阿倍野リンは炎に包まれる

 何かを頼まれたとき、たとえばそこの醤油を取ってと言われたときに、よほど意地の悪い性格を所有していない限り、その頼み事を素直にきいてあげる人は多いと思いますが、服を脱げと言われてそれを素直に実行する人間は少ないと、いや、少ないなんてものではなく、ほとんどいないと思います。もしもわたしだったら、わたしが服を脱げと唐突に言われたのならば、絶対にそれを実行しませんし、しようとも思いません。高校生のくせにまるで小学生みたいな貧相な身体を晒すのが恥ずかしいということではなく、対価がもらえないのに易々と肌をさらしたくはないということでもなく、ただ単に、服を脱げと言ってくる相手に抗いがたい不信感を抱いてしまうからです。服を脱ぐと言う行為の意味を説明された、あるいは推測できる状況下にあり、その正当性を自分なりにかみ砕くことができるのならばいいのですが、そのような前置きもなく、ただ唐突に脱げと言われることには抵抗以外の何物も感じないのが、花も恥じらう乙女と言うやつではないでしょうか。


 しかし。


「わかりました」


 天道院さんに服を脱げと言われた阿倍野さんは、一切の躊躇もなく、わずかな抵抗もなく、まるでそれが当然のことであるかのように、履いていた黒いハイソックスを片方ずつ脱ぎ、身にまとっていた制服のスカートを脱ぎ捨て、白いショーツに手をかけました。ショーツをするすると下げ、膝の辺りまで下ろしたところで、阿倍野さんはわたしを見ます。


「三浦崎さん。下から脱ぐのっておかしいかしら?」

「え?」

「あなたの瞳がそう言っているような気がしたのだけれど」

「いや、別に変だとは思わないけど」


 本当は少し変だと思っていました。下から脱ぐのが変というよりは、シャツよりも先にショーツに手を出していることに違和感を覚えているのですが。ショーツが膝の辺りでとどまっていることがその気持ちに拍車をかけます。まるでこれから用を足すみたいな感じです。


「本当に? 少しも変だと思っていない?」

「う、うん」

「そうよね。安心したわ。ありがとう」

「い、いえ」


 なぜ、感謝の言葉を言われたのかよくわからいわたしがあたふたしている間に、阿倍野さんの脱衣は進んで行きます。ショーツを脱いだ阿倍野さんは上着だけを着て、下半身は丸出しというわたしだったら絶対に両手で下半身の一点を隠したい状況にあるにもかかわらず、その両手は当たり前のように上半身へと持っていかれます。制服の茶色いジャケットを脱ぎ捨て、赤いリボンを取り、白いワイシャツのボタンに手をかけて一つずつ安定したリズムを保ちながら外していきました。ワイシャツを脱ぐと、真っ白いブラジャーがあらわになります。わたしとは違い年相応、いや、グラビアアイドル並に実った胸を包んでいるブラジャーのホックを外すと、形の良い乳房が露出しました。アイドル並の人気を誇り、言葉を交わしたことのない人間までも虜にしてしまうほどの美少女が裸になっているこの状況下で、異性に興味のある男子だったら間違いなく、その美しい乳房に目が行ってしまう事でしょう。ピンク色の乳首は女のわたしが見ても綺麗だと思います。しかし、わたしの視線はその蠱惑的な乳房へは向かわず、その少し下、お腹の辺りを注視してしまいます。もしかしたら健全な男子でも、乳房よりもそこを見てしまうかもしれません。それほどに、その場所は異様で異常な異彩を放っていました。


 ――傷。


 半年前、阿倍野さんはストーカーに刃物でお腹を刺されました。その時の、痕跡が今でも残っているのです。そして、その傷が愛する男の気持ちを冷まさせ、阿倍野さんを妹殺しへと向かわせたのです。呪いの根源、と言えるものなのかもしれません。


「これでいいですか?」


 傷を隠そうとはせず、さらに少しでも恥じらいのある人ならば隠そうとするありとあらゆる部分もさらしたまま、風を感じるみたいに両手を少し広げて阿倍野さんは天道院さんに訊きました。天道院さんはそんな阿倍野さんをにやにやとした表情で見ながら言います。


「問題ないよ。ただ――」

「ただ?」

「たしかに一糸まとわぬ姿の方がいいんだけど、さすがにそれは恥ずかしいだろうから下着は脱がなくてもよかった、なんて言ったら怒るかい?」

「……」

「あれ、怒った?」

「……いえ、大丈夫です。女しかいませんから裸を見られても恥ずかしくはありませんし」

「そう。それはよかった。別に、今から下着を身に着けてもいいけど」

「大丈夫です。このままで。ちっとも恥ずかしくありませんから」


 天道院さんとの会話を終えた阿倍野さんがわたしに顔を向けてきます。その瞳には明らかに悔しさと怒りが混じっていたのですが、それに気が付かないふりをして目を逸らします。脱ぐことは恥ずかしくないのかもしれませんが、誤解をしたことは嫌だったのかもしれません。ていうか、どうしてわたしに怒りを向けるのでしょうか。お門違いと言うやつです。


「さてと。サクヤ。ついでにきみも脱いじゃおっか」

「嫌ですよっ」

「それは冷たいなあ。友達がこんなにも恥ずかしい格好をさせられているというのに」

「天道院さん。さっきも言いましたけど、別に恥ずかしくありません。むしろ、好きなくらいです」

「だそうですよっ」

「だとしてもだよ。友人が裸になっているんだから、サクヤも裸になってあげればいいじゃないか。この国には裸の付き合いって言葉があるだろ?」

「裸の付き合いをするにはそれにふさわしい場所ってものがあるんですよ。こんな場所でわたしまで裸になったら、まるで怪しい儀式をする宗教団体みたいになっちゃうじゃないですか。そういう怪しい儀式を見てしまったせいでそれまで大好きだった人を避けるようになってしまう少女だってこの世にはいるかもしれませんよ」

「三浦崎さん。わたしから見れば、あなたと天道院さんは怪しい儀式を行う宗教団体の人間と大差がないのだけれど」

「え、ま、まあ、そうなんだけど」


 たしかに呪いなんて言葉を本気で口にしているのですから、その世界に関わりのない人にしてみれば、阿倍野さんの言うようにわたしと天道院さんは怪しい儀式を行う宗教団体の人間と大差はないでしょうし、実際にそのように見えるのでしょう。ただ、この場で唯一素っ裸になっている人間にだけは言われたくない言葉ですが。


「まあ、冗談はこれくらいにしておいて、そろそろ前に進むことにしようか。アベリンちゃんが風邪を引いちゃっても困るしね」


 そう言った天道院さんは玉座から立ち上がり、舞台に備え付けられている階段を降り、一糸まとわぬ姿になっている阿倍野さんの元へと歩きはじめました。阿倍野さんの前で立ち止まった天道院さんは着物の袖に手を入れて、中から煙草一本くらいのサイズの細いガラス管を取り出しました。コルクで栓がされているそのガラス管の中には透明な液体が入っています。


「アベリンちゃん。これを飲んでくれるかな?」

「なんですか、それは?」

「ただの水だよ。アルコールでも毒薬でもない。その辺の水道から誰でも簡単に採取できるものだよ」

「どうしてそんなものを飲むんですか?」

「決まりみたいなもんだよ。順序と言ってもいいかな。さっきも言ったけど、順序は大切なんだ。意味があるのは中身じゃない。順序ってわけ。結論が同じだとしても、それに至る順序が違えば、その価値はまるで違う。成果主義企業の社員みたいな結果論主義者には真っ向から反対される考えかも知れないけどね」


 天道院さんの説明に納得したのかどうかはわかりませんが、阿倍野さんはわずかに逡巡したあと、差し出されたガラス管を手に取り、コルクを抜き取って中身を口に注ぎ込みました。


「水、ですね」

「だから言ったじゃん。ただの水だって。ちなみに赤ちゃんが飲んでも安心の硬度五十ミリグラム未満」


 水。


 阿倍野さんが口にした水。それが本当に水なのかどうか、わたしにはわかりません。ただ、わたしが知る限り、天道院さんは相談者を診るときに必ず何かしらの食べ物や飲み物を与えているような気がします。このような場に立ち会うのは三回目なのですが、例外はありません。一回目の時は日本酒、二回目の時は金平糖、そして今回は水です。先ほど天道院さんが言っていたように、に意味はなく、に意味があるのでしょう。


「さてと。まずはじめに、これまでアベリンちゃんの口から語られたことのおさらいをしようか。時系列順に追うと、たしかアベリンちゃんにとってのターニングポイントはストーカーに襲われることだったっけな。お腹をぷすり。その傷のせいで父親からの愛情を失った」

「はい。そうです」

「で、その次だ。父親がアベリンちゃんに向けていた愛情は、妹ちゃんへと向かってしまう。それに嫉妬を覚えたアベリンちゃんは妹ちゃんをハルシオンで殺害、その結果、理不尽に殺された妹ちゃんに怨まれて呪いを受けて今に至る」

「はい」

「間違いない?」

「はい」

「本当に?」

「はい」

「本当の本当に?」

「はい」


 わずかな沈黙。そして。


「――嘘だね」


 唐突に、天道院さんはそう言いました。

 その声は、周囲の温度が下がったと感じてしまうほどの冷たい声です。


「どうして――、そう思うんですか?」


 突然、嘘つき呼ばわりされた阿倍野さんでしたが、彼女の表情に怒りは感じられませんでした。単純な疑問。それを相手に問いかけるような感じです。


「細かい理由はいろいろあるけど、それを全部話すのは面倒だから代表的なものを一つだけ話そう。アベリンちゃん。わたしがきみの証言に疑いを持ったのは、きみがここに来る前、つまり、そこにいるサクヤから連絡を受けた時からだよ」

「それはおかしくないですか? わたしはここへ来る前に、妹の殺害を三浦崎さんには話していないんですけど」

「まあ、そうなんだけどね。そんなことは関係がないんだよ。例えるならあれだよ、弁護士と依頼人の関係みたいなものかな。よく言うでしょ、依頼人は嘘を吐くって。この業界も同じなんだよ。わたしの元にやって来る人間は嘘つきばかりなんだ。これはわたしの経験が証明しているんだよね。だから、わたしはアベリンちゃんがここへ来る前から疑ってたってわけ。そして、疑いながら話を聞いているうちに、確信へと変わり、きみが嘘つきだと思ったわけ」

「酷い話ですね」

「そう。酷い話だよ。でもね、呪いを受ける人間っていうのは大抵、酷いことをしているもんなんだよ。だから別に酷い扱いをしてもいいんだ。いい人が嫉妬なんかで呪いを受けることもあるにはあるけど、その可能性は本当に低くて、レストランで注文したメニューと別のモノがテーブルに運ばれてくるくらいの確率だしね。結局、呪われる人間っていうのは、呪われるべくして呪われるんだよ。因果応報。呪いっていうのはね、別に悪ってわけじゃない」


 わたしは嘘を吐いていない。

 一言、そう言えばいいのに、阿倍野さんはその言葉を口にすることはありませんでした。黙って、天道院さんから視線を逸らし、拳を軽く握りしめているだけでした。


「これはね、わたしの勘なんだけど――」


 天道院さんが言います。


「もしかして、妹ちゃん以外にも、殺した人間がいるんじゃないのかい?」


 阿倍野さんは何も答えません。天道院さんと視線を合わそうともしません。その態度が、その雰囲気が、最もわかりやすい受け答えであるように感じました。そんな阿倍野さんに、天道院さんは続けて言います。


「例えば、そう――自分の本当の子供、とか」


 その言葉が合図となったかのように、


「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」


 阿倍野さんのうめき声が室内に響きました。膝から崩れ落ち、倒れそうになる身体を支えるために両手で地面をつきます。四つん這いの体勢になった阿倍野さんは苦痛に満ちた表情を浮かべていました。その痛みは身体的なものでもあったし、精神的なものでもあったと思います。


 ――注意書きが必要なほど身体から熱を発している。


 はじめて休日の学校の教室で阿倍野さんを見た時と同様、彼女は呪いにその身を蝕まれていました。


「――っ」


 わたしは言葉を失いました。真っ赤に変色した身体、その足の部分から炎が吹きあがってきます。まるで身体の中を蹂躙しつくした熱が、別の蹂躙場所を求めるかのように、溢れ出しているのです。


「わたしは、わたしは――っ」


 阿倍野さんが叫び声をあげます。


「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」


 ばたり。


 激しい苦痛のせいか、意識を失った阿倍野さんがとうとう地面に崩れ落ちました。足元から上がった炎はすでに全身へと広がっています。


「毎度ながら、来るときは突然なんだよねえ」


 人が一人、炎に包まれている状況だと言うのに、あくびでもしそうなほどのんびりとした口調で天道院さんは言いました。そんな天道院さんを見ているわたしの心にはざわついたものがありました。ただ、そのざわつきは、悲惨な状況を目の当たりにしたせいで悲痛な面持ちを宿している、というわけではありません。


 興奮。


 わたしの心のざわつきの正体はそれでした。趣味が悪いとしか言いようがありませんが、内から湧き出てくるその気持ちを否定することはできません。猫が鼠を追うように、草木が水を求めるように、それはわたしの根源に深く結び付いている、いや、ものでした。


「さてと、サクヤ。そろそろ準備をした方がいいんじゃいかな」

「わかりました」

「今回の触媒は?」

「丁度いいのがあるので、それを使います」


 わたしは炎に包まれている阿倍野さんに近づき、脱ぎ捨てられた制服と共に地面に置いてあった鞄の中に手を入れました。取り出したのは銃です。銃を握ったわたしは阿倍野さんから離れ、を待ちます。


「――来るよ」


 天道院さんがそう言った瞬間、阿倍野さんを包んでいた炎が柱状になって建物の天井付近まで立ち上り、とぐろを描いて上空を旋回し、再び阿倍野さんの元へ戻ってくると、誰かの手によって加工されるかのように人の形に変形し始めました。


 炎の魔女。

 白雪姫に登場するお妃。


 全長十メートル以上はあろうかという巨大な炎の魔女は、はじめて見る景色に戸惑っているかのように辺りを見回しています。


 呪いの擬人化。

 ここまでが天道院さんの仕事です。


「『神殺し』の出番だよ、サクヤ」

「はい」


 巨大な炎の魔女に、わたしは阿倍野さんの銃を向けます。鏡がないので正確に説明することはできないのですが、『神殺し』を発動する時のわたしは髪の毛が銀色に染まり、瞳は真紅の光を発しているらしいです。


 引き金に指をかけて。

 ゆっくりと力を入れます。


 放たれた弾丸。

 それは白い軌跡を描きながら巨大な魔女へと向かって行きました。

 

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