第11夜 3・31 最後の話

3・31 最後の話


 今日は、頭がはっきりしない。だから、夜をたっぷり吸い込んでから書く。タバコの煙のにおいのする夜。メンソールが、効かなくなってきた。今日も一日は、おなじだった。ゆっくりと、夜に体を慣らしていく。セブンスター。脳の血管が、収縮していく。動悸が少しする。濁った頭が、少し晴れてくる。書こう。

 蠢動。三月ももう、終わりだ。三月が終わっても、夜は静かだ。夜は、人の暦とは無関係だ。だが人は、この同じ夜に、何を思う。

 三月最後の、終わりゆく夜。今日という一日は、何かしらの「最後」を迎える人が、もっとも多い一日だろう。今日の一日を終えて学生になる人。修学の一年を積み重ねる人。今日の一日を限りに、社会に出る人。明日、新天地へと旅立つ人。変わりゆく人々は、この夜に、何を思う。終わりゆく一日に、最後の夜に立つ。明日、新しい朝を迎える、何万人。ベランダに立つ人は、何人いるだろう。あの新宿のあかりの中に、夜を思う人は、いるだろうか。僕と同じさびしい同胞は、この夜のどこかに、いるだろうか。夜は、また今日も変わらない。明日も、夜は変わらないだろう。僕もきっと、何も変わらない。明日もまたここで書いているだろう。

 このベランダで、最後の話を書く日は、いつだろう。そのとき僕は、何を書くだろう。もう書いていないかも知れない。こんなもの、書かないで生きていられたら、幸福だ。書くのは、苦しみを紛らすためだ。

 三月の夜はそうして過ぎてゆく。最後の話を書くのも、夜だろう。(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る