第5話

 中間試験がめでたく終わった。いや、めでたくない。俺の結果は下の上といったところで、三つの教科で赤点を食らった。ちくしょう、優子がノートを貸してくれなかったからだ。


「毎日、当たり前に授業を聞いてたら赤点なんて取らないわよ」


 できる人間の理屈を振りかざし、優子は部活へ向かった。ちなみにあいつの成績はクラスで一番いい。存在自体がイヤミだ。張り出した胸の中には二番目、三番目の脳が内蔵されているに違いない。

 教科書がお友だちみたいな黒木も、それに見合った点数を取って無事にテストを乗り切ったようだ。結局のところ、補習を受けている中に気心の知れた面子は少ない。全クラスの赤点戦士たちが一同に集められ、本番のテストよりも細かい字が並べられたプリントを配布されている。


「よう、遅刻大魔王は期待どおりに赤点か」


 失礼な物言いとともに、どこかで見た顔の男子が俺の隣に座って補習を受けた。ああ、便所掃除のときに一緒だったやつか。こいつも俺と同じくらいの遅刻魔で、しかも掃除のとき、やけに優子のことを聞いてきた覚えがある。


「なにかの間違いだと思いたいけどな。おい、デカイ声で『俺の価値は紙切れなんかで判断できねえんだよ!』って叫んでみてくれ。赤点野郎がそんなこと言うのはちょっと美味しいぜ」

「そんなカビの生えたネタはいらねえよ。それにしても山田さんすげえな。美人で明るい上に、成績もいいんだ」

「おまけに、100メートルを13秒前後で走るし胸はEカップらしいぞ。まだまだ育ってるそうだ。そのうち、牛にでもなるんじゃねえか。牛って意外と速いからな、走ると」


 これを優子に面と向かって言ったことがある。キックとパンチの雨あられが俺に降り注いだのは言うまでもない。


「いいよなあ、小学校のころから山田さんと一緒だっけ? あんな幼馴染、マジ最高だろ」


 補習のあいだ、そいつはずっと優子の話ばかりして、俺まで先生に怒られた。なんだってんだまったく。



 学校の前には河川敷と土手がある。俺はいつもそこを通って橋を渡り、商店街を抜けて帰っている。距離にして1キロちょっと。今の学校を選んだのも、俺の家から一番近い高校だったからだ。

 学校の行き帰りに時間がかからなければ、空いた時間を好きなことに使える。今は寝てばっかりだけどそのうちバイトもしたいし、バイト代でギターも欲しい。よく晴れた休日の河川敷でギターをかき鳴らし、日が暮れたら帰って寝る。俺はそんな時間の過ごし方を素敵だと思う性格なのだ。おい、そこで笑ってるやつ、表に出ろ。勝負するかコラ。


「あ、補習は終わったのでありますね。お疲れ様でした、佐々木さん」

「黒木、またここにいたのか。地べたに座ってるとケツが冷えるぜ」


 夕方の河川敷を愛する同志がもう一人いた。俺はいつの間にか、さん付けで呼ぶのもやめている。


「さっきまで、山田さんの部活を遠くから眺めていたのでありますが、足が速いのですね。男の子にも勝っていたのであります。すごいのです」

「まあ、元気以外に取り得ないだろうからな、あいつ」

「そんなことないのであります。クラスの皆さんからも信頼されていますし、魅力的な方なのですよ。元気と言えば、佐々木さんも体力には自信がありそうに思えます。運動部には入らないのでありますか?」


 黒木も山田優子ファンクラブの一員か。スペックだけ見ると優子は破格だから無理もない。


「体を動かすのは好きだけど、俺みたいなやつが体育会系の輪に入れないだろ。周りの人間に迷惑がかかるぜ」

「そうですか、もったいないのでありますね。ですが、佐々木さんらしいご意見です」

「それにバイトもしたいからな。早く誕生日が来てほしいぜ。どんなバイトも16歳以上が条件だし」

「アルバイトでありますか。過労や睡眠不足にはくれぐれもお気をつけください」

「ありがと。そっちこそ大丈夫なのか、体の調子」

「あ、はい、今のところは……。いえ、もう大丈夫なのであります! 二度とご迷惑はおかけしないと誓ったのであります!」


 本当に大丈夫なんだろうか。無理をしていなければいいけど。


「あんまり思いつめんなよ。相談には乗るし、気晴らしだったら付き合うぜ」


 黒木から聞いた話。こいつは中学まで、体質のこともあって入退院を繰り返していた。そのため友達ができにくく、またせっかくできたと思っても体質のことが知られ、気味悪がられてしまうことが多かったそうだ。

 血を欲しがると言う発作さえ出なければ、普通の学校生活が送れる。その思いとともに新しい街へ移り、普通の高校に入れるように必死で勉強の遅れを取り戻した。

 受験に合格したことで緊張の糸が切れたのか、新しい環境にストレスを感じたのかはわからない。しかし公園で俺に咬みついたのも、ずいぶん久しぶりに起こった発作だそうだ。我慢できないほどに俺が美味そうに見えたのだろうか。光栄と言っていいのか複雑な心境だ。


「佐々木さんは、親切で穏やかな心を持った素敵な人でありますね。ちょっと怖い人かもしれないと誤解していました。いつも遅刻してらっしゃいますし。でも、しっかりものの山田さんとお似合いの名コンビであります」

「いやいや、単なる腐れ縁だよ。勝手にコンビにしないでくれ」 

「そうなのでありますか? 僭越ながら、私の観察によりますとうちのクラスが和気藹々とまとまっているのは、クラスの男子で一番強そうな印象の佐々木さんでさえも、山田さんには頭が上がらないという絶妙なパワーバランスのなせるわざであります。山田さんを中心として、うちのクラスには強固な安定が保たれているものと思われるでありますよ」


 教科書ばかり読んでいると思いきや、そんなくだらないことを観察していたのかこいつは。なんにしてもいちいち分析するのが好きなやつだな。

 それか、黒木にとっては普通の学校生活というのが、楽しくて新鮮でたまらないのかもしれない。黒木は地味だしちょっと浮いているけれど、それでもいじめられたりハブられている感じはない。優子も積極的に話しかけているようだし、根がまじめだから先生の受けもいいようだ。ただでさえ、なんかちっこくて庇護欲をくすぐられるタイプだしな。

 

 俺と黒木は少しばかりの世間話をして家に帰った。補習で隣に座ったやつと同様、やたらに俺と優子をコンビ扱いしているやつが多いのは閉口だ。優子みたいな口うるさい女に四六時中、突っ込みを入れられていたら、いくら俺がタフでもそのうちうんざりするってのに。



(第6話に続く)

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