで……どうしたものか。

 試しに出された紅茶に口を付け、喉をうるおす。まるで緊張をほぐしてくれるような温かさの液体は、甘さの奥にほのかな苦みが利いていて、なかなか味わい深い。興味本位に覗き込んでみるが、赤茶けた液体が溜まっているだけで、なんの銘柄なのかはわからなかった。紅茶の知識は持っておらず、と。


「パスポートは見つからなかったが、学生証を携帯していたのが幸いしたよ。大学に問い合わせて、きみの身許がはっきりした」


 鈴代はデスクに広げた書類――俺の履歴書を興味深そうに目を通した。

 履歴書。

 まずは俺に見せてほしいものだ。俺は俺の経験したすべてのことを、あの墜落事故の衝撃でなくしている。今、俺は『灰崎ソラ』という名前以外、何も持っていない。


「五月生まれの二十一歳。血液型はAB型。私立の有名進学校から、三年前に東都大学に主席入学か。お父上は同大学の生物工学の博士号、母上は物理学の研究員、と。なかなか優れたDNAをお持ちのようだね、きみは」


 書類から目を離した鈴代は、煙草を一吸いする。


「……光栄ッス」

「ただそのあとの経歴が少々穏やかじゃないな」


 灰を陶器の皿に落とし、顔に影を作りながら彼女は続ける。


「入学以後、出席が確認できたのは初年度の七月まで。それ以降の更新はなし。それから一ヶ月後にきみときみのご両親、それから一歳下の弟に失踪届が出されている。届け出を出したのはきみの祖母だ。一家四人全員は大事だろう、地元紙の小さな新聞記事にもなっているな」


 失踪とは、なるほど確かに穏やかじゃないワードだ。

 かと言って驚こうにも驚ききれない自分がいる。父親のことも、母親のことも、弟のことも、今の俺は一寸も覚えてやしない。今の俺にしてみれば、それはまさに紙の上でのことでしかなく、記憶と経験に結びつかない出来事は、小説か漫画の一ページとなんら変わりない。


「この失踪になにか心当たりはあるか? もちろん、きみの現状は知ったうえで訊いている」


 一本目をもみ消した鈴代は、二本目の煙草に火を点けながら問う。

 俺の現状、というのはつまり記憶喪失のことだろう。きっと彼女も自身の問いに対する明確な返答など期待していないに違いない。ならば、俺はその期待に応える形になっても問題ないだろう。


「わかりません……覚えていません」


 しかし、その発言に反して自分の全身が強張った。心の真ん中に空いた穴から何かが這い出してくるような感覚だった。


「気にしなくていい。事情聴取も兼ねているから、不本意でも訊かなくちゃならないんだ。大丈夫さ、記憶はいずれ取り返せる」

「取り返す?」


 彼女のその表現に強い違和感を覚えた。普通その言い方では、まるで記憶が誰かに奪われたかのように聞こえてしまうが。

 その俺の疑問に、鈴代は両目を細め、鼻で笑った。


「ふっ、優秀な耳で助かるよ。まずはそっちから話そうか」


 すると、鈴代は部屋の脇に待つアイリスに目配せをする。合図を受けたアイリスは、隣にいた御形の手を引っ張り、俺の目の前のソファに腰を落ち着けた。やや強引に引っ張られていた気がするが、御形もされるがまま隣に座った。


「ここからはわたくしが説明致しますね」


 キラキラフリフリのスカートを直しつつアイリスは深く礼をする。


「ソラさんは魔法や魔術、幽霊やオカルトなどの非科学的な事象を信じますか?」

「……? あるなら面白いとは思うスけど、実際は……」


 突然なんの話だろうか、と俺は首を傾げる。


「そうですよね。目の前で見てもなかなか信じることができないと思います」


 一拍を置いて、アイリスはわずかに身を乗り出した。


「最初の人間が誰だったのかはわかりません。ですが、今世紀の初頭から非常に稀有な能力を持った人間が、世界各地で同時多発的に観測されるようになりました。火のないところに火を発生させたり、相手の心を読んだり。いわゆる超能力者が観測されるようになったんです」

「超能力者?」


 ますますわからない。これは何の話だ。


「そこで観測された超能力者たちは、非常に特異な二つの特徴を持っていました」


 アイリスは人差し指と中指を立てピースサインをする。そのポーズに反比例するように表情が曇る。


「一つ、彼らは一度死んだ後に蘇っていること。つまり殺人や不慮の事故、寿命で死に、そして何の因果か生き返った人々であるということ。そして二つ、死んで生き返った人々は、その代償に何かを奪われているということ。その奪われるものは物質的なものであれば、とても抽象的なものでもあったりと様々です。何故、失うではなく奪われるという表現をするのかについては、奪われた時にそうと認識してしまうからでそれ以上のことは言えません」


 そこまで説明してアイリスはブロンド色の髪を耳に掛けた。


「わたくしたちは、一度死にそして生き返り、何かを奪われた人々を新人類――《エクセリア》と呼称しています」

「……エクセリア」

「エクセリア化は、人類の進化のカタチであると主張する方や、大規模人体実験という政府陰謀論を唱える方もいらっしゃいます。確かにエクセリアとなった人間はみな、身体能力や強度、自然治癒力が飛躍的に向上し、それは通常人類の二倍から三倍程度になると言われています」


 ――あなたたちの治癒再生は医者の仕事を奪うのよ。


 俺の脳裏に医務室での女医のセリフが蘇った。そういう意味か。ということは俺も……


「すでにお察しかと思いますが、ソラさん、あなたはあの旅客機墜落事故で死に、目覚め、《記憶》を奪われたエクセリアなのです」

「…………あ、ああ」


 ――案の定だ。


 あの旅客機墜落事故。あの事故での生存者は一名――俺だけだったと聞く。航空会社のデータによれば乗員乗客全二一八名。俺以外の二一七名は、人間としてその一生を終えた。

 俺だけが生き返り、生き返ることの代償に《記憶》を奪われた。

 不思議だった。あれほどの大事故に遭っておきながら骨折はなく、多少の火傷だけで済んでいたことが不思議で仕方がなかった。

 アイリスが話の初めに、非科学は信じるか、と問うたのは当然だ。こんな話、普通じゃ信じられない。死に直面し、それを体験した人間でしか信じられない。

 自前のクセ毛に指を絡ませる。考え込んだ時の癖なんだろう、たぶん。

 そんな俺を見て、突然アイリスは声を上ずらせた。


「あ、あの、えっとっ! 心配しないでください! 言い忘れていましたけれど、ここにいる皆さんも全員がエクセリアなんですっ!」


 大慌てで手をはたはたとさせるから、フリルやらレースやらが頻りに光を反射している。ついでにその大きな胸もかなりの勢いで揺れて、揺れしきっている。かなりの勢いで、だ。


「ここは特別にエクセリアが集められるところでして、えっと……皆さん、死んでるんです!」


 いや生きてるから、と隣の御形が冷徹な突っ込みを入れた。もう少し優しくしてあげてくださいよ、彼女テンパってるんだから。


「そ、そうですね。ソラさんがあまりにも悩んでいたようでしたので、元気づけようと慌ててしまいました」


 こほんと一つ咳払いをし、アイリスはその青い双眸を再度俺に向けた。彼女は白磁のような真っ白な右手を差し出し、上向けた。


「エクセリア化によって得られる能力は千差万別です。見ていてください」


 すると手の平の上に、突如六角形でできた黒色の鉄片が舞い始めた。やがて小型の鉄片は無数に数を増やし、結合し、一瞬にしてバスケットボール大の球体を形作った。どこからその鉄が現れたのかと目を凝らすと、それは彼女が着ているドレスのレースから発生していた。

 磁力を帯びるかのようにアイリスの掌の上を緩やかに回転しながら浮遊している。


「わたくしの能力は『鋼鉄処女アイアン・メイデン』。この黒鋼を操り、組み合わせることで戦います。普段はこうして衣装の飾りとしてわたくしの身体を守っております」


 黒光りする球体は端から剥がれ落ち、もとのレース生地に戻っていく。この服全部が鋼でできているのだろうか。だとしたら、ずいぶんと肩の凝りそうな衣装だ。


「わたくしのように身体の外側に付加的に発現したものを《アーキタイプ》と呼称します。そしてその逆、外装ではなくその身に力が発現したものを《ノンアーキタイプ》と呼称します。和葉、お願いします」


 彼女のお願いに、あいあい、と気だるそうに返事をした御形は、両手で後頭部の髪をすいた。


「お、おうっ」


 こりゃ、驚いた。御形の頭にはさっきまでなかった二つの耳が、三角形をしたネコの耳が生えていた。可愛い、すごく可愛い! 仏頂面な表情のくせにちょっと恥ずかしそうにしているところがなおいい! そうか、彼女の能力は――


「あたしの能力は『変異トランス』。あたしはね、自分の身体を動物に変えることができるの。身体の一部からほぼ全身まで。造形を想像できるものなら種類も自由にね」


 面倒そうに説明しているが、その間もネコ耳がぴくぴくと動いてしまっている。

 アイリスの『鋼鉄処女』はアーキタイプで、御形の『変異』はノンアーキタイプ。ということは、俺も何かの能力を発現しているということになる。身の回りに何も現れていないところからすると、俺はノンアーキタイプに属するのだろうか。

 ところが俺の疑問は真っ向から否定された。


「きみはアーキタイプだよ」


 俺の疑問を察したのか、鈴代はあっさりと答えを告げる。ふと見ると、俺の隣には冷たい息を吐く桐島が、無地の布に包まれた長い棒を差し出していた。

 うやうやしく拝領し、布をほどく。少し手間取ったが、じきにそれは姿を現した。

 刀だ。深緑に幾何学系の細かな彫が入った鞘と、それよりももっと濃い緑の柄を持った刀が、俺の手に収まっていた。長さは一メートル弱、重さは片手でも持てるほど軽い。鈍く光る意匠に、俺はしばらく目が離せなかった。


「墜落現場に落ちていたもので、悪いとは思ったが先に解析させてもらった」

「解析……ということはこの刀が持っている能力もわかったってことッスか?」

「できればそう答えたかったのだが、実は今回の解析では何も掴めなかった。まったくわからなかったんだよ」


 鈴代はバツが悪そうに頬を掻いた。


「わからない?」

「そう、わからないんだ。その刀はきみのアーキタイプと見て、ほぼ間違いないはずなんだが、目立った能力は、何一つ解析できなかった。中には使い手がいないと解析ができないものもあるからな……灰崎くん、すまないがここでそれを抜いてみてくれないか」

「あ、はい……わかりました……」


 言われるがまま俺は柄と鞘をしかと握り、真横に強く引き抜いた。鞘の中で鉄の擦れる音が響いた。


「ん? あれ?」


 むき出しになった刃は、俺が想像していたものとはちょっとばかし違っていた。


「これって……刃がない?」

「ああ、そうだ……不思議なことに、それは切ることのできない鈍刀なんだ」


 俺の言葉にも、鈴代の言葉にも、どこか落胆めいたものが混じっているような気がした。

 普通刀身は鎬を境にして、切れ味鋭い白銀の刃と、黒色の峰の二色に分かれているのをイメージする。だが、俺の刀は黒一色。ただの鉄の棒だ。見た目は反りのない忍者刀のような直刀に近く、刃の輝きなどない完全に打撃武器の様相を呈している。なまくらだってもう少しまともな形をしていてもいいものだが。


「……?」


 ただどういうわけか、刀は恐ろしいほど握る手に収まりが良く、それはどこか旧友との再会を果たした時の感覚に似ていた。


「まあ急ぐような話でもない。使っているうちにわかるだろう」

「はあ……まあ……」

「奪われたものを取り返す方法は、はっきりとはわかっていません。それには規則性がなく、期間も様々。少しずつ部分的に、時間を掛けて返却されるパターンが多いようですが」


 補足するようにアイリスが言う。俺は納刀しながら疑問を口にした。


「ということは、みなさんも何かを奪われてるんッスか?」


 だけど、その一言はこの場の空気を一変させるに充分な威力を持っていた。

俺の言葉に、皆が口をつぐんだ。鈴代も、桐島も、御形も、そしていつも笑顔を振りまいていたアイリスさえも黙り込んだ。


「……あ、え」


 俺は突如凍りついた場にぎょっとしながら、四人見回した。エクセリアの説明をする上で、これは予測不可能な質問ではないはずだろう。それでも口をつぐむということは、余程の事情がみんなにはあるのかもしれない。


「それは」


 やがて、鈴代がやむなしといった表情で口を開いた。


「いずれ話すことになるのだろうが、ただきっとそれは今じゃないんだ。こればっかりは申し訳ない」

「……」


 俺のことは知っているくせに、と思った。でも、別に追求しようとは思わなかった。親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったもので、親しくない俺にはなおさらだ。それに今の俺にとっては必要のない情報とも言える。

 一方で、俺が奪われた《記憶》というものは、知られているべき情報だ。むしろ知られていないほうが、今後行動をともにするのに不都合が生じる気がする。


 ――今後行動をともにする。


「……俺はこれから何をしなければならないんスか?」


 今後行動をともにする特殊戦略室は、エクセリアの集まり。わざわざ集めたのだから、それには相応の理由があるんだろう。俺は鈴代を見つめる。


「この手の説明は、私は苦手なんだ。だからアイリスに代わりを頼んだんだが……きみは的確だし、理解力がある。賢い人間は好きだよ」


 三本目から吸った煙を吐き出し、彼女は表情を厳しくする。


「ここ、特殊災害対策局は防衛省の外局にあたる。別名はグリーンウェア」

「別名?」

「これには特別な事情があってね。ここは防衛省の外局でありながら、非政府組織という特殊な位置づけとして存在している。表向きはボランティア団体として認可されているんだ。エクセリアなんてもんを扱っているからな。公けには見せられないんだろう」


 この科学の時代に非科学は扱いづらいのだろう。わからなくもない。


「対策局内の活動はひとえにエクセリアの管理・統制ということに集約され、全体は三つの部門に分けられている。各省庁との連携や情報のやり取りを行う情報管理に情報統括室。無能力者で構成された実働部隊には総合戦略室。そして、私たち特殊能力者たちを集めた特殊戦略室の三つだ。あとの二つは、総戦、特戦なんて呼ばれていたりする」


 なんだかもの凄く仰々しい職務内容だ。ボランティア団体に偽装した謎の戦闘集団というのはわかったが、実際に何の活動しているのかがまったくわからない。局名にある『特殊』という部分がエクセリアのことを指すのは何となく察しが付くが、


「わざわざ二つも戦略室を作る必要があるんスか?」


 思わず疑問を口走ってしまった。だってそうだろ? 総戦、特戦と二つの部門を作ってまでやる仕事とは思えない。


「確かに、その疑問はもっともだ。現状我々が把握しているエクセリアの数はそう多くはない。せいぜい百人と少しと言ったところで、そもそもエクセリアになる人間なんて多くないんだから、監視が必要だとしても総戦だけで事足りる。戦略室が二つというのはいささか多いだろう」

「じゃあ……」

「だが、特殊な力を持つと使いたくなる奴らが当然ながら存在する。そいつらは、進化した我々は旧人類を殲滅する使命があるとか、馬鹿馬鹿しい理論を振りかざして犯罪に手を染めたりする。そんな奴らの倫理観にまで口を挟みたくないんだが、そういう連中を野放しにしておくわけにはいかないだろう。そういう奴らの逮捕、制圧が我々特戦の主な仕事の一つではある」

「他にもあるってことッスか」


 もうこの手の含みのある話し方には慣れたぞ、と言わんばかりの俺である。


「そう……本題はここからだ」


 鈴代は車椅子の肘掛けに肘を突いた。


「我々のようなエクセリアの発生とほぼ同時期に、それとは別種の何かが発生した。人のようで人ではなく、獣のようで獣ではない何か。エクセリアとも違う新しい何か――」

「あたしたちはそれを《這い寄る者クリーパー》って呼んでるの」


 わざわざ御形が語尾を割った。見れば彼女は額に皺を作り、沈痛な面持ちで俺を見ていた。


「クリーパー? それって……」


 と、説明の続きを促そうとした――その時だった。

 部屋中に甲高い警報音が鳴り響いた。瞬間、俺以外の四人が天井に据え付けられたスピーカーを見つめた。


『緊急入電、緊急入電……』


 女性の声。それに合わせ、御形が立ち上がり、アイリスがスカートを正した。


『防衛省より各局。世田谷区上北沢4丁目、上北沢駅付近にてクリーパーの現出を観測。現在、首都高速4号新宿線を東へ移動中。総戦及び特戦の出動を要請。繰り返す――』


 響き渡る声に俺の鼓動が速くなる。出し抜けの騒がしさに俺は頻りに辺りを見回した。


「噂をすれば影だ。丁度いい、和葉、アイリス。灰崎くんを連れて出動してくれ。非常識は言葉で説明するよりも目で見た方がわかりやすい」


 加えて鈴代は、桐島は車を、と指示を与え、指に挟んでいた煙草をもみ消した。


「りょうかーい」「行ってまいります」「かしこまりました」


 三人はそれぞれにそれぞれの返事をし、御形と桐島が一目散に部屋を飛び出した。それに続くアイリスは入り口で振り返り、そのブロンドをなびかせた。青い瞳が俺を見る。


「ソラさん、行きましょう」

「え、あ、はいっ!」


 跳ねるようにソファから立ち上がり、俺は事態も飲み込めないままアイリスを追う。


「おい、忘れ物だぞ」


 その直後、鈴代から刀を投げ渡され、取り落としそうになりながらもどうにか受け取った。


「い、行ってきます!」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る