第7話

 六月も半ばを過ぎたある日。外は大雨が降っている。

 あいにくの天気でも、部活大好き山田優子女史はテンションを下げない。廊下の隅っこで柔軟や体力づくりができるからだそうだ。たまには前のように黒木と三人で、寄り道して帰りたいものだけどな。

 その黒木は本当に珍しく、遅刻をした俺よりもさらに遅い時間に登校した。普段は歩いて学校に来ているけれど、今日は雨がひどいのでバスで来たらしい。乗るバスを一本逃してしまったことと、渋滞が遅刻の原因だそうだ。運がない。

 心なしかうなだれている黒木のもとに、優子とほか何人か近寄ってひそひそ話をしている。遅刻なら俺もしょっちゅうしているので、もっとチヤホヤしてもいいんだぞ。黒木ばっかりずるいじゃないか。


 学校生活の中でも数少ない楽しみ、昼食タイム。しかも俺はその楽しみを一日で二回も享受できる。そろそろ本気でなにか黒木に恩返しを考えないとばちがあたるな。勉強なんて教えれないし、またなにか甘いものでもご馳走しようか。優子がオプションとしてついてくるなら気楽なところだけど、二人きりで誘うのはさすがに緊張するぜ。

 しかし、今日は地母神エリカさまの素敵なお弁当は、俺の口に入らなかった。黒木は優子たちに囲まれて女同士でメシを食っており、俺のほうには見向きもしない。もちろん、意地汚いやつだと軽蔑されてはかなわないので、こっちからねだったりもできない。俺は足りない分の腹を、購買で買ったパンで埋めた。食い物に贅沢は言わない主義の俺でも、やはり黒木の弁当と購買の100円パンでは差を感じてしまうなあ。胃も舌も心もさびしいぜ。


「あー、黒木。よかったら今度の休み、遊びにでも行かないか。神社でお祭りもあるし。こっちに越してきてから、夏祭りとかはじめてだろ」


 生徒玄関で黒木を呼び止めて、俺は懸命に冷静を装いながらデートに誘った。誰も見ていないことは確認済みだ。それでもやっぱ恥ずかしい。


「こ、今度の休みでありますか……。ええと、その日は多分予定が入っておりまして。もうしわけないのですが、お約束できませんです。そ、それでは今日は急いで帰らなければなりませんので」


 ギャフン。

 パタパタと靴を鳴らして帰る黒木の背中を目で追い、俺は呆然と立ち尽くしていた。

 しかも、なんか微妙に避けられてるっぽい反応? うーん、なにがまずかったんだ。鼻毛でも出てたかな。


「あ、健太!」


 でかい声で優子に呼ばれる。なんだこいつ、どこからわいて出た。まさか見てたんじゃねえだろうな。Tシャツに着替えてるってことは、これから部活か。


「今、黒木さんがいたでしょ? なに話してたの!」

「遊びに誘ったけど、断られた。頭の中でベートーベンが鳴りっぱなしだ」

「このっ、単細胞のバカ男! あんたなにも気づいてないの?」


 いい角度で優子のローキックが俺の膝を直撃する。俺じゃなきゃ1ラウンドKOだぜ、この打撃。


「今のは痛かったぞー! それより、なにに気づいてないって?」

「黒木さんの上履きよ。教室に来たとき、マジックで真っ黒だったじゃない」


 本当かよ、そりゃ全然気づかんかった。 


「下駄箱を空けたら、誰かにイタズラ書きされてたんだって。書かれた文字を消す時間もないから、仕方なく自分で黒く塗ったのよ。だから遅刻したって言ってたわ」

「黒木が遅刻するなんて変だと思った。しかし暗いやつもいるもんだ。黒木のなにが気に食わなくてそんなことをするんだろうな」


 あんないい子はいないのに。とは恥ずかしいので言わない。


「あんた、全部言わないとわからないの? そこまでバカだとは思わなかったわ。健太と黒木さんが最近いい感じだから、やっかみで狙われたんでしょうが!」

「ええ? んなバカな。ウザがられるほどイチャついてないだろ。そもそも付き合ってすらいないし、まだ」


 いずれは、その、なんだ、ごにょごにょ。


「世界の七不思議だけど、健太、意外ともてるからね。……この際だから言っちゃうけど、アタシも前にあったわよ。佐々木くんから離れろとか、そういう呪いの手紙みたいなのが」


 勝手にコンビ扱いしないでほしいもんだ、まったく。俺に失礼だ。


「お前はツラの皮も厚いから、気にしねえだろ。黒木はデリケートっぽいから心配だなあ」

「誰のなにが厚いって? とにかく、黒木さんのことはしばらくそっとしときなさいよ。変なイジメにならないよう、アタシたちも気をつけてるから。多分、よそのクラスの誰かがやったんでしょうね」


 優子は優子なりに、クラスメイトが受けた不条理な屈辱に憤りを感じているらしい。最近、黒木とも仲いいしな。こいつが友だちに頼られる理由ってのがなんかわかる気がする。昔から変な正義感が強かったし。



 俺は家に帰り、連絡網で黒木の電話番号を調べた。電話なら大丈夫だろう。優子の話では、黒木は携帯を持っていないらしい。いまどき珍しいけれど、俺も携帯を持ち歩かないで、部屋に置きっぱなしのことが多いからな。べ、別に友達がいないわけじゃないんだからねっ!

 家にかけるってのは、さすがに緊張する。しかも相手は女の子なわけで。勝手な想像だと、黒木の親御さんは古風で厳しそうだ。黒木を見ているとそんな気がする。

 結局その日は踏ん切りがつかず、電話をかけなかった。われながら情けない。



 そして次の日、黒木は学校を休んでしまう。体調不良だと先生は言っていた。このタイミングでそんなこと言われても。

 俺はその日の授業がまったく頭に入らなかった。いや、それはいつものことか。落ち着かない気分のまま猛ダッシュで家に帰り、散らかった部屋の中で携帯を探す。なかなか見つからなくてムカついてくる。誰だよ、こんなに散らかしたやつ。

 やっと見つかると、やはり緊張が押し寄せてきた。ええい、なるようになる。ピ、ポ、パ。


『もしもし、黒木であります。どちらさまでございましょうか』

「あ、僕、エリカさんのクラスメイトで佐々木というものです。エリカさんはご在宅であらせられますでしょうか」


 緊張しすぎだ俺。なんか黒木口調が混じって変になってるぞ。ん、電話に出たのは本人か?


『さ、佐々木さん! あの、すみません、家に電話はまずいのであります』


 あうあう。どうなってるんだ。とうとう嫌われてしまったのか俺は。なんか泣きそう。


「そ、そうか、ごめん。優子に話を聞いちゃったからさ、心配だったんだ。迷惑なら切るよ」

『あ、いつぞやの公園にこれから向かいます、お話はそこで! お電話ありがとうなのです』


 慌てるように電話を切る音がした。やはり黒木の家は男女交際に関して厳しいような家庭なのだろうか。 

 いつぞやの公園。それはひょっとして、俺が黒木に咬まれ、血を吸われたあの公園か。

 あの日の記憶が徐々によみがえる。それにつれて、俺の体中が無性に熱くなり、鼓動が激しくなっているのがわかった。

 恐怖? いや、違う。なにかを期待しているのか、俺は……。なんだろう。



(第8話に続く)

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