ピザ屋よ、蜂起せよ
警察署から外の道路に出る。地球時間にして四時間ぶりのシャバだった。珠子はシャバという言葉を使うことも考えることもあろうとは夢にも思わなかったので、経歴に傷がついたことを思うと胸が痛んだ。もっとも地球の履歴書の賞罰欄に書く必要があるかはわからない。ともかくやつれた顔を下にして、ピザの客に向かって礼を言った。
「ありがとうございます。大金を出していただいて申し訳ないです。あの、いくらだったんでしょうか?」
「千二百円だったよ」
珠子はうなった。客は言う。
「名前を言ってなかったね。僕はエプルレヴィススリー」
「ありがとうございます、えー……エプル……」
「エプルレヴィススリー」
「エプル……」
「エプルレヴィススリー」
「エプル……」
「いいんだ」エプルレヴィススリーは肩をすくめる動作らしきことをした。
珠子は一応礼を言いはしたものの、そもそもこのエプル……とやらがピザを注文しなければこんなことにはならなかったのでは、という疑問が湧いてきて多少面白くなかった。その後千二百円を財布から返したが、絶対に必要経費として店長からふんだくろうと考えた。「それじゃ私帰りますから」
すると、エプルレヴィススリーは慌てて引き止めた。「待ってよ!」
「なんです?」
「このまま帰るつもり?」
「そうですけど」
「復讐しないでいいの?」
「えーと、私そういうの興味ありませんので……」
珠子が背を向けると、粘着質の手がピザ店の制服の袖をつかんだ。
「待って待って。復讐っていう言い方が悪かった。そういう個人的な次元の話じゃなくて、要するにこのままにしてていいのかってことだ」
「このままって?」
「この悪法を……あえて悪法って言うけど、このままにしておいていいの? ピザ屋の商売あがったりだよ」
「別に……。私、ただのバイトですし」
「いやいや、助けてほしいんだ。だってあんたたちの作るピザほどの絶品料理は銀河系にほかにないよ。これが食べられなくなるなんて人生の損失だ。そんなのってありえないよ。この楽しみを庶民から奪っておいて、なにが法律だ!」
「ピザは冷凍食品ですし、添加物も入ってますから、あまりたくさん食べない方がいいですよ」
エプルレヴィススリーは少しの動揺を見せたが、すぐに持ち直して雄々しく説得を続ける。
「問題はそんなことじゃない。楽しみを奪うってことだ。誰にその権利がある? 自由は何より大切なんだ!」
「でも法律ができたってことは、それが必要だからでしょ? あなた個人の楽しむ権利を制限してまでも守るべき何かがあったんじゃないですか。それが何かは知らないけど」
ここにきてエプルレヴィススリーは言葉に詰まった。珠子は口を閉じた。しばらくあわれな粘液生物を眺めていたが、やがてバイクを置いてきたアパートの方向へゆっくりと足を踏み出す。一歩、二歩……エプルレヴィススリーは動く気配がない。三歩、四歩……空中にはエアカーの微かなエンジン音が行き交っている。五歩、六歩……珠子はため息をついた。立ち止まる。
「商売あがったりなのは本当だわ。それにここまでピザに情熱を持った人も初めて。法律は法律として、運用の仕方には問題があるわね。だってねえ、私も自分のところのピザが人に喜ばれるのは嬉しいんだもの。どうせ次の就職先も見つかりそうにないし、できることがあるならやってみようか」
「あんたいい人だね、ピザ屋さん」
そこでふたりはアパートに帰って作戦を練ることにした。
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