第4話

 次の日。俺は始業時間に間に合うように家を出た。朝メシを急いでかきこんだから、食った気が全然しない。


「あら、珍しいじゃない。いつもこうだといいんだけどね」


 途中で優子に会う。朝一番の恒例となりつつある、こいつのイヤミは遅れても間に合っても聞かされる羽目になるのか。いつになったらこいつのツンがデレに変わることやら。


「毎日毎日トイレ掃除を押し付けられても飽きるからな。ところでお前、黒木さんとしゃべったりする?」

「黒木さんと? うーん、あんまり。そういえばあの子、休み時間とかもわりと一人でいることが多いわね。なによ健太、黒木さんのことが気になるの? メガネっ娘萌えだったんだ」

「アホか。優子は脊髄反射の単純思考だから、悩みなんてなさそうでいいなあ」

「食欲と睡眠欲しか頭にないあんたに言われたくないわよ!」


 たまにこっちからイヤミを返すと怒りやがる。自分勝手な女だ。黒木の律儀さを分けてもらうといいんじゃないかな、こいつは。

 それでも、天性のおせっかいである優子の協力があれば、黒木が学校で孤立することも減るだろう。不思議なことに、優子は女子にも男子にも人気がある。口やかましくて胸がでかいだけの女なんだけどなあ。まあ、その二つの属性で簡単にだまされちまう、純朴な青少年が多いと言うのも確かなんだろうけど。


 

「おっす。調子はどうだい」


 教室に入った俺は黒木の席に寄って、教科書に蛍光ペンで印を入れてる彼女に挨拶した。軽く驚いた顔の黒木は、それでも笑顔に変わって応えてくれた。


「順調なのであります。昨日はありがとうございました」

「そいつはなによりだ、無理すんなよ」


 珍しく俺が朝早く教室に来たからか、もしくはいつも一人きりで教科書とにらめっこをしている黒木がクラスメイトと会話しているからか、変な注目を浴びている気がする。

 朝のホームルームが始まり、もうすぐ中間試験だから部活動はありませんなどと先生が言っている。部活に入っていない俺には関係ないけれど、残念ながら試験そのものには無関係を決め込むわけには行かない。誰か、人間の価値はペーパーテストで測れるようなものじゃない! とか叫んでくれないかね。そこそこ受けると思うぞ、このタイミングだと。

 続く授業の大半も、試験範囲の確認だった。普段から板書なんてしていない俺は、あとで優子にでもノートを借りてコピーするとしよう。高校一年の開始一ヶ月でいっぱいいっぱいになってる俺って、軽く将来とかヤバいんじゃないだろうか。

 俺がそんな憂鬱に負けないようにか、母さんが用意してくれた今日の弁当は大好物のトンカツだった。大好物なので、当然昼休みまでなんて待てない。三時間目が終わったときにマッハで食ってしまう。五時間目は体育だったせいもあって、帰るころにはすっかり空腹になっていた。一日に三度の食事では、俺の体はもたないようだ。



 学校帰りで購買に寄ってみても、飲み物以外はなにも残っていない。


「優子、部活休みだろ。ラーメンでも食って帰らねえ?」

「はあ? 今からラーメンなんて食べたら、晩ご飯が食べられなくなっちゃうじゃない」

「俺はラーメンを食った直後にカレーを食えるけどな。牛丼の特盛りをおかずにして牛丼の特盛りを食ったりするときもあるぜ」

「あんたみたいな化け物と一緒にしないでよ。その栄養が少しでも頭に回ればいいのに」

「お前はよくしゃべる口とおっぱいにしか栄養が届いてないじゃねえか」


 生徒玄関でそんなアホな話をしている俺たちを、少し離れたところから黒木が見ている。


「恥ずかしいわね、健太の食欲に黒木さんも呆れてるじゃない。あ、黒木さん、アタシはこんなバカと同類じゃないから誤解しないでね」

「お、お二人はこれから寄り道して、お食事に行くのでありますか?」


 黒木が俺と優子を交互に見て尋ねた。誘ってみようか。どうしようか。


「俺はそのつもりなんだけどね。こいつはなにを気取ってるのか、そんなにたくさん食べれない~、なんて言いやがるから。家に帰れば、炊飯ジャーを抱えてしゃもじでメシを食ってるくせに」

「勝手にあんたの同類にすんな! アタシはどこのフードファイターだっての!」


 優子も女子にしては背が高いほうで、その優子より俺はさらに15センチはでかい。黒木はちっこいから、並んで立つと携帯のアンテナ感度みたいな図に見えてるだろうな。


「私も、ご一緒してはいけないでしょうか。私は背も低いし、体つきも貧相でありますので、お二人のようにご立派に成長なさっている方がうらやましいであります。たくさん食べて大きくなりたいと思うのです」


 小さいのは小さいので需要があると思うけれど、そんなことを言うと失礼かもしれないので言わない。


「ほら優子、黒木さんも行くってよ。クラス委員としては人心掌握の一環として、放課後の付き合いも大事じゃねえのか」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。ドラマに出てくる、いけ好かない管理職じゃあるまいし」


 掛け合い漫才をしている俺と優子を見て、黒木はクスクスと笑っている。この程度で受けてくれるんだからいい視聴者だ。

 まだ数回しか見たことはないけれど、はにかむような黒木の笑顔はいい。人をほっとさせるわびさびがある。将来は魅力的な大和撫子に成長するだろう。


「私、学校帰りにクラスメイトと寄り道や買い食いをするのが夢だったのであります。それがかなってうれしいのです」


 確かに友だちを作るのが上手そうなタイプには見えない。そういうことならと、ラーメン屋は却下して寄り道の定番である喫茶店に行くことにした。



 店に入って気づいた。俺は今、タイプの違う二人の女の子にはさまれて放課後を過ごしていることに。黒木は変わりものだし、優子を今さら女扱いなんざしてないから、まったくそんな意識はなかったぜ。

 意識して緊張すると余計に腹が減る。優子と黒木がハーフサイズのパフェをつついている間、俺はハムサラダとナポリタンとミックスサンドを平らげていた。


「今日の夕メシなんだろうな。弁当がトンカツだったから夜は魚がいいなあ」


 一通り食い終わって、紅茶の氷を噛み砕きながら俺は呟く。


「あんたは、それだけ食ってもまだ食べ物のことを考えるのか!」

「喫茶店のメシは量が中途半端だからよ。黒木さん、やっぱ俺、食いすぎかね」


 黒木はパフェの容器についたチョコクリームをスプーンですくいながら、幸せそうな顔でそれを口に運んでいる。


「確かに驚くべき健啖家でありますね。それでも太っているわけではないので、適正な量だと思いますです。身長180センチ、体重は73キロほどで体脂肪率は10から12%ほど、というところではありませんか。筋肉の量が多くてがっしりとした体つきをしているとお見受けします。好き嫌いせずに、バランスよく栄養を摂取しているのがいいのだと思いますですよ」


 俺と優子は、黒木の発言を受けてぽかんと口をあけた。


「な、なんでそんなことわかるんだ? ほとんど正解だぜ」

「あ、それはですね、私は目測が得意なのであります。ご要望があれば山田さんの身長や体重も、若干の誤差はありますが、あてることができると思いますです」

「いや黒木さん、言わなくていいから、お願い」


 優子が真っ赤になって制止する。聞かれて恥ずかしいような体重をしているのか。女って大変だな。

 しかし、夏服に変わってもいないのに、よくそんな細かいところまでわかるもんだ。体脂肪率までピッタリとは。

 優子がトイレに行っている間、俺たちは会計を済ませた。黒木は均等な割り勘で払うつもりだったようだ。それはさすがに悪い。ほとんど食ってたのは俺だし。結局、面倒なので全部俺がおごることにする。次の小遣いまで金欠だな。やはり、さっさとバイトを始めたい。


「なあ黒木さん。ひょっとして血を吸ったからあれだけ細かくわかったとか……」


 小声で聞いてみる。


「そ、それは秘密なのであります。ですが、佐々木さんはすばらしく健康な体をお持ちであると言うことだけはお伝えしておきますです。これからも好き嫌いせずに、十分な運動と睡眠を心がけてその体調を維持してほしいであります」


 そうすれば次に血を吸うとき、黒木にとっても都合がいいからだろうか。

 なんてことは邪推だな。少なくとも、黒木は衝動に任せて俺に咬みついたことに、罪悪感を感じている。善人だから、自分の罪に苦しむんだ。俺の体を気遣ってくれているのが凄く伝わる。

 それを思うと、俺の胸の中でなにやらスイッチが入った音がした。俺は特に意識することもなく、あくまで自然な口調で黒木に言った。


「もし、我慢できなくなったらいつでも言えよ。俺はかまわんから」


 知り合って間もなく、親しくしてる関係でもないのに、どうしてそんなことを言ったんだろうな俺も。ハッキリとはわからない。

 それでも、昨日の黒木が話したことを考えるうちに、逃げ道があるというだけで、少しは楽になれるんじゃねえかなと思ったんだ。

 俺に咬みつくかどうかは別としても、我慢しすぎることはないぜ。そう言ってやれる誰かがいるだけで、彼女のストレスがいくらかは軽くなるんじゃねえのか。

 黒木は、俺に咬みついたことを衝動的な過ちと言っていた。それでも、彼女なりの誠意を見せて謝ってくれた。

 それに対し、俺が彼女に見せる誠意ってものが、他に見当たらなかったんだろう。



(第5話に続く)

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