終話
目覚めるといつも通りの無機質な天井だった。
寒さが際立つ。
そして左には座ったまま寝ている妻がいた。
彼女の左手は、俺の管のついた枯れた幹のような左手に繋がっていた。
変わらぬ妻の頬を無理に身体を動かし、そっとなぞる。
60年たとうと変わらない抜け具合いに、少し表情が和らいだ。
思えばあの時から何度救われたのだろうか。
そのくせ、先に逝く俺をどう思っているのだろう。
きっと、またいつもの笑顔で、大丈夫って言って無理をするのだろう。
馬鹿なことしかしてこなかった。唯一妻の事だけかもしれない。こんなにも真面目になったのは。
病室の引き戸が開いて担当医が来た。
いつもの定期検査だ。妻が起きないように唇に人差し指をあてる。
この病院の2代目だと言う彼は笑って、同じように人差し指を唇にあてた。
そして問題のないことを確認して、彼は出ていった。
少しして、1人の自分と同じくらいの齢の女が入ってきた。
「あらあら、久しぶりに会いに来てやったってのに大分死にかけじゃないか。」
「無茶言うな。俺だって病気にはなっちまう。」
「だらしないねえ。大学でたばっかりなのにすぐ結婚して、大切にしてたんじゃないのかい。」
「お前さんを結婚式に招待したのは間違いだったよ。」
彼女はドアにもたれかかった。少し音が大きかった。
真面目な顔をして、彼女はこう言った。
「いい加減その口調はやめてくれ。」
「別に意識してるわけじゃない。」
「ふん。もういいさ、私がここに来るのもこれで最後だ。これ、お前にだよ。じゃあな。」
「まだ死ぬなよ」
そう言って手紙を渡し、去っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
拝啓
桜が美しく咲いてまいりました。そちらはいかがでしょうか。恐らくこの手紙は最後の新庄夫妻との関わりとなることでしょう。
まずは謝罪をさせていただきます。忘れもしないお2人との最後の会話。あの時は申し訳ないと思っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「愛輝、、、?あのやろう今更何を、、、」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
死に際の貴方に一つだけ言い逃げさせていただきます。この事については私は謝るつもりは毛頭ございません。せいぜい、気まずくなってください。
私は、いや、ここで改まる必要は無いでしょう。
俺は唯が好きだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺は読み進めた。無言で、左手に繋がれた手をそっと握りながら。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さぞ驚いたろう。
俺は唯に相談されてたんだ。お前のことが好きなんだ、ってな。
俺とお前が出会う前だ。一目惚れだとよ。
分かるか?この悔しさと、辛さ、悲しさが。
まあそんなことはここで書いても書ききれない。
俺はな。それから自分の気持ちを押し殺したよ。唯は不器用ですぐ泣くくせに頑固だ。俺が自分の気持ちの伝えた所で気まずくなるだけだ。
だから、俺はお前に近づいた。運良く同じクラスになったからな。
最初は正直最悪だったよ。なんでこんな奴がって。
心のどこかでお前が振ることを願ってたけど、結局お前さんは唯に惚れやがった。
ここで、俺の可能性は0だったよ。
そうなるとは思ってたけど、覚えてるかな。唯がお前に惚れてることを伝える前に、唯が泣いてた時のこと。あの時大袈裟かもしれないけど、もう俺じゃダメなんだって思ってさ。
だから、半ばヤケクソでお前に言ったんだ。
でも、ヤケクソではあったけど、お前ならとは思えたよ。イイヤツだった。
それで、長くなったけど、最後の言葉だけど、ここまで来たら分かると思うんだよね。お前なら。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
気づくと妻は起きていた。とてもオロオロしている。どうやら俺は泣いていたらしい。
最後まで読んだ俺は妻に手紙を渡す。
読んでいた彼女は驚き、戸惑い、泣いていた。
見せるべきじゃないのかもしれないけど。
俺は見せた。
「いい加減、出てこいよ。言い逃げしたのは清水、お前の元カノだけだろ?」
すると、ドアが開いた。やはり先ほどの少し大きな音はこいつのせいか、いやそれは無さそうだ。俺の気のせいだろう。
「まあまあ、そういうのもまた一興だろ?できれば俺には気づかないで欲しかったんだけど、ほら、そこにも書いたでしょ。最後の関わりだって。」
「こんな時まで冗談かよ。これどういう事だ。」
「愛ちゃんなんで、、、?」
唯は泣きながら手紙を見ていた。
愁も泣きながらこちらを見ていた。
彼は、愛輝は真面目な顔で言った。
「まんまだよ。」
「すまない。お前の気も知らないで俺はぬけぬけと、、、。」
「謝るなよ。俺は選ばれなかっただけよ。どこにでもある、残念な脇役の青春さ。」
「愛ちゃん、私、どうしたら、、、。」
「何も言うな、俺を惨めにさせないでくれよ。頼む。」
その時、扉が再び開いた。
「はいはい。辛気臭いのはそこまで。死にかけのジジイに何をさせてんの。唯さん。ふつうはジジイのせいで辛気臭いなるもんでしょ。」
「すいませんね。清水先生。」
「今は結婚して名字変わったんだけど、まあいいよ。元カレの友達に免じて許してあげる。」
そうしてこの病院の1代目にして、愛輝の元カノは脈だけ測って帰って行った。
「なあ、忌々しい最後の言葉、お前さん、覚えてるかい愁。」
「んなもん、忘れた。」
愛輝は少し驚いてこっちを向いた。
そして、言ってやる。
「優しい、最後の言葉なら覚えてるぜ。」
「お前もあの時の言葉、覚えてるだろ。」
唯に尋ねる。
「私もあの優しさに溢れた言葉しか知らない。」
「だから最後に言わせろ、愛輝。」
そして、あの言葉を言った。
彼は泣いた。
彼は笑った。
彼は
彼は死んでいた。
清水さんと別れて、しばらくした後楓と付き合い、結婚前で交通事故で亡くなった。
多分唯には見えてない。
皮肉にも死にかけのジジイだからかもしれない。
ありがとう。あばよ。もうすぐ会えるぜ。
お前の最後の言葉守れそうにねえわ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「唯、てめえのことなんか好きじゃねえよ。2人で仲良く衰弱して死ね」
馬鹿なお前さんのために訳してやるよ。
「唯、てめえのことなんか好きじゃねえよ。愛してた。2人でずっと衰弱で死ぬまで仲良くしやがれ。」
敬具
高校3年春の、橘 愛輝より。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます