第51夜 5・10 野良猫観察記

5・10 野良猫観察記


 夕方、することがないのでベランダで煙草を吸っていた。住宅街を、野良猫が歩いていた。前に、左耳の欠けた黒のことを書いた。それとはまた違う、斑点のある猫だった。僕は六階のベランダから、そいつを観察することにした。

 猫ははじめ、路地を歩いていた。人間よろしくふてぶてしい顔で、道の真ん中を歩いていた。猫は歩いて行くと、行き止まりに出た。だがそれは、しょせん人間の視点での行き止まりだ。猫は袋小路の塀をひょいと登って、そのまま塀伝いに歩きはじめた。

 それからまた少し見ていると、今度は塀を降りて横道に出た。そこは僕のベランダの真下に通る、ちょうど商店街に並行する裏道になっていて、昼間でも時おり人が通った。猫はまず塀からすとんと降りると、道沿いの植え込みの中に入った。姿が見えなくなって少しすると、茂みからひょっこり、顔だけ出した。横断歩道の小学生か、仮免の交差点めいた動きで、猫は左右を確認すると、道へ歩み出て、真ん中に寝転んだ。それで背中を地面に擦りつけ、ひとりでごろごろやっている。

 人の足音が聞こえてくると、猫は野生めいた動きでさっと振り向く。そしてゆっくりと立ち上がって、そろりと茂みの中へ消える。人が過ぎればまたそろそろ出てくる。何度目かのそろそろとごろんをしたときに、一人の青年が猫の前に立ち止まった。猫は首を青年に向けたまま、置き物めいた格好で静止した。青年がしゃがみこもうとすると、猫はやっぱり茂みへ去った。仕方なく青年が行ってしまうと、猫はまたそろそろ戻ってくる。それを見て、青年も戻ってくる。今度は適切な距離を保ちながら、じっと見つめあって、置き物になった。たぶん三分くらいそうしていた。その間、僕はずっと上から見ていた。

 僕はその二個体の間に、なにか微妙なつながりを感じた。だがそれは、しょせん人間の視点に過ぎない。猫には猫の生活がある。人はそこに立ち入れはしない。きっとあの青年は猫から勝手に、都合のいい言葉を受信でもしただろう。だが猫のことは、猫にしかわからない。猫は人間のすぐ隣にいるようで、彼等にしかわからない領分を生きている。要は人間など、別種でしかない。そんな立ち入れない猫の領分に物語を見出すのは、しょせん人間のエゴってやつだ。(了)

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