3 「ダメなものはダメなのっ!」

「その前に、キイさんにまだ質問がありまーす!」


 授業中の小学生みたいに、鈴花は大きく挙手して言った。痩せるためなら何でもやる意欲と気合は十分だったが、もう少しキイのことを詳しく知りたくなったからだ。


「……いかがなさいましたか?」

「あなたはさっきから、『プーさんの体を一時的にお借りしている』って何度も言ってるけど、自分の実体みたいなものはないの?」

「はい、ございません」

「そっかあ……」


「……何か、お困りのことでも?」

「別に困るっていうほどでもないんだけど、ぬいぐるみと会話するのが変な感じがするっていうか、気味が悪いっていうか……」

「はっはっは!」


 げ、この人(人じゃないけど)って笑うこともあるんだ、と鈴花は驚いた。


「なんで笑うのよ。そんなにおかしい?」

「いえいえ、これは失礼いたしました。室井さまにご要望があれば、人間の姿になることも不可能ではございません……と申しますか、ピース・オブ・ケーキなのでございますが、いかがいたしましょうか」


「ピース・オブ・ケーキ」のところだけ、やたら発音がよかった。まるでアメリカ人みたいに。


「あ、それそれ! それがいい、人間になれるんなら、なってなって!」

「承知いたしました。ただし、その際なのですが……」

「何か、変な条件でもあるの?」

「条件と申しますか……具体的なご要望をいただきませんと、ワタクシのほうでは判断いたしかねるのでございます」


「具体的な……要望?」

「はい。人間といいましても多種多様でございますし、現在の地球上には約70億人もの方がおられます。すでに鬼籍に入られた方も含めれば、それこそ星の数に比肩するほどでございましょう。そのうち、どの方の姿になればよろしいのか――」


「わかった! 誰の姿になるのか、私がリクエストしていいのね?」

「さすが室井さまです。ご明察でございます」

「えっへっへ」

「いかがいたしましょう? どなたか、アツくご希望の方はおられますか? ぶっちゃけ、室井さまの好きなタイプの男性とか、好みの俳優とかでもよろしいのですが……」


「そしたら、タマキ……んっ!」


 頭に浮かんだイケメン俳優の名前を言おうとした瞬間、鈴花はコーフンして舌を噛んでしまった。よりにもよって、こんなときに……。


「おやおや、いけません。室井さまのような嫁入り前のうら若き女性が、そうしたはしたない言葉を口にされるのはお似合いになりません。お控えになるべきです」

「ちちち違うってば、タマキだよタマキ、タマキヒロシ!」


「ほう、タマキヒロシさまですか」

「……で、できるの? タマキヒロシになれるの?」

「いかようにも、なれます。ご要望なさいますか? タマキヒロシさまを」

「うんうん! やってやって!」


「承知いたしました。ただし、ひとつ問題がございまして」

「まだ何かあるの? なんか、いろいろメンドいんだねえ……」


「はい。さきほど申し上げましたように、ワタクシは人間の姿になることは可能なのでございまして、それはそれは変幻自在、たちどころの瞬時の素早さで変身してお見せすることができるのですが、残念ながらワタクシひとりの手では不可能なのでございます。そこで、室井さまのお手を少々わずらわせていただきたいのです」

「私の……手?」

「左様です。その手をプーさんの頭に置いて3回ほど撫でながら、呪文のような言葉を唱えていただきたいのです」


「呪文? どんな?」

「大きな声で、『プジャータ!』と叫んでくださればよろしいのです。思い切り念じることによって、前後に多少のかけ声が付随してもかまいません」

「……プジャータ? コーヒーのクリームじゃないよね?」

「はい、スジャータではなく、『プジャータ!』でお願いいたしたく存じます。今は、コーヒーをまろやかにしている場合ではないのでございます」


 ――へえ、この人(人じゃないけど)って、冗談まで言うんだ。


「わかった、じゃあ、やってみる」

「確認いたします。プーさんの頭を3回撫でながら、『プジャータ!』と叫ぶのでございますよ? お間違えのないよう、厳密かつ正確にお願いいたします。ここでもし、お間違えになるような失態がございますと、室井さまのご希望に沿えない結果を招きかねませんので……」


 鈴花はさっそく、キイの言葉どおりのことをしようとした。そして手をプーさんの頭に近づけて――、


「あ、室井さま少々お待ちください。申し忘れていたことがございました!」

「……ちょっと! ビックリさせないでよ」

「ふぅ……。間に合いました。ワタクシとしたことが、少々慌ててしまったようです。誠に恥じ入っております。申し訳ございません」


 不思議なことに、キイがこういう台詞を言うときには、プーさんが頭を下げながら必死に謝っているように見えていた。そんなこと、あるはずもないのに。


「別にいいけど……それで、何を言い忘れたの?」

「呪文についての付帯事項の確認でございます。ワタクシが人間の姿となってそちらに登場する瞬間の状況なのですが、その際やや大きめの音がいたします。加えまして、少々の煙も発生いたします。この2点に、ご注意くださいませ」


「音と煙ね、わかった」

「お伝えするのを失念しておりまして、たいへん申し訳ございませんでした」

「それぐらい、気にしなくていいよ」

「あたたかいお言葉、感謝いたします」


「……もう、忘れたことはない? もう一度、ちゃんと確かめたほうがいいんじゃない?」

「重ねがさねのご配慮、痛み入ります。お伝えすべきことは、そのほかにはございません」

「じゃあ、始めるよ?」


 そう宣言すると、鈴花はすぐさま行動に移った。


「ん……んんんっ……プジャータ!」


 人生最大といえるほど真剣な表情をつくり、キイに教わったとおりにプーさんの頭をサラリと3回撫でながら、鈴花は呪文の声を発した。思いっ切り強く心で念じたせいか、息が漏れるような音もしていた。


 すると、どうだろう。キイが注釈をつけたとおりに「ドゥオォォォン!」という地響きのような低い音が響いて、窓ガラスがビリビリと共鳴した。ものすごい量の白い煙が部屋中に広がり、鈴花の視界は完全に閉ざされた。


「うわわわわっ! なんも見えないっ!」


 慌てふためいて、鈴花は空中平泳ぎみたいに両手をバタバタ高速回転させた。しかし、白い煙は水蒸気みたいな物質だったらしく、ほんの数秒で消え去った。漫画だったら、「サッ」とかいうオノマトペが書いてある感じに。


「あっ、あっ、んあああっ!」


 煙のなかから現れたを見て、鈴花は仰天した。大きく口を開けてしまって、顎が外れそうなぐらいだった。――つまり、全身が固まっていた。


「ひっ、ひっ、ひぃぃ――っ!」


 今はベッドの上にかわいく座っていたから難を逃れられたものの、もし立っていたとしたら確実に腰を抜かして倒れていただろう。――鈴花の隣、ベッドの空いていたスペースに、本当にタマキヒロシが座っていた。


「うわわわわわ! た、た、た、た、タマキ(ん)だ!」


 きちんと顎を動かせないせいで、鈴花はまた噛んでしまった。


「ですから室井さま。はしたない言葉はご遠慮いただ――」

「ちちちち違うってば! ほほほほホントにたたたたまたま玉木宏だからあわわわわわっ!」


「いかがでしょうか? こちらで、ご要望どおりでございますか?」


 うん、OK! と言いたかった。元気よく言いたいところだった。でも鈴花は両手を胸の前で交差させて大きなバツ印をつくった。完全否定の意思表示である。


「ダメダメダメ! それは確かにタマキヒロシなんだけど、完璧にタマキヒロシなんだけど、素晴らしくタマキヒロシなんだけど、ダメダメダメ! ぜ――ったいに、ダメ!」

「はあ……。どのあたりが、『ダメダメダメ! ぜ――ったいにダメ!』なのでございましょうか?」


「ダメなものはダメなのっ!」


 鈴花が鼻息荒く断定すると、≪タマキヒロシ≫はうつむいてシュンとなった。3回目の入試に見事落ちちゃった二浪生か、十年越しの片思いを告白して振られた三十路男みたいだった。


「残念でございます……」

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