第2話

 明けて月曜。

 まるでタイムリープでもしたのかと思うほどに、俺の土日はあっという間に終わってしまった。家でダラダラと寝て過ごしていたからか。 

 体も心も休みモードがまったく抜け切っていない俺は、この日もいつもどおりに寝坊した。

 今から急いだところで一時間目には到底間に合わない。父さんも母さんも、のんびりと朝からどんぶりメシを食う俺に呆れて、先に仕事へ行ってしまった。

 クソみたいな詰め込み授業の一時間より、朝メシをゆったり食うほうが大事だって美食倶楽部の偉いおじさんも言うに違いない。知らんけど。



「五分や十分の遅れならまだ可愛げがあるけど、まさか二時間も遅れてくるなんてね……」 


 二時間目終了後の休み時間。教室に入った俺を、優子がイヤミたっぷりの口調で出迎えてくれた。これがうわさのツンデレってやつなんだろう。


「来る途中、知らない道を通って世の中の不思議なことを探してたりしてたんだ。通学にもエンタメ性がないとな、これからの時代」

「意味のわかんないこと言ってるんじゃないわよ。今週は遅刻したら問答無用でトイレ掃除の罰当番だからね」


 そう言えば先週のホームルームで聞いた記憶があるな。誰がそんなつまらんことを考えて、脳のカロリーを消費しているんだか。もっと他に考えることあるだろう。日本経済の行く末とか。俺は考えてないけど。

 席に座り、机に入れたままの教科書を取り出す。そのとき、床に消しゴムが転がっていくのが見えた。後ろの席の誰かが落としたのか。

 俺はそれを拾い上げ、自分の後ろに座っている面子を確認する。案の定、自分が落とした消しゴムの行方がわからず、周りの床をきょろきょろと見回している女子がいた。一番後ろの席だ。

 なんて名前だったかな。なにせ、高校に入ったばかり、まだ一ヶ月しか経っていない。クラスの女子なんて、半分も名前を覚えていないんだよな。ううむ、わからん。あまり目立つ子でもないと思う。


「落としたの、これじゃねえ?」


 無難なせりふを選択し、名前のわからない女子の前に消しゴムを差し出す。ふちなしのデカい丸メガネをかけ、左右に分けた長い髪を首の後ろで三つ編みにした子だった。なんか、家で同人誌でも作ってそうなイメージだな。


「あ……」


 その女子は驚いたような目で、俺の手から消しゴムを受け取った。微妙に怖がられてるような目つきに感じるのは、俺が自意識過剰だからか。そんなことはない。


「ありがとう、なのであります。佐々木さん」


 か細い声でそう言った女子は、慌てたような動作で授業の準備に戻った。やれやれ、無駄に体がデカいと初対面の女子にも怖がられちまう。俺に青春は来るのかね。


「どういたしまして。ええと……、ごめん、なにさんだっけ」

「黒木です。黒木エリカ。も、もう授業が始まるのであります。佐々木さんも席に戻ってください」


 ちょうど先生が教室に入ってきた。次の授業は古文だったか。俺の人生にとって、まったくどうでもいい科目だ。睡眠時間がさらに増える。結構なことだ。

 しかし黒木さんとやらも、ずいぶん変わったしゃべり方の人だな。名前は普通だし、見た目は地味なのに。まあいい。人それぞれさ。寝よう。

 ん? なんか引っかかるぞ、あのしゃべり方。



「ねえ、黒木さんさ。つい最近、俺と会ってない? 学校の外で」


 授業が終わったあと、俺は三つ編みメガネのクラスメイト、黒木エリカの前にいた。俺の中にあるひとつの疑問、その答えをもらうために。


「な、なんのことでしょうか。知らないのであります。私は金曜の夕方に、公園に行ったりはしていないのでありますよ」

「いや、俺、公園とか金曜なんて一言も……」


 こいつ、天然だろうか。探るまでもなく勝手に尻尾を出してるぞ。


「と、とにかく、私は授業の予習復習で忙しいのであります。佐々木さんも、この時期から気を抜くことなく、勉学にいそしむのが良いのですよ」 


 そう言いながら次の授業に備え、教科書やノートを机の中からバタバタと取り出す黒木。あせりすぎで、机の上から消しゴムやシャープが落ちること落ちること。よく物を落とすやつだなあ。

 俺はその一つ一つを拾いながら、黒木の机に戻す。短い休み時間では、ゆっくり話すこともできなさそうだ。帰りを待つか。別に俺が悪いことをしているわけではないのに、どうしてこんなに気を遣わなきゃいけないんだろう。

 授業中、ちらりと後方の席に目を向ける俺。黒木は俺と目が合うなり、教科書を壁にして顔を隠してしまう。


 帰りのホームルームが終わり、やっと落ち着いて話ができる時間が来た。俺が自分の席を立ったとき、目の前にクラス委員様の山田優子が立ちはだかる。



「健太、遅刻したんだからトイレ掃除の当番なの、忘れてないでしょうね」


 すっかり忘れてた。忘れてたと言うより、最初から頭に入っていなかったと言うべきか。


「ああ、ちゃんとやるよ。今忙しいからあとでな。ちょっと黒木さんと話があるんだ」

「黒木さんと? あ、そういえば健太、さっき黒木さんのこと泣かしてなかった? 何か怖がらせるようなことしたんじゃないの?」

「いやいやいやいやいやいやいや。そんなことは断じてしてない。そんな理由もない。高校入学一ヶ月目でクラスの女子を泣かせるほどの自爆マニアじゃねえよ」

「本当でしょうね。あ、でも黒木さん、もう帰っちゃったみたいよ」


 早っ!

 釈然としないまま、俺は校舎二階東側のトイレをダラダラと掃除した。それでも、他に遅刻した別クラスの数人とおしゃべりしながらだったので、いい暇つぶしにはなった。

 この高校に入って間もないというのに、掃除に加わったメンバーは遅刻魔同士として、顔を見知った連中だったしな。奇妙な縁だけど、新しい学校での友人ってのはこんなところから生まれるのかもしれない。人の縁は大事にしたいものだ。


 

 懲罰としてのトイレ掃除という労役を終え、俺は生徒玄関を出た。肉体労働をしたからか、今さらになって目が覚めてくる。帰ったって特にすることはないんだけど。

 グラウンドでは、陸上系の部活と野球部が短距離ダッシュの勝負をしていた。さすがの陸上部と言えども、野球部男子の体力や根性には容易く勝利することはできないらしい。なかなか白熱した勝負が繰り広げられている。その中に優子の姿もあった。Tシャツに包まれた胸をボヨンボヨンと揺らしながら、懸命に走って大笑いしている。あいつ、陸上部に入ったんだっけな。朝から夕方まで元気なやつだ。

 青春を謳歌する若者たちを置き去り、俺は校門を出て家路に着く。地平線にしぶとく残り続ける夕日、その光に染められた景色がいい感じに紅い。こういう穏やかな雰囲気を楽しむのもそれはそれで価値がある。ギターの一本でもあればなおすばらしい。十六歳になったらバイトして買おう。

 傾いた日差しを愛でつつ、河川敷の土手を鼻歌交じりで歩く俺。その視界に、うちの制服を着た一人の女の子が座り込んでいる姿を見た。クラスメイトの黒木エリカだ。

 黒木は放心したような表情で河原を眺めていた。夕焼けの河川敷が好きなのだろうか。俺のほうにも黒木に聞きたいことがある。ここで会えたのはいいタイミングと言える。それでも、考えごとや夕日観賞の邪魔をするのははばかられる。

 もう、どうでもいいや。放置して帰ろう。聞いたからどうだってんだ。


「俺の首に咬みついたのは黒木さんかい」


 なんてことを聞いて、もしも間違いだったら変人扱いされて終わりだ。

 黒木が座り込んでいる背後を、俺は声もかけずに通り過ぎた。彼女が見ている方向に顔を向けると、川面が夕日を反射してキラキラと光っている。ありふれた景色だけど、こういうのを楽しめる人間に悪いやつはいない、それでいい。


「なんで、なにも声をかけないのでありますか! 待っていたのですよ!」


 なんか叫ばれたし。なんなんだこいつは?


「あー、いや。俺に気づいてる感じじゃなかったから。俺を待ってたの?」

「そうなのです。佐々木さんを待っていたのです。人のいるところだと、あまりお話できないことなので……」


 確かに俺の疑問も、教室で軽々しく確認するような内容じゃなかった。われながら考えが足りなかったな。


「立ち話もなんですから、どうぞお座りください。お時間をとらせてしまいますので、お茶でもお飲みになって聞いていただきたいのであります」


 そう言って黒木はカバンの中から、ペットボトルの緑茶を取り出した。学校の購買で売ってるやつだな。黒木の持つ不思議な雰囲気に飲まれてしまい、俺は黙って隣に腰を下ろす。

 そのあとに続く話を聞いたせいで、俺の高校生活が妙なスタートを切ってしまうことになるとは。


(第3話に続く)

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