阿倍野リンは協力者と出会う

 三ケ月前のバレンタインデーの日。わたしこと三浦崎サクヤは神殺しという能力を与えられたわけですが、それと同時におまけ、いや、おまけなどという嬉しいようなものではなく、できれば貰いたくもない副作用というようなものをこの身に宿すことになりました。


 不死身。

 厳密に言えば、ほぼ不死身。

 それはつまり、わたしを殺す方法はしっかりとあるということ。


 今は西暦が始まったころに比べれば怪我や病気がずいぶん治せるようになった時代ですが、それでも不死身という権力者ならば一度は本気で手に入れようとする力をその身に宿す方法は、わたしが知る限り確率されていません。それにも関わらず、そんな力をわたしは偶然にも不覚にもこの身に宿してしまったというわけですが、それを幸であるか不幸であるかは、まあ今のところはっきりとはしません。良いとも言えるし、悪いとも言えるわけです。もちろん、その力をわたしに宿らせたのは、あの日、バレンタインデーの日にデパートのトイレで倒れていたTシャツとジーパン姿の女性です。今にも息絶えそうなほど苦しんでいる彼女が手を伸ばし、その最後の力を振り絞ってわたしの心臓をぐしゃりと握り潰したとき、神殺しとほぼ不死身という普通の人間として生きて行くにははた迷惑なだけの力が乗り移ったというわけでした。


 事故。

 事件。


 服や皮膚で隠されていますが、実を言うと、わたしの心臓は今でも潰れたままになっています。粘土で作り上げた心臓を片手で握り潰したような感じ、と言えば少しはわかりやすかもしれません。あるいはしぼんだ状態と表現してもいいでしょうか。一応、三カ月前よりは少しだけ膨らみを回復させているのですが、それでもまだ常人の心臓には程遠いものであると言えます。


 そんなふうに三ケ月前に心臓を潰されてしまったわたしですが、もちろんそんなの関係ないというように、心臓を潰された後すぐに元気一杯の姿で外を歩くことなどはできませんでした。意識不明の状態で生死を彷徨い、病院でいくら診てもらっても原因不明、そのような状態が一週間ほど続き、一向に回復の兆しを見せなかったわたしの状態を憂いた両親がとある噂を耳にして、神にもすがるような思いでその人の元を訪れることにより、わたしは何とか普通の人間っぽい状態に戻ることができたのです。


 ええ。

 あくまで、普通っぽい状態です。


 普通の人は拳銃で心臓を撃たれればすぐに死んでしまいます。それにもかわらず、阿倍野さんの銃で胸部を射抜かれたわたしが生きているのは、常人と比べて回復力のようなものがはるかに向上していることが原因でした。ここで回復力のようなものという曖昧な表現をしているのには理由があります。わたしがほぼ不死身なのは厳密に言えば回復力のおかげではなく、傷がなかったことになる、というはちゃめちゃな能力のおかげなのです。この身体が傷を受けた場合、その傷はリセットされるのです。例えるなら、紙に描いたキャラクターに間違えて傷をつけてしまった作者が、その傷を消しゴムで消すようなものなのです。


 形状弾性。


 専門家によれば、元の形に戻ろうとする性質、この身体にはそれが機能しているらしいのです。それを聞いた時には、わたしはゴム人間になってしまったのか、と思わず口に出してしまいました。まあ、専門家がくれた答はゴム人間などではなく、もっとひどいものだったのですが。


「天道院シノブ?」


 わたしがこれから会いに行く協力者の名前を教えると、阿倍野さんは眉を寄せました。


「天道院って、なんだか美少女アニメに出てきそうな苗字ね。お金持ちのお嬢様的な立ち位置で」

「まあ、本当に美少女のお金持ちだよ。あ、でも、年齢的には美少女というよりは美女だけど。たぶん、二十代後半から三十代前半くらいだと思うから」

「そう。ところで、あなたはいくつなの?」

「十六だけど」

「偏差値が?」

「年齢だよっ」


 わたしが阿倍野さんに拉致をされた次の日、わたしと阿倍野さんは放課後に学校の正門の前で待ち合わせをして駅に向かい、電車に揺られること一時間、夕方の五時半だというのにまったく人影のない郊外の駅に到着、駅まで迎えに来ていた車に乗り、目的地である天道院シノブさんが住んでいる屋敷へとやってきました。車を降りたわたしたちの目の前には巨大な門があります。高さ二十メートルほどのその門の上部には巨大な瓦屋根が二重についていて、その左右を高さ十メートルほどの瓦屋根の塀が伸び、ぐるりと敷地を囲っていました。鉄の扉は開いています。わたしたちが来ることを知っていたからででしょう。家主である天道院さんが門を開けておいてくれたみたいです。おじゃまします、という言葉を発することもなく、わたしと阿倍野さんは敷地内へと足を踏み入れました。


「今さらだけど」わたしは言います。「ボデーガードの人たちに車でここまで送ってもらった方がよかったかな? お父さん、心配してない?」

「大丈夫よ。一応、ボディーガードと一緒にいることになってるし」

「さようですか」

「それに、こんな得体の知れないところに来てるってことを知られる方が、まずいわよ。父はわたしがここへ来る理由を知りたがるだろうし。さすがのわたしでもその理由を上手く説明できる自信はないわ。自分ですら自分の状態がわかっていないのだから。ところで、ここはお寺なの?」


 阿倍野さんの問いに、わたしは首を振ります。


「違うよ。持ち主の趣味」

「仏教徒なわけ?」

「ううん。ただ、日本っぽい雰囲気が好きなだけだよ」

「気に入らないわね」

「え? 日本っぽい雰囲気が嫌いなの?」

「そうじゃなくて。偏差値十六の人間に偉そうに説明をされているこの状況が気に入らないの。屈辱だわ」

「いやいや、十六じゃないって」

「じゃあ、いくつよ?」

「ご、五十くらい」

「歳が?」

「偏差値だよっ」

「そう。まあ、どっちでもいいわ。ところで、天道院シノブって名前なのに日本っぽい雰囲気が好きってことは、その人、外国人だったりするのかしら」

「そうだったりする。まあ、どこの国の人なのかはわからないんだけど」

「国籍不明って、怪しいわね」

「不明なわけじゃないよ。知らないだけ」

「まだ十六だもの。仕方がないわよね」

「いやいや、天道院さんの国籍を知らないことに歳は関係ないと思うけど」

「偏差値の話をしているのよ」

「引っ張りすぎっ」


 わたしと阿倍野さんは森林に挟まれた石畳の上を歩いて行きます。等間隔に設置されている灯篭が石畳に影を作っていました。天道院さんが所有しているこの屋敷の総面積はドームが付いている野球場ほどの広さがあり、その中には居住場所である屋敷はもちろんのこと、図書館や運動場が完備されています。はじめてここを訪れたとき――厳密に言えば、はじめてここを訪れたとき、わたしの意識は混濁していたので、二回目ということになりますが――迷子になったわたしは、ここで働いている職員の方に怪しい人物だと疑われて屋敷に連行されるという不名誉な経験をしてしまったのですが、今はしっかりと道を覚えているので問題なく阿倍野さんをエスコートできるでしょう。


 天道院シノブ。


 わたしがバレンタインデーの日に心臓を潰されて意識不明の状態に陥ったとき、現代医療が匙を投げたわたしの身体を普通に生活ができるようになるまで回復させてくれたのは彼女でした。つまり、わたしにとっては命の恩人と言ってもおかしくはない存在。一晩泊めてもらい、食事をご馳走になるだけで生涯の恩義と考える世界があるくらいなので、命を助けてもらったとなれば一生どころか死んでからも恩を返さなくてはいけないのかもしれません。故に、天道院さんはわたしが母親の次くらいに感謝をしなければならない女性と言えるでしょう。まあ、今のわたしの状態が表現していいのかどうかは議論が必要かもしれませんけれど。


「ところで、三浦崎さん。わたしたちはあとどれくらい歩かなければならないのかしら?」

「五分、十分くらいかな」

「そう。それは困ったわ」

「どうして?」

「足が痛いのよ」

「ええっ。まさか、また――」

「違うわ。ただの運動不足よ。普段、ほとんど歩くということをしないから」

「そう言えば、阿倍野さんは車通学だもんね」

「別にしたくてしてるわけじゃないわよ。そうしろと言われているからしているだけ」


 阿倍野さんの車通学。それは同じ高校に通う生徒ならば誰でも知っていることでした。登校下校時刻になれば正門の前でお高そうな黒いSUV車に乗り降りする阿倍野さんを普通に見ることができるのですから。その様子が誰の目にも映るようになったのは六か月前のことです。阿倍野さんがストーカーに襲われたことが原因でした。


「ねえ、三浦崎さん」

「サクヤでいいよ。同級生だし」

「わかったわ。三浦崎さん」

「うう……」

「気にしないで。サクヤよりも三浦崎さんと呼ぶ方が語呂がいいだけだから」

「そうかなあ? 長くない?」

「あなたは、短い方が好きなの?」

「まあね。楽だし」

「なるほどね。『おちんちん』よりも『ちんぽ』がいいってことね」

「何で話がそっちにっ」

「花も恥じらう女子高生がする話題で、長い、短い、っていったら普通はそっちの話じゃないのかしら」

「淫乱かっ」

「淫乱よ」

「認めちゃってるよっ」

「あのね。わたしは淫乱だから綺麗だしモテるのよ。処女のあなたとは違って」


 まあ、たしかに阿倍野さんの意見には一理あるのかもしれません。男慣れしている女性には、男慣れしていない女性とは違う蠱惑的なオーラが身に纏っているものですから。


「でも、モテるのがいいとは限らないよ」

「わたしみたいにストーカーに襲われるから?」

「ま、まあ、そんなとこ……」

「そうね。あれだけは予想外だったわ。わたしは自分で自分のことを美人の類に入る人間だと思っているけれど、まさか自分が電車に乗るだけで狂人を生み出してしまうほどのレベルに達しているとは思わなかったから」

「自分で自分のことを美人って……」

「あら。問題あるかしら」

「別にないけど。ていうか、予想外ってそっち? 襲われることが予想外なんじゃないの?」

「ストーカーに襲われることなんて、美少女だったら誰でも想定していることじゃない。予想外でも何でもないわ」

「わたしにはわからないよ。その美少女思考のリスクマネジメントは」

「美少女になればわかるわ」

「簡単に言ってくれるね。なれるものならなりたいよ」

「大丈夫。お金さえ払えば誰でもなれるわ」

「いやいや、整形はちょっと」

「違うわよ。お金を出して男を買うの。みんなあなたを美少女だって言ってくれるわ」

「淫乱かっ」

「あら。別に身体の関係になれとは言っていないのだけれど」

「そ、そうだけど……」

「淫乱か」

「うわあああっ」

「淫乱か」

「やめてえええっ」


 淫乱に淫乱だと突っ込まれる仕打ち。恥ずかしすぎます。


「まあ、実際。あの事件さえなければ今とは違った生活が送れていたのに、と思わないことはないわ」

「車で登下校することはないから、運動不足にならずにすんだかもね」

「そうね。まあ、わたしが言いたいのはそんなことではないのだけれど」

「ん? どういうこと?」

「綺麗な身体でいられたのにってことよ。わたしのお腹には大きな傷が刻まれてしまったから」

「ああ……、そうだよね」

「おかげで半年間もご無沙汰よ」

「ご無沙汰?」

「セックスしてないってこと」

「淫乱かっ」


 ふふ、と妖艶に微笑む阿倍野さん。彼女はこんなふうに自分の身体に刻まれた傷を面白おかしくしゃべっていますが、それをそのまま面白話として受け入れてしまうほどわたしは馬鹿ではありません。女の子が身体に一生消えない傷を刻まれてしまったのです。その哀しみを想像すると胸が苦しくなってきます。毎日、着替えるときやお風呂に入るとき、阿倍野さんは自分のお腹に刻まれた傷を見ているのでしょう。そのたびに何を思うのか。想像するだけで同情の念が湧いてきます。


 いくつかの分かれ道を経て、ついに目的地である屋敷が見えてきました。門と同様、屋敷の見た目も完全にお寺スタイルです。左右には桜の木が植えられていて、春になると観光スポットとして紹介したいほど綺麗に屋敷を彩るのですが、今は五月、すでにただの木になり果てています。屋敷は三階建てで二階部分と三階部分に瓦屋根が仕切りのように設置され、二階部分の正面には石段が繋がっていて、そこを上りきったところに人が出入りする玄関があります。一階部分は外界と隔たれた密閉空間となっていて、必要時以外にはほとんど使用されない特別な部屋になっていました。


「ああ、そうだ」わたしは言います。「阿倍野さん。一応、確認してきたいんだけど、銃を持ってたりする?」

「もちろん持っているわよ」

「もちろんって……違法行為なんだけど、その自覚はないみたいだね。まあ、いいや。で、その銃なんだけど絶対に天道院さんに向けないでね」

「どうしてかしら?」

「危ないからに決まってるじゃんっ」

「銃口を向けたって死にはしないわよ」

「発砲しちゃうから、あなたはっ」

「記憶にないわね」

「政治家かっ。ていうか、どうして拳銃なんて持ち歩いてるわけ?」

「護身用よ。美少女のリスクマネジメント」

「警察に捕まるリスクは考えないんだ」

「命を失うよりはマシよ」


 おおげさな、とは言えませんでした。なぜなら、阿倍野さんは実際に命を落としそうになったことがあるのですから。


「でも、三浦崎さん。どうして銃の話をしたのかしら。いくら美少女のわたしでも、無闇やたらに銃を人に向けたりはしないわ」

「ああ、えっと、その……、天道院さんはちょっと変わってる人だから」

「変わってる? 顔に銃で撃ち殺してくださいって書いてあるとでも言うの?」

「そういうわけじゃないけど」

「はっきり言いなさいよ。これだから処女は面倒くさい」

「処女関係ないじゃんっ」

「関係あるわよ。入れづらいし、痛がるし」

「えっと、阿倍野さんって女の子だよね? 完全に意見が男の人のものなんだけど……」

「偏差値十六の頭だとわたしが男か女かもわからないのかしら」

「わかるよっ」

「そう。やっとわたしが男の娘だって理解してくれたのね」

「ええっ」

「わたし、ついてるのよ。おちんちん。じゃなくて、ちんぽ」

「何で言い直したのっ」

「あなた、ちんぽ派だって言ったじゃない」

「短い方がいいって言っただけっ。言うのが楽だからっ。ていうか、ついてないでしょっ」

「ついてないって、何が? そこのところ、詳しく教えてくれないかしら?」

「断るっ。そもそも、何でこんな話をしてるんだっけっ」

「あなたが天道院さんの人柄についてはっきりとしたことを言わなから、話がおちんぽしちゃったんじゃない」

「言いたいだけじゃんっ」


 そんなこんなでわたしたちは石段を上り、屋敷の玄関までやってきました。インターホンを押す前に、三メートルくらいある玄関の門が開きます。自動ドアではないので、室内からわたしたちの姿を確認して、門を開いたのでしょう。室内は毎度のことながら薄暗いです。照明が玄関からまっすぐ奥へと等間隔で並べられた灯篭だけなので当然です。左右に設置された灯篭が造り出す道の先には演劇ができそうな舞台があります。その舞台には玉座のように西洋風の椅子が設置されていて、


「やあ」


 天道院シノブさんがそこに座っていました。

 

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