第6話

 六月になった。夏の足音が聞こえる前に、ひどい湿気が大地に襲い掛かる。梅雨本番だ。


「健太、ネクタイちゃんと結びなさいよ。今週は身だしなみ強化週間なんだからねっ」


 そんなくだらないことを、誰がいちいち考えているんだろうな? 学校って施設はよほどの暇人が集まっていると見える。

 晴れていても曇っていても、優子のテンションが変わらないのは単純に感心する。背中を開いたら超小型原子力エネルギー炉でも見つかるんじゃないか。十万馬力くらいの。

 遅刻ぎりぎりの俺が教室に入ると同時に、かばんを担いだ黒木も廊下から現れた。珍しいこともある。


「よう、今日は遅いんだな。慣れてきたから気が緩んだか。こっちの水は甘いぜ」


 俺は笑いながら駄目人間の泉に黒木を誘惑する。遅刻仲間が増えれば、俺ばかりがうるさく言われることもない。

 黒木に奇妙な謝罪と告白を受けてから半月以上が経った。俺としては、そこそこ気安い関係に打ち解けたと思っている。朝と帰りの挨拶も欠かさないし。


「お、おはようございます佐々木さん。今日もいい天気なのでありますね」

「いや、めちゃくちゃ曇ってるし、不快指数の俺的メーターは振り切ってるけどな……」


 黒木の発言は時折、意味不明にずれていて面白い。

 正直なところを言えば、俺は黒木を好きになりかけているんだろう。

 春の夕日に染まる河原をボケーっと見ていた黒木の姿。あのとき、彼女に呼び止められ、同じ景色を見て話をした。それ以来、なにか妙な親近感が俺の中に沸いている。

 毎日会って言葉を交わすうち、黒木は変わりものというだけでなく、まじめで繊細な女の子だと言うこともわかった。ときには、周りに気を遣いすぎじゃないのかと思うほどだ。

 特に、クラスメイトの体調に関してはエスパー並みに敏感だった。朝礼などで貧血気味の生徒を発見すると、すぐに気づいて近寄り心配する。優子に聞くところでは、生理通の重い女子に、痛み止めは何を使ったらいいかと言うアドバイスをしていることもあるそうだ。病院暮らしが長かったせいで、健康管理には人一倍デリケートなのだろうか。



 午前の授業が終わった昼休み。俺はそろそろ本気で、母さんに弁当増量の訴えを起こそうと思っていた。今日の弁当も昼になる前に食ってしまったのだ。長い昼休憩の間、周りのクラスメイトが美味そうにメシを食っているのを見ると切なくなる。


「佐々木さん、お弁当が足りないのでありますか?」

「さすが黒木、的確な分析だ。腹をごまかすために水でもがぶ飲みしようかと思っていたところだよ。小遣いはあさってだから購買で買う金もないしな」 

「夏が近づくにつれて汗をたくさんかくようになるのであります。水ばかり飲んでも、体の塩分が足りなくなってしまうのですよ」


 保健体育の先生も言ってたな。水やお茶じゃなくスポーツドリンクを飲めって。もしくは塩の錠剤。


「そうだな、夏バテしないためにも塩っ辛いおかずでメシをガツガツと食いたいもんだ。しかし、俺の弁当箱は手品のように空っぽになっちまった。いつの間に食ったんだか」

「梅雨どきでジメジメしているのに、食欲が落ちないのは頼もしい限りでありますね。よろしければこれをお食べください」


 そう言って黒木は俺の机に、なんだかかわいらしい弁当箱を置いた。心なしか頬を染めて、誇らしげな笑みを浮かべている。


「え、いや、さすがに人の弁当は奪えねえよ。黒木もちゃんと食べなきゃ駄目だ。でっかくなりたいんだろ」


 優子のように、あちこち無駄にでかくなって可愛げがなくなるのは想像したくないけど。


「私のぶんはちゃんとあるのです。今日はお弁当を二つ作っていたので、来る時間がぎりぎりになってしまったのであります」

「なんてこった、天使って実在するんだな。本当に食っていいのか?」

「はい、遠慮なくどうぞなのです。それと、天使は冗談にしても言いすぎなのです」

「ありがとう。黒木は命の恩人だ。天使がいやならこれから地母神エリカさまと呼ぶよ」


 黒木が作ってくれた弁当は、和風のおかずが敷き詰められた小型の幕の内弁当と言ったおもむきだった。食べていて日本人の魂が共鳴する、そんな温かく懐かしい味だ。派手さはないものの、こんなメシなら毎日飽きずに食べられる。まあ俺はどんなものでも、食卓に乗ってる限り、おかまいなしで食っちまうんだけどな。


「いい食べっぷりなのであります。がんばって作った甲斐があるのです」


 前言を微妙に修正する必要がある。俺はかなり明確に黒木を好きになっているな。餌付けされたからじゃないぜ、多分……。


「黒木さん、あんまり健太を甘やかさないでよ。ただでさえ頭のネジは緩みっぱなしなんだから。ほら見てよ、お腹がいっぱいになったからって、この幸せそうな間抜けヅラ。考え事とか悩みとかないのかしらね、とても思春期の学生とは思えないわ」

「うるせー乳牛。しぼって出荷するぞ」


 黒木の弁当を食べ終え、余韻を楽しんでいる俺を優子がののしる。黒木が地母神ならお前は鬼女だっつうの。満腹で頭が回らないので、言い返す文句も低レベルなのが悲しい。



 毎日ではないものの、黒木はたまに弁当を作って来てくれるようになった。内容は和食が中心で、いつも食っている母さんの弁当とは、やはり味の傾向が違うからか食べていて楽しい。

 そんな俺を優子だけでなく、他の同級生も冷やかしたりからかったりするようになった。俺はいつしか象さんと言うあだ名になり、優子が調教師で黒木は餌付け係にされた。人呼んで山田大サーカス。俺もせめて人間扱いしてくれよと思う。

 そんなくすぐったい毎日が、いつまでも続けばいいなと俺は思っていたんだ。



(第7話に続く)

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