5 「典型的なダイエット失敗例でございます」
「25歳って……なんで私の年まで知ってるのよ」
「それには、深い深い事情があるのでございます。とはいえ、それでは会話が成立いたしませんので、強引に日本語に翻訳しますれば≪蛇の道は蛇≫ということわざが近似であるように思います」
「それで、うまく逃げた気になってるでしょ」
「滅相もございません。ご理解いただけないかもしれませんが、ワタクシにはさまざまなことがわかるのだ、とだけ申しておきます」
「ほかに、どんなことを知ってるの?」
鈴花が聞くと、キイはコホンとひとつ咳払いをした。そして、こともなげに言い放つ。
「室井さまは現在、身長163・8センチ、体重62・2キロでございます」
「どうして、そんなに正確に当てるのよっ!?」
「さきほど、体を密着させていただいたときに計測いたしました」
「え? あれは体形を調べてたの?」
「失礼かと存じましたが、そのようにいたしました。アバウトで申しますと、身長164センチ、体重62キロということになります」
「そこ、わざわざ繰り返して強調しなくていいから!」
――抗議。言うべきことは、ハッキリ言わないとね。
「これは失礼いたしました。ですが、これからダイエットを進めるにあたって、スタート時の体重はひとつの指針となりますので」
「ねえキイさん。私、これまで何回もダイエットしたけど、失敗ばっかりで一度も痩せたことなんかないんだけど、それでも大丈夫なの? 痩せられる?」
鈴花は、ここ5年の自分を思い出していた。せめて、せめて60キロを切って50キロ台をキープしたいと思っては、悲しいぐらいの食事制限を繰り返した。おなかがグーグー鳴ってるのに、野菜と豆腐と海藻ばかりの食事で我慢することもした。それでも、せいぜい57キロ程度に下がっては、また爆食いをして60キロ台に即戻りした。40キロ台なんて、夢のまた夢、はるか遠い幻――。
「これまで、何度も何度も食事抜きのダイエットとかを繰り返しましたね? それで、ちょっと効果が出たと思ったら、すぐにリバウンドして失敗したのではありませんか?」
キイは、少し鈴花に近寄ってきて聞いた。――図星。
「うん、した」
「大好きなものを食べずに必死に我慢したりして、自己満足的に制限したりしたのではありませんか?」
キイが、また近寄ってくる。――図星その2。
「うん、それもした」
「よせばいいのに、運動したら痩せるとか思い込んでジョギングなんか始めようとしたりして、スポーツショップに行って上から下までウェアをそろえてシューズまで買っちゃったりして、それらを箪笥の肥やしにしたのではありませんか?」
キイ、さらに接近。――図星その3。
「うんうん、それもしたした。ジョギングシューズは3足もある」
「その恰好を見せびらかしたいがため、週末の朝っぱらにわざわざ皇居まで走りに行ったものの、情けないことに1周もできずに散歩しただけで帰ってきたのではありませんか?」
究極まで近づいてきて、キイの顔が鈴花の目の前に迫ってきた。本物のタマキヒロシだったら、息遣いまで伝わりそうな距離だ。――完敗。
「……ていうか、キイさん、だんだん言葉にトゲが増えてきてない?」
キイは2歩ほど下がり、また執事スタイルで一礼しつつ言う。
「それは失礼いたしました、ワタクシとしたことが、少々興奮してしまったようです。しかし……やはり室井さまは、典型的なダイエット失敗例でございますね」
「て、典型的?」
「しかも、つらい思いをすればするほど、結果的には以前よりダボッと太ってしまうという、それはそれは悲惨なパターンでございます。努力をすればするほど、その努力が無に帰すのですから、とても残酷なパターンでもあります」
「ど……どういうこと?」
「では、ご説明の準備をいたします」
するとキイは集中し、『ぱろひれ!』と呪文を唱えた。いつものように音と煙が現れ、それが消えると空中にホワイトボードのようなものがあった。ホワイトというより、透明なアクリルボードみたいだった。キイは、手にマーカーまで持っている。
「……今度は、自分の呪文でいいの?」
「はい。この程度のマイナーチェンジであれば、ワタクシだけで可能なのです。ただし、自分自身の全体をフルモデルチェンジするような大がかりな施術になりますと、どなたか協力者のお力が必要になります」
「ふーん……」
「では、さっそくご説明を始めてもよろしゅうございますか?」
「はい、お願いします、先生」
鈴花はきちんと座り直し、キイと≪アクリルボード≫に正対した。
うむ、とでもいうような威厳のある表情を見せてから、キイは話を始めた。白いマーカーで、スラスラと文字を書いていく。――やたら達筆だった。
最初に大きく書いたのは、≪代謝≫という文字で、その下に≪基礎代謝≫、≪生活活動代謝≫、≪食事誘導性熱代謝≫の3つを続けた。
「ご存じのとおり、人間は食べたものからエネルギーを得るとともに、筋肉や内臓をつくり、体調を整えております。そのとき、ひとつの物質――たとえばアミノ酸など――を別の物質と組み合わせるなどして、高度な化学変化を常時繰り返すことで生命を維持しているわけです。ざっくりと申しまして、これらの活動が≪代謝≫だと考えてください」
高度な話かと思ったが、鈴花の頭にもすんなり入ってくる内容だった。
「人間は、この代謝によってエネルギーを消費します。そこで、よく登場する単位がありますが、室井さまもご存じですよね?」
「うん、カロリーだよね」
「さすがです。正解でございます」
鈴花は、なんだかミョーにホッとした。
「ところが、カロリーという単位にはいささか不備があるのでございます。ですが、ここでその不備の件を説明いたしますと長くなりますので割愛し、とりあえずカロリーという単位を前提にお話を進めます。その点、ご理解くださいませ」
「わかった、それでいいよ」
鈴花は、中学の頃の口やかましい家庭科教師を思い出していた。ひとつ質問すると、同じ説明を延々と繰り返す人だった。本当は詳しく聞きたがったが、今はキイに何も聞かないほうが都合がいいのだろう、と思った。
「ありがとうございます。では、≪基礎代謝≫、≪生活活動代謝≫、≪食事誘導性熱代謝≫の3つのうち、最もエネルギー消費の大きなものは、どれでしょうか?」
「基礎代謝!」
「ご名答です。通常、成人女性の消費エネルギーは1日2000キロカロリー程度とされていますが、そのうち60から70パーセントが基礎代謝と、圧倒的です」
「うんうん、それで?」
「基礎代謝とは、≪何もしないでじっとしていても消費するエネルギー≫のことです。現在そこにお座りになり、ワタクシの話を聞いてくださっているだけでも、室井さまの体内では激しいエネルギー消費がなされているのでございます」
「ただ座ってるだけなのに?」
「お手数ですが、ご自分の額に手を当ててみていただけますか?」
鈴花は、キイの指示どおりにした。――指先が濡れた。
「汗、かいてる」
「なぜ、汗が出るのか――。汗は、興奮したとか運動したとかいう場合に、体温が上がりすぎるのを抑制するために放出されるものでございますよね?」
鈴花は、ティッシュを1枚取って顔を拭った。
「そうか! それで、エネルギーを消費してるのね? 寝てるときにだって、いっぱい汗かくときあるし……」
「おおお、室井さま。なんと素晴らしい理解力でございましょう。ワタクシは、いたく感激いたしております」
「えっへっへ」
鈴花は、胸を張った。今、鏡を見たらすごいドヤ顔をしてるはずだが、ホメられて喜ばない人間などいない。
「その体温調節をはじめ、呼吸や鼓動、あるいは食べたものの消化や吸収などで、人間は大量のエネルギーを消費しているわけです」
「わかった!」
「……ほう、どのようなことが?」
「その基礎代謝量を増やせば、痩せられるってことでしょ?」
「さすがご明察! と申し上げたいところですが、残念ながらマルは差し上げられません」
「……なんでよ?」
不正解と言われて、鈴花は悔しかった。
「基礎代謝を上げること自体は、不可能ではございません。しかし、なかなか困難であることもまた事実だからです」
「なーんだ。じゃあ、私はどうすれば痩せられるのよ?」
「室井さま、そうなのです! そこなのです、私が申し上げたいことは!」
キイは、大げさな身ぶり手ぶりを加えながら、うれしそうに言った。そろそろ、話が核心に近づいてきてるのかもしれなかった。
「え、どういうこと?」
「さきほど、室井さまは『食事を我慢する系のダイエットを何度も試したけど、そのつどリバウンドして失敗した』というような趣旨のご発言をなさいましたね?」
「だって、ホントのことだもん」
「リバウンドするのは、そうやって必死に食事を我慢した結果、室井さまの体が低カロリーの状態に慣れてしまったからなのでございますよ」
――鈴花には、その意味が理解できなかった。
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