第3話

「単刀直入に言いますです。金曜日の夕方、佐々木さんを襲って咬みついた犯人は私であります。どうか許して欲しいのです」


 肩を落とし、顔を下に向けて震える声で告白する黒木。

 予想通りと言うべきか、こんな身近に犯人がいて驚くべきか。俺はいまいちはっきりとした反応を返せない。


「まあ、済んだことはいいとして。なんでそんなことをしたのか、聞いてもいいか」

「お、怒っていないのでありますか? 私は、謝罪と償いのためならば、どんなことを要求されても受け入れる覚悟をしているのであります」

「いや別に、そんな大げさな」


 心なしか潤んだ瞳を俺に向け、それでも少しは安心したのか、大きく息を吐いて黒木は言葉を続けた。


「私は……。病気と言いますか、特異体質なのであります。無性に、人様の血を飲みたくなるときがあるのです。とても強い衝動で、自分で抑制するのには限界があるのです」


 おいおい。まさに吸血鬼じゃねえか。


「咬まれた俺も、そんな体になっちまうなんてことはないだろうな」

「それは大丈夫であります。ウイルスや細菌、寄生虫などによるものではなく、生まれたときからの体質ですので感染はしません。ホラー映画のドラキュラとは違うのでありますよ」

「そか。それなら特に問題ねえな。って、ドラキュラは伝染病ってことになるのかね。確かに人にうつってるけど」

「そうでありますねえ……。あれは狂犬病かなにかがモデルではないでしょうか。日光を嫌い、錯乱することで危害を加え、咬みついたり引っかいたりすることで感染すると言う条件が一致しております。ヨーロッパは疫病に対する警戒心や知識が薄かった時代が長いため、迷信とともに広まったお話でありましょう」


 安心するような夢のないような見解だな。伝説の化け物も科学で解明されちまう時代か。

 って、話がなんか脱線してるぞ。黒木の妙なペースに流されてどうする。


「話を戻すけどよ。あの日たまたま公園にいた俺に咬みついて、血を飲んだってことなのか」

「たまたまでは、ないのであります。お気を悪くしないで聞いてください。入学したときから、佐々木さんがたまらなく美味しそうだと思っておりました。放課後ついつい、あとをつけてしまったのであります」

「ちょっちょっちょ、な、なんなんだ、美味しそうってのは。勘弁してくれ」


 冗談じゃねえよ、マジで。血を吸われるどころか、バラバラに解体された俺が黒木家の食卓に乗るんじゃねえだろうな。今日の夕食は佐々木健太くんのお刺身です、とか言いながら。


「も、もうしわけないのであります。ですが、誤解を恐れずに事実を伝える以外に、私なりの誠意を佐々木さんに示す手段が見当たらないのであります」


 小さな掌を興奮する俺の腕にあて、まっすぐに見つめて来る黒木。狂気も悪意も見られない澄んだ黒い瞳だった。


「佐々木さんが美味しそうだと感じたのは、クラスの中で体も大きく、なにより健康そうな方に見えたからなのであります。そのう……。佐々木さんはいつも、授業中に気持ちよさそうに居眠りをしてらっしゃいますし、顔色もとてもいいのであります。そういう方の血液は美味しいのだと、本能のようなものでわかってしまうのですよ」


 そういうものなのだろうか。確かに俺の取り得は、体が丈夫なことくらいだ。


「いや、健康ってのは確かにあってるけどな。風邪なんて最後に引いたのはいつか、自分でも覚えてねえわ」

「佐々木さんのような、美味しそうな方が近くにいると、余計に抑えが利かないときが訪れてしまうのであります。それであの日、どうしようもなくなって、つい……。ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさいです。もう、しないのであります。信じて欲しいのです」

「いや、そんなに謝られても、なんだかこっちが悪い気になってくるから、もうそのことはいいよ。でも大丈夫なのか? また後ろから忍び寄られて、ナイフなんて突きつけられたら。下手すりゃ、俺か黒木さんのどっちかが、大怪我ですまないことにもなってたぜ」

「あれは刃物ではなく、プラスチックの板に銀紙を貼り付けただけの偽物なのです」


 お茶吹いた。錯乱してた割りにずいぶんと小細工が念入りだなあ。そんなオモチャにあれだけビビってたところを、不覚にも見られてしまったわけだ。情けなさすぎる。

 笑ったせいでお茶がむせて苦しんでいる俺の背中を、黒木がおそるおそる撫でさすってくれている。悪いやつじゃないみたいだ。病気か特異体質か。難しいことはわからないけれど、こいつに悪気があってやったわけじゃないのだろう。それなら恨む理由もないし、そもそも俺自身、気にしてないからな。


「あの……。私が咬んだ傷、大丈夫ですか?」


 黒木の口から、心配そうな声が漏れ出す。


「ああ、もう全然痛くねえよ。かさぶたも乾きはじめてるし。最初に手当てしてくれたの、黒木さんだろ? それが良かったんだろな」

「わ、私が咬んだのですから、当然なのであります。食事のあとだって、食器を片付けるのが当たり前のマナーなのです」


 やっぱ俺、食い物扱いされてる?



 その後も続く、わかったような、わからないような話。

 黒木が他人の首に咬みつきたくなるという衝動は、それほど頻繁に訪れるものではないらしい。


「生理の直後など、失われた栄養を補給するためか、うずうずするときがあるのです。食生活に気をつけ、ストレスを抱え込まず、薬を服用することで少しは抑えられるのですが……」

「輸血用の血液を飲むとか、そういうのじゃ駄目なのかね。もしくはレバ刺し食うとか」

「私の衝動は、ホルモン分泌のバランスによって脳に直接働きかけるイメージなのです。単純に血液が飲みたいと言うのではなく、人に咬みついて血を吸う、その一連の欲望が私にプログラムされている。そう言えばわかりやすいでしょうか」


 全っ然、わかんねえ。

 もう二度とこんなことにならないよう気をつける。彼女は自信なさそうに呟いて帰った。

 しかし、生理って。黒木は天然なのか、なにごともハッキリ言ってしまうところがあるようだ。俺も一応、年頃の異性なんだけどなあ。

 ストレスと言うのは、新しい学校生活が始まったことにも関係しているのかね。黒木はどこか遠くの街から引っ越してきたらしく、同じ中学の仲間が今の高校にはいないと言う。

 ……俺は、自分の中に微妙に引っかかっている、もうひとつのことについて話すのを忘れていた。

 黒木が俺に咬みついたあのとき、体中を駆け巡った怒涛のような快感。天国ってのはこんな感じかとすら思った幸福な酩酊。

 もしもまた我慢が利かなくなったときは、遠慮なく咬みついてくれてもかまわない。俺の中にそんな気持ちがわずかにある。でも言うのはやめた。黒木がそれを望んでいないようだし、なにより変態扱いされるのは嫌だ。


 それでも、俺と黒木に不思議な縁ができたのは確かなわけで。これからはそれとなく気にしてみることにしよう。相談できる相手が一人でも増えれば、きっと彼女のストレスだって軽くなる。

 いつの間にか、あたりは暗くなり始めている。まだ五月だから日が落ちるのも早いな。



(第4話に続く)

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