阿倍野リンは脱がされる

「白雪姫?」


 そう訊き返す阿倍野さんに、天道院さんは言います。

 にやり、と含み笑いを浮かべた表情で。


「そう。白雪姫。知ってるでしょ? 美しいけれどこころの醜いお妃に毒リンゴを食べさせられて死んでしまった白雪姫が、王子様のキスで目覚めて幸せに暮らす物語」

「それは知っています。有名なメルヘンですから。わたしが訊きたいのは――」

「わかってるって。白雪姫と呪いにどんな関係があるのかってことでしょ? まあ、落ち着いて。盛っている猫じゃあるまいし、ことを焦らないでちょうだいな。大丈夫、順に話していくから。順序ってのは何事においても大切なんだ。馬鹿にしちゃいけない。ストレッチをせずに試合に出たサッカー選手は怪我をするリスクが高まるのと同じで、アベリンちゃんの症状を診るのにも準備が必要なんだよ」


 阿倍野さんと同様、わたしにも白雪姫と呪いとの関係がいまいちわかりませんでした。呪いと関係がありそうな部分と言えば毒リンゴで白雪姫が死んでしまうということなのでしょうが、呪われている阿倍野さんは毒リンゴを食べたわけではなそうですし、死んですらいません。そもそも、白雪姫はハッピーエンドの物語。王子様のキスによって目覚めた白雪姫は、その後、王子様と結婚して幸せに暮らす――なんていう結末だったはずです。阿倍野さんが主人公であるとするならば、阿倍野さんに訪れる未来は明るいものであるのではないでしょうか。これから阿倍野さんの呪い――注意書きが必要なほど身体が熱くなって苦しんでしまう――をキスで解いてくれる王子様が現れるとでも言うのでしょうか。キスってどこに? まさか、足? 奴隷じゃあるまいし。考えれば考えるほど、意味がわかりません。


 疑問。反転。


 いやいやいや、ちょっと待ってください。もしかして―—、とわたしが思考を転回させようとしたとき、天道院さんは阿倍野さんに語り始めます。


「アベリンちゃん。幸か不幸か、まあ不幸なんだろうけど、きみは出会ってしまったんだよ、白雪姫の呪いに。呪いって言うのは、常にその辺を漂っているんだ。宿主を求めてね。で、今回、白雪姫の呪いはアベリンちゃんという宿主を見つけたわけだ。白雪姫の呪いにかかると、その人は白雪姫の物語で語られている何らかの現象をその身で体験することになる」

「出会うって……、そんな覚えはないんですけど」

「覚えなんてなくっても、出会ってしまってるんだから仕方がない。呪いってのはね、誰かの負の感情によって力を与えられて、それゆえに誰かを蝕むわけだけど、力を与えた方も蝕まれた方も、呪いを意識していないことが珍しくない。たとえば、アベリンちゃんがサクヤに対して負の気持ちを抱いていて、その結果、小さな呪いがサクヤに感染して体調を崩させるということがあるんだけど、この場合、二人とも呪いを意識していないと思われるわけよ。アベリンちゃんはサクヤを呪おうと思ったわけじゃないし、サクヤは呪われたから体調が悪くなったとは考えない。でも実際には、例え話だから細かい設定は省くけど、呪い学、まあ、そんなものがあるかどうかはわからないけど、とにかくその呪い学の観点で考えれば、サクヤはアベリンちゃんの負の感情によって体調が悪くなっているわけだよ。つまり、お互いに無意識だけれど、呪いは発生しているってわけだ」

「ただの風邪じゃないんですか?」

「ただの風邪だって、その原因は呪いってことがあるんだよ。風邪なんてものは元々原因がはっきりしないものだから特にね。医者が適当に診て風邪だって言えば、そうなるわけだし」」

「そうですか。じゃあ、知らないうちに呪いのせいで風邪を引いたという経験を経ているかもしれないということですね」

「そゆこと。特にアベリンちゃんのような女の子は」

「ええ」

「否定も謙遜もしないんだね」

「そんな必要ありませんから。世間的に見て、わたしは憧れの対象であるみたいですし、そのような人間は代償として恨みをかうものですから」

「なるのど。まあ、いいや。今は、アベリンちゃんの人間性は置いておいて、話を戻すことにしよう。呪いとの出会いの話だけど、そもそも呪いを視認することは普通の人間にはできないから、アベリンちゃんが呪いと出会ったと感じる方がおかしいんだよ」

「わたしの場合は、わたしを呪っている人物ははっきりしていますけど」

「もちろんそういう場合もある。明らかに呪いの儀式を行っているパターンだね。まあ、今回の件がそれに当てはまるかどうかはわからないけど。アベリンちゃんは妹ちゃんが怪しい儀式を行っている姿を見たわけじゃないんでしょ?」

「ええ。でも、妹がわたしを怨んでいることは間違いがないと思います。理不尽に殺されたわけですから」

「まあね」

「ところで、天道院さんには見えるんですか? わたしについている呪いが」

「見えないよ。まだ、ね」


 もちろんわたしにも見えません。まだ。


「さてと」


 玉座に腰をおろしている天道院さんが、自分の顎を指で撫でてから言います。


「白雪姫と呪いの関係を話す前に、まずは呪いというものが何なのかを説明しておこうと思うんだけど、それでいいかい?」

「はい」

「じゃあ、ちょっと説明しよう。まずは呪いの定義だ。呪いとは神秘的なものの力を借りて、対象者に災いを起こすこと。簡単に言えば、科学や医学で説明できないものが原因で、対象者が苦しむことになるってことだね。科学や医学で説明できないんだから、当然、病院に行ったって何の解決にもならない。せいぜい、精神科を薦められるだけ。こいつの頭はおかしいってね。まあ、昔は魔術だと思っていたものが科学で説明できる現代において、呪いの存在を信じること自体、たしかに頭がおかしいと思われても仕方がないのかもしれない。でも、呪いは実際に存在する。アベリンちゃんはそれを体感しているはずだ」

「はい。少し前のわたしだったら、間違いなく信じてはいなかったでしょうけど。こんなオカルト」


 そう言った阿倍野さんがチラリとわたしを見ました。

 不死身。

 銃で胸を打たれてもピンピンしている人間を目の当たりにしたことは、阿倍野さんに価値観の転回を促したのかもしれません。


「そう。まさしくオカルトだよ、呪いは。超自然現象。科学を重んじる人間には納得できない現象だ。でも、超自然現象とは言っても、それが起こることに論理がないわけじゃない。論理はちゃんとあるんだよ。原因と言い換えた方がわかりやすいかな」

「原因と結果、ですか。なんだかビジネス書のタイトルみたいですね」

「ビジネス書ってのはビジネスマン向けに書かれているわけじゃない。向上心のある人間に向けて書かれているからね。仕事の教科書じゃなくて、人生の教科書なんだよ。まあ、読み手次第ってことを付け加えなくちゃいけないけどね」


 論理の存在。

 呪われた人を前にして、天道院さんは必ずその言葉を口にします。

 まあ、わたしがそれを聞いたのは今回を含めて三回目なのですが。


「わたしが呪われた原因。それが妹を殺したことというわけですね。わたしを怨んだ妹がわたしに呪いをかけた。科学的に説明はできないですけど、オカルト的にはよくある展開ですね。それはまあ、わかります。で、白雪姫とわたしの呪いにどんな関係が? 話の流れから察するに、もちろんわたしと白雪姫にも因果関係があるんですよね?」


 もちろん、と言ってから天道院さんは阿倍野さんを見据えます。


「共感だよ」

「え?」

「似てるんだよ。アベリンちゃんは。まあ、似ていると言っても、白雪姫に似てるわけじゃない。毒リンゴを食べさせて白雪姫を殺したお妃にだよ。共感。それは呪いにとって、もっとも大切なものなんだ。特に物語系の呪いにはね」


 呪いにはいくつか種類があります。実際の事件系、伝承系、物語系などです。もちろんこの知識は、以前、天道院さんに教えてもらったものです。


「じゃあ、そろそろ白雪姫の呪いについて話そう。アベリンちゃん。本当の白雪姫の物語を知っているかい? 初版の、と言い換えた方がいいかな」

「はい」

「珍しいね。怖い方の白雪姫を知っているなんて」

「父が作家なので家には沢山の本があります。その中に怖い方のグリム童話もあるので」

「そっか。それは素晴らしい環境だ。読書はいいよ。最も有意義な暇つぶしだとわたしは常々思っているからね。知識を得る喜びは何事にも代えがたい。ところで、サクヤ。きみは本当の白雪姫を知ってるの?」

「いえ。ちょっと怖い内容ってくらいしか知りません」

「そっか。だったら少し説明しよう。本当の白雪姫。その物語の簡単なあらすじはこうだよ。ある日、夫と白雪姫の情事を目撃してしまったお妃が夫の愛を取り戻すために白雪姫を殺す計画を立て実行するが失敗、恨みを抱いた白雪姫にお妃は復讐されて殺されてしまう。こんな感じかな。子供たちが知っている王子様とのハッピーエンドとは程遠い物語だね。呪いにふさわしいバッドエンドだ。人が死んで終わってるんだからね。余談だけど、王子様はネクロフィリア、つまり死体愛好家なんて設定まであるし。どうだい? あらすじを聞く限り、アベリンちゃんと妹ちゃんとお父さんの関係に似ていると思わないかい?」

「たしかに似ていますね。でも、そんなあらすじの物語なら他にいくらでもありそうですけど。わたしの呪いが白雪姫だと断定するには、材料が乏しい気がします」

「まあね。でも、アベリンちゃんとお妃の共通点は他にもある。というか、これが最も重要なことなんだけど」

「何ですか?」

「アベリンちゃん。きみの身に呪いの症状が発生したとき、きみの身体は熱くなるんだよね? 特に脚が。それって、完全にお妃の死にざまなんだよ。白雪姫がお妃にした復讐。それは熱せられた鉄の靴を履かせることだったんだから。鉄の靴は中世ヨーロッパで盛んに行われた魔女裁判で用いられた拷問道具だよ。炭火で高温に熱せられた鉄の靴を履かされた人間は、自分の肉が焼ける匂いを嗅ぎながら力尽きるまで踊り続けて死ぬんだ」

「たしかにそんなシーンがありましたね。でも、わたしは踊ってはいませんけど」

「これから踊ることになるんだよ。症状が進めば、ね」


 阿倍野さんが息を飲んだ、ような気がしました。表情はクールなままなのですが、どこか不安気に見えたのです。まあ、無理もありません。これから踊り死ぬと宣告されれば、恐れが精神を蝕んでもおかしくはありません。


「本来の白雪姫、というか本来のグリム童話ってのはね、もともともの凄く怖い話なんだ。子供には絶対に読み聞かせできないレベルのね。まあ、それ故に改変されたわけだけど。わたしに言わせれば、グリム童話は呪いの本と言ってもいいくらいだよ」

「わたしは復讐に遭ったお妃の体験をさせられているわけですね。なるほど、わたしにはふさわしい呪いかもしれません。一人の男の愛を求めるために、娘に手をかけたお妃の気持ち、わたしには痛いほどわかりますから。共感、ですか。たしかにそれを否定はできませんね」

「共感も大事だけど、呪う側、つまり呪術者がその物語を知っていることも重要なんだよね。まったく呪術者の頭の中にない呪いが発生するわけじゃない。知らないことはできない、というのと同じことだよ。銃を知らなければ、銃で殺すなんて発想はできないわけ。だから、呪術者、アベリンちゃんが思うにそれは妹ちゃんなわけだけど、その妹ちゃんが本当の白雪姫を知っていたからこそ、アベリンちゃんは白雪姫の物語になぞらえられた呪いを受けたわけだ」


 阿倍野さんと妹のランさんは双子の姉妹。同じ環境で育ってきたのですから、ランさんが本当の白雪姫の物語を知っていてもおかしくはありません。


 話を整理しましょう。

 どうして阿倍野さんは呪われてしまったのか。

 A――妹のランさんを殺してしまったから。

 どうしてランさんを殺してしまったのか。

 A――父親の愛情がランさんへと向かってしまったから。

 どうして呪いの内容は白雪姫なのか。

 A――阿倍野さんとランさんと父親の関係がお妃と白雪姫と王の関係に似ているから。呪術者であるランさんが本当の白雪姫の物語を知っていたから。

 こんな感じでしょうか。


「アベリンちゃん。自分の身に起こっていることは理解できたかな?」

「ええ。信じられない事ですが、信じてみるしかなさそうですね」

「そう。まずは信じてみる。明らかに怪しげな話じゃない限り、そのスタンスは大切だよ」

「呪いの話は明らかに怪しいと思うのですが」

「たしかに、ね。まあ、その辺は気にしない気にしない。話は怪しいけど、話している人間は怪しくないと思うことにすればいいよ」


 阿倍野さんの眉が動きます。

 まあ、仕方がありません。


「天道院さん。わたしはこれからどうすればいいんですか? 呪いのことはわかりましたけど、わかっただけでは何の解決にもなりません。まさか、百万の治療がこれで終わりというわけではありませんよね?」

「もちろん終わりじゃないよ。本番はこれからだ」


 そう。本番はこれから――。


「アベリンちゃん。ちょっとやって欲しいことがあるんだけど」

「なんでしょう」


 無表情のまま訊き返す阿倍野さんに、天道院さんは口元を緩めながらこういいました。


「とりあえず、服を脱いでくれるかな?」


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