第65夜 5・24 蒙昧な理性の獣と為りて

5・24 蒙昧な理性の獣と為りて


 ここ数日、書いていることの記憶がない。十時くらいには寝てしまうからだ。それでも、零時になるとのっそり起きる。少しの義務感と身体の強張りが、夜尿症のように僕を起き上がらせる。だが身体は起きても、頭は寝ている。寝ぼけたまま、ベランダまで這い出る。寝たまま、立って煙草に火をつける。不味い煙に噎せて、目が覚める。一本吸えば、少しずつ醒めてくる。それで仕方ないから書き出す。それがここ数日のルーティーンになりつつある。

 人間は結局、獣に過ぎないと思う。こんな取るに足らない仕事でも、書かねばと思うからに不思議と目が覚める。酔っぱらいが帰巣本能で家に辿り着くのと、何ら変わらない。或いは、鬱病間近の新入社員が、目覚ましの五分前にハッとして飛び起きる、そんなところか。理性がそれを拒否していても、無意識はちゃんと機能する。我々が信じている理性なんぞという偉大な虚妄が、一酔の春の夜の夢に彼方へと飛び去ったとき、我々がおそれている筈の本能は、ちゃんと顔を出す。

 ふと、書けなかった一昨日の事を思い出した。田の泥に足を埋め、ただすっくと見上げ、天に立つ。土と水に触れ、そこに言葉はなかった。言葉など所詮、そんなものに過ぎない。言葉は本能を覆い隠す為の代償行為だ。我々が千年信仰し続けている、理性などという崇高なかさぶたを剥がすには、たった一歩踏み入れるだけで十分だ。理性とは、変奏された獣性の姿に他ならない。言葉とは無毒化された獣性の中和塩であり、獣性が獣性のまま解き放たれてしまわないための、無力化された形でのガス抜きだ。だから、ほとんど獣性に近い言葉を人は、魂のこめられた言葉などと呼ぶ。

 人間は、一種の獣に過ぎない。だからこそ、僕は己の獣性の代償たる言葉の放縦さをもって、蒼白な理性社会への復讐を企てる。(了)

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