追憶のエクセリア
@megane3852
第1話 邂逅
「ああぁ、アアアァァァ――――ッ!!」
目覚めた時に感じたのは、全身を刺す痛みと肌を焦がす熱だった――
「あああぁぁ―――ッ」
体中を巡った痛みは脳を刺激し、有無を言わさず意識を覚醒させる。
焼けた土の匂いと手や頬に触れるさらさらとした感触。乾いた木々の爆ぜる音がそこかしこで鳴っている。
身体をうつ伏せに変え、両手をついてゆっくりと上体を起こす。
夜の闇と丸い月が俺を包み込んでいた。そして――
「はあ……なんだ……これ……」
地上に広がっていたのは、辺り一面の焼け野原と巨大な鉄の塊が散らばった世界だった。
右に首を捻っても、左に首を捻っても、果ての果てまで景色は変わらない。
耳を打つ鼓動が強くなる。震える足を叩き、宛てもなく歩き出す。地面から漂う熱が靴越しに伝わってくる。
まだはっきりとしない脳に酸素を送り込もうと、思いっきり空気を吸い込むが、焦げた熱気に肺が拒否反応を起こした。
「……げほっ、げほっ」
反動に身体はよろめき、背後にあった壁にもたれ掛かる。
「どうなってんだ……」
災害の類だろうか。例えば地震や台風のような天災が起きて、この一帯はその被害に遭ったとか。俺はその災害を生き残ったとか。そういうことなのではないだろうか。
そこまで考えた時、ふと俺はもたれていた壁を見上げた。
それはところどころ黒ずんだ白塗りの鉄板だった。ゆるく湾曲する鉄板は、深々と地面に突き刺さり、俺のはるか頭上に高々とそびえている。幅はざっと五メートル弱、高さは見当もつかない。目を凝らすと鉄板には赤色で文字が書かれていた。
「AL?」
他にも文字の跡が見えるが、焦げ付いて判別ができない。だが、その二文字の下に添えられた二つの単語が目に付いた。
『AIR LINE』
「……飛行機?」
じゃあ、あれはエンジンか。左向き十メートルほどのところに樽型の物体が転がっている。無数の羽が付いた円形のファンがまだわずかに回転していた。
墜落事故。その単語がすぐさま脳裏をよぎった。焼け野原と飛行機の残骸が結ぶものと言えば、それくらいしかないだろう。
「ここは……」
ここはどこだ―― 俺は生き残ったのか――
「ぐッ!」
不意の疑問に思考を巡らせた瞬間、まるでそれを妨害するかのように激痛が走った。脳みそをえぐる痛みにこめかみを押さえる。考えれば考えるほどそれは強さを増す。けれど、半ばでやめることもできず、過去を探ろうとした。なのに――
「なんでだ……」
いくら記憶を凝らしても、どんなに思考を巡らしても、ここがどこなのかという情報は出てこなかった。いや、それどころか、俺は……。
「まったく……こんだけ殺しても収穫ゼロかよ」
思考は唐突な言葉に遮られる。
「ああ、知っていた。俺は知っていたさ……この作業は効率が悪いってことをな」
男。灼熱の火中においてもなお輝く金の長髪と、日本人とかけ離れた彫りの深い目鼻立ち。その奥には緑碧玉の瞳が鋭く閃いている。男は連なった瓦礫の上で、夜闇にも映える真っ黒のレザーコートを身にまとい、月を見上げ立っていた。
「ひあああぁぁ!」
その男の異様な姿に、俺は堪らず叫び声を上げ、尻餅を突いた。金髪の男はその肩に身の丈はある鎌を担ぎ、右腕に黒い塊を――焼け焦げた人の死骸をぶら下げていたのだ。
「お前……何してんだ?」
持っていた死骸を手離した男は瓦礫を軽やかに飛び降り、一歩、また一歩と歩み寄る。
大鎌が満月に照らされ、鈍色に輝く。手元から長く伸びた柄は蛇皮のような鱗模様を帯び、緩やかな螺旋を描いている。細かな装飾の施された先端には、金色のバラの彫刻が一房飾られ、人間の胴回りを両断できそうな三日月形の刃が鋭利に伸びる。
男は金色の長い髪を片手で掻き上げ、俺の前で立ち止まった。
「来るなああぁっ!!」
乾ききった喉を震わし、俺は咄嗟に掴んだ土を投げ付けた。だが、その必死の抵抗を片手で払いのけた男は、不意に眉根をひそめた。
瞳を眇めると、手にした鎌の刃で俺の顎を引き上げ、不遜な態度で問い掛ける。
「お前……誰だ?」
男は俺の喉元に鎌を突きつける。骨が震える。額に滲んだ汗が伝う。
――死ぬ。
本能的にそう思った。この男は人を殺すことに何のためらいも持たないとわかってしまった。焼け焦げた人間をあんな粗雑に扱う男が殺すことを躊躇するはずがない。
男の背後に放り捨てられた死骸が目に映った。落ちた衝撃で腕が落ち、膝の関節があり得ない方向に曲がっている。頭は黒炭のように燃え尽きて、それがもともと誰だったかを判別することは到底できそうにない。
――俺もあれと同じ末路をたどるのだろうか。俺はここで……。
この場から一刻も早く逃げてしまいたいのに、足がすくんで動くことすらままならない。
「はっ、ははは! こいつぁ滑稽だな! まったく収穫がなかったわけじゃなさそうだ」
意味不明なことを叫んだ男は顎に手を当てる。
「このまま連れて帰るのは面倒そうだな……きっと暴れるよな、てめえ。だったら気絶させるのが一番か……そうだな、それが手っ取り早い」
結論が出たのか男は、手にした大鎌を滑らかに振りかぶった。だが、
「……おっと!」
今にも振り下ろすかに思われたその瞬間、男は大きく後方に飛び退いた。着地すると同時に、さらにもう一歩退き、俺から充分に距離を取る。
「なっ……」
男の行動の意味を知るのは容易だった。俺と男の間に黒い何かが割り込んだ。
漆黒の体毛に包まれた流れるようなフォルム。しなやかな四足とぎらりと光る鋭い牙。ピンと張った耳とアーモンド形の大きな眼。
ネコ目ネコ科ヒョウ属――黒ヒョウが俺と男の間に割り込んだ。
フーッ、と喉を鳴らす黒ヒョウは牙を剥き出しにし、前傾姿勢で金髪の男を威嚇する。対して鎌を振るった男は不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、俺はお前を知っている。事前に報告があったからな。だから、ここでお前と争うことが如何に無意味であるかも、俺は充分に知っている。今がその時じゃないってこともな。それに、この場はどうにも分が悪い」
男は視線を外し、焼け野原の先を眺める。そこかしこからサイレンが鳴り響いていた。
「そいつは、ひとまずくれてやる。今の俺には手に余る」
大鎌で俺を示した男は、人間離れした跳躍をし――次の瞬間、空中で忽然と消え失せた。
消えて、跡形もなく、風だけが吹き荒れた。
「……助かった……のか?」
俺は依然としてそこにいるヒョウに視線を落とした。牙の隙間から息を漏らすヒョウは、その強かった呼気を徐々に弱めていく。同時に身体の力を抜き、姿勢を柔らかくする。
その行動にほっと息をつく。威嚇を解くということは、危機は去ったということだ。
「――ッ!!」
いや、違う。そうじゃない、そうじゃないだろ。どうして俺はこの獣に、人並みの知能を期待しているんだ。大きかろうがネコはネコ。威嚇をやめたから危機は去ったなんて言えるわけがない。
これから俺を襲う可能性だってあるじゃないか――
「……く、くそっ!!」
案の定、黒ヒョウは俺のほうに向きを変え、その四足で近寄り始めた。俺は地べたに尻を付けたまま、無様に下がり続ける。サイレンは近付いている。助けは近い。
だが――それも大きな誤算だった。
多数の足音とともに、軍人のような屈強な男たちが手にした銃で俺を取り囲んだ。何故か、そこにたたずむ黒ヒョウなどには目もくれず――俺に、俺だけに銃を向けた。
「ま、待ってくれ! 俺は……!」
「おとなしくして」
突然、俺の耳に女性の声が届けられた。このむさ苦しい男の群れにいて、ありえないほど澄んだ声。すぐさま声の主を探したが、しかし声の主などどこにも見当たらない。
だが直後に、声の主がすでに目の前にいることを知る。
「ここはあたしが引き受けます。総戦の皆さんは他に生存者がいないか、確認をお願いします」
「う、嘘だろ……」
声は依然として佇む、黒ヒョウから発せられていた。と次の瞬間、獣は何の前触れもなく後ろ脚で立ち上がった。
「……夢、だよな……これ、夢なんだよな……」
黒ヒョウはその体中の関節をバキバキと鳴らしながら、細い脚を、しなやかな腰を、鋭い牙を、その三角の耳を――収めた。
「夢……だったらいいけどね。あいにくこれは現実よ」
どこか幼さの残る顔立ち。丸い瞳とピンクに色付く唇、白くやわらかな頬。
胸元を流れるセミロングの黒髪。大きめのリボンが特徴的なセーラー服に、赤地に緑チェックのミニスカートを合わせ、その中は黒のスパッツで完全防備。茶色のローファで踵を鳴らしながら、艶やかな黒髪を黄色い花の髪留めで止める。
黒ヒョウは――女子高生に姿を変えた。
乱れた制服を一撫でで整えた女子高生はしゃがみ込み、尻餅をついたままの俺と視線を合わせた。まじまじと俺の身なりを眺め回し、フンと鼻を鳴らした。
「あんた……生きてる? それとも……」
彼女は問い掛ける。脈絡もなく問い掛ける。
――死んでる?
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