4 「コレよコレ! これこそがタマキヒロシよ!」

 鈴花がダメ出しした理由は、たった一点。そこにいるタマキヒロシが、武士の姿をしていたからだ。本職の時代劇のメイクさんが気合を入れて作ったみたいに綺麗にマゲを結い、光沢のある薄紫色のかみしもに身を包んでいた。


「だって、チョンマゲじゃん! それって何年か前の『功名が辻』っていう山河ドラマで山内なんとかいう武将の役をやったときのタマキヒロシでしょー? それはそれで立派にコピーできてるけど……けどね、それは今から500年以上も前の扮装なのよ、はるか昔の戦国時代のおさむらいさんなのよ、わかる? 山河ドラマは基本、時代劇ばっかりだからダメなのよ。今のタマキヒロシはそんなテラテラした紫の着物なんか着てないのよっ!」


「はあ……左様でございますか……。それは困りました」

「あからさまに困ってないで、何か別の扮装に変わればいいんじゃないの?」


 これは正論でしょ、と鈴花は胸を張った。でも小さめのふくらみがミョーに目立っちゃったかと思って一瞬で照れて、すぐに通常の猫背に戻った。


「……ご要望、なさいますか?」

「うんうん、するする、ご要望、するする、とっととそんな紫の恥ずかしい着物なんか脱いじゃってちょうだい」

「かしこまりました。しからば、もう一度お願いの儀が……」


 しからば? お願いの儀? なんだか武士みたいな言葉遣いになってない? と思いつつ、鈴花はキイの意図を推し量る。――賢いぞ、自分。


「わかってる、『プジャータ!』でしょ? やるやる、今度もソッコーやってあげるから!」

「いえ、次は呪文が異なるのでございます」

「……ど、どんな呪文よ?」

「『ポリナガ!』でございます」

「ポ……ポリナガぁ?」


 鈴花は怪訝に感じながらも、再びキイの言うとおりにしようと決意していた。それにしても、さっきはプジャータで、今度はポリナガ……脳裏の隅っこの隅っこの隅っこで、キイには日本の食品メーカーに何か恨みでもあるのかと思いつつ。


 よーし、強く念じて、


「んんんっ……ポっ……ポリナガっっ!」


 と唱えながら、チョンマゲを3回撫でた。


 呪文は今度も功を奏したらしく再び大きな音がして、部屋中に煙が充満した。鈴花がまたもや空中平泳ぎをして煙をかき分けると、そこに現れたのは巨大なアフロヘアに海パン一丁のタマキヒロシだった。


 ――当然、鈴花はこれも気に入らない。


「……テメエ、私をナメてんのか? ななな、なんで海パンなんだよっ!?」


 鈴花が言葉を荒げてオラオラモードで責めたてると、≪タマキヒロシ≫は再び残念そうな表情で落ち込んだ。本物の演技とまったく同じぐらいに、真に迫った残念そうな表情だった。


「今回もまた、さきほどと同じく『ダメダメダメ! ぜ――ったいにダメ!』なのでございましょうか? それに室井さま、少々お言葉のほうが乱れておいでのようですが……」

「えーえー、乱れますとも、乱れてトーゼン。だって、なんで裸なのよっ!?」

「さきほど、ご依頼主の室井さま本人から、『とっととそんな紫の着物なんか脱いじゃってちょうだい』というお言葉を頂戴したものですから……」


「だー・かー・らー! 確かに私は脱げって言ったけど、脱いだまま出てこいとは言ってないよ? それは『ウォーターボーイズ』のときのタマキヒロシだけど、そのまんまバッチリ似てるけど、海パン一丁はないってば」

「いけません……でしょうか」

「えー、いけませんとも、いけませんいけません、ぜんぜんイケてませんっ! 着物とか海パン一丁とかじゃなくて、もっとフツーのタマキヒロシになってよ」


「承知いたしました。山河ドラマと『ウォーターボーイズ』はダメなのでございますね?」

「じゃなくて、『ウォーターボーイズ』は名作だし私も大好きよ。テレビにも映画にもなったし、タマキヒロシにとっては記念すべき出世作だしね……。だけど、その衣装でここに出てこられちゃ困る、って言ってるわけ。シッシッ!」


「確かに、この爆発頭は少々いただけません」

「あ、えっとね、それはドラマの進行によって変わるの。火花が飛び散ってアフロに燃え移っちゃったから、その後のタマキヒロシは坊主頭になるの」


「では、坊主頭に変更すればよろしいのですね?」

「ダメダメダメ。髪型だけじゃなくて、お願いだから全身をまともにして。そんな、半裸のタマキヒロシが部屋でウロウロしてたら、気が狂いそうになるから」

「困りました……。では、いかがいたしましょう?」


 キイは、本当に困り果てている様子だった。鈴花はその姿を見て、ふと妙案を思いつく。


「……そうだ、わかった! ねえキイさん、見本があれば真似できる?」

「見本があるのでございますか? それはそれは望外の喜びでございます」

「だよね……。じゃあ、ちょっと待ってて」


 そう言うと、鈴花はテレビ台にしている戸棚の引き出しを開け、秘蔵のDVDを取り出してプレーヤーにセットした。すぐに、画面にタマキヒロシが映る。


 ――『のだめカンタービレ』。


「これよこれ! 私のなかのタマキヒロシはこれなの、これがベストなの、『のだめ』なの、『千秋センパイ』なの」


「ほう、こちらの装いでございますか。承知いたしました」

「この姿に変われる?」

「チョチョイのチョイでございます」


 ――なんだか、自分のほうこそ言葉が乱れてないか?


「……それで、また呪文が必要?」

「左様でございます。ご協力いただければ……」

「わかった。で、次も『ポリナガ!』なの?」

「いえ、今度は『ピリン!』でお願いいたします」

「……らじゃ」


 今度はなんだか頭痛薬みたいになったと(脳裏の隅っこの隅っこの隅っこで)思いつつ、鈴花は巨大なアフロヘアに手を置いて3回撫でながら――


 強く念じる。


「ピ……ピピピっ……ピリンっ!」


 そしてまた、地響きのような音と白い煙が現れ、しばらくして何もなかったように消え去ると、そこには鈴花の理想どおりのタマキヒロシがいた。――白無地のワイシャツに、細身の黒パンツ。それは、今まさにテレビに映っている『千秋センパイ』と同じ服装だった。


「そうそう! コレよコレ! これこそがタマキヒロシよ!」

「ふぅ……。少々、お手間を取らせてしまいました。ご協力、感謝いたします」


 その瞬間、鈴花の全身を強烈な電撃が貫いた。思わず、腰が浮いていた。


「……そ……その声! 声もタマキヒロシになってる!」

「はい。そちらのテレビを拝見して、音声認識をすることが可能でしたので……」


 見れば見るほど、そこにいるのはタマキヒロシそのものだった。照れたような視線も、ちょっと口角が上がった口元も、鼻にかかった声もすべてタマキヒロシだ。


「ご満足いただけまして、なによりです」

「ちょっと、触ってみても……いい?」

「かまいませんが、これはあくまで仮想のタマキヒロシであって本物のタマキヒロシではなく、ワタクシはキイなのですよ?」

「うん、それでいいから」


 鈴花は、半ば以上に強引に、目の前のタマキヒロシに触れてみた。しかし、柔らかそうな髪を撫でても1本も動くことはなく、腕のあたりをつついても凹むことはない。当然といえば当然だけど、そこに実体はなかった。


「これは、ある種の映像のようなもの、とお考えになるとよろしいと思います。呼吸もしておりませんし……そうでした、そういえば、ひとつ興味深い件がございます。ワタクシの胸に、手を置いてみていただけますか?」


 キイが言った。誰かが内緒話を教えてくれるときみたいに、低く囁く声で。


「……こう?」


 鈴花はキイに言われたとおり、そっと手のひらをタマキヒロシの胸に当てた。


「本来、人間ならば心臓の鼓動が手に伝わるはずですが、何もございませんでしょう?」


 手を心臓のあたりに当てて、意識を集中させた。しかし、鼓動らしいものは見つけられなかった。


「うん、何も感じない」

「鼓動はしておりません。と申しますか、そもそも心臓もございません。この事実が、現在室井さまがご覧になっているものが、仮想のタマキヒロシだということの証明なのです」


「それに……体温もないんだね」

「そのとおりでございます。体重も、実在のご本人はおそらく70キロ程度あると推察されますが、ワタクシはいささか軽量なのでございます。――室井さま、少々そちらに横になっていただけますか?」


 と、キイはベッドを指さした。


「……こう?」


 鈴花は、言われるまま横になった。あおむけの姿勢で。


「失礼いたします」


 するとキイは突然、一瞬の早業で鈴花の上に体を乗せて、覆いかぶさってきた。でも不思議なことに、体重を感じない。鈴花の顔の左右に両手をつき、上半身を密着させていないせいだろうか? 目の前にキイの顔があるんだから、下半身は自分に乗っかっているはずなのに、まったく重みがない……。


「な……な……何をするの……よっ」


 鈴花は、抵抗しようとした。でも、体が硬直して動けない。だって、今はあのタマキヒロシが私の上にのしかかって……でも違うんだ、これはキイの変身した姿だよね、でもタマキヒロシ、いやキイ、でもタマキヒロシ、いやキイ――ああもう、混乱しちゃうじゃないのっ!


「このまま腕を曲げて、全体重をかけてみてもよろしゅうございますか?」

「え? あ? 別にいいけど? え? だってタマキさん、じゃなくてキイさん、私たち初対面なのに……いいい……えええ……あああ……」


 キイは、有無を言わせなかった。両腕を曲げて上半身を下げると、鈴花の顔の至近距離に自分の顔を置いた。鈴花の左の頬に、キイの鼻先が当たった。


「はい。これで全体重をかけました」


 ――あれ? そうなの? 軽いっ! キイの言葉どおりに胸から足までを全部密着させて、確かに体重をかけられてるはずなのに、ぜんぜん感じない!


「軽いね、すっごく」

「室井さま。これで、おわかりいただけましたか?」


 ――ああダメよダメ、その顔とその声で耳元で優しく囁かれたら、頭も体もおかしくなっちゃうじゃないの……早くやめてよ、でも、やっぱりやめないで、タマキさん、ああ素敵、もうダメ、とろけそう……と思いつつ、鈴花はキイの背中に手を回してみた。もちろん、意識のなかでは半分以上、本物のタマキヒロシに抱きつくつもりで。


「推量ではありますが、この姿での現在のワタクシの体重は、おそらく10グラム程度かと思われます。人間とは、まったく異なっておりますでしょう?」


 ――ああ、いい声……。これが本物のタマキさんだったら最高なのに……。


「なんだか、不思議な気持ち」


 鈴花は、正直な感想を言った。するとキイは鈴花から体を離し、ベッドの脇に立ち上がって(執事がするみたいなやり方で)一礼した。うやうやしく一礼してくれて鈴花が喜んだ瞬間、その純粋な思いも地に落とされた。キイが悪魔の言葉を吐いたからだ。


「室井さまのお体は、やはり少々ポッチャリがすぎるようでございました。25歳のうら若き女性がこれではみっともないレベルと判断いたしますので、本日から本格的なダイエットを開始いたします」


 殺す。ぜ――――ったいに、殺す。


 鈴花は、≪タマキヒロシ≫を睨みつけた。

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